广外日本文化自考复习资料

广外日本文化自考复习资料
广外日本文化自考复习资料

一、岩宿文化(?~約8500年前)

縄文文化は、日本列島の全域にわたってみられる。それぞれの地域では特色をもちながら、日本列島全体としては似かよった内容をもち、そのころの朝鮮半島を含めた大陸の文化とは違う独自の文化を生んでいった。大陸から切りはなされている日本に、縄文文化は狩猟?採集の経済基盤のもとに独自に展開する。8,000年以上の長さを有する縄文時代は、主として縄文土器の研究から五つから六つの時期に分けて考えられる。

【土器】縄文時代の土器は、深鉢が基本的な形態となる。

【石器?骨角器等】縄文文化の道具は、磨製石器や釣針などの新しい遺物の出土が注目される。道具の製作に磨製の手法が多用されることも、この文化の特徴であろう。

【住居と集落】縄文文化は、定住集落をもつ周年的な生活を営む人々の文化であった。当時は竪穴住居が一般的であり、用材は樹木を磨製石斧で加工した。

【資源開発】集落の立地する場所によって、周辺の資源に差が生ずる。縄文文化期の生業は、植物採集?狩猟?漁撈活動を組み立ててのくらしであったから、食生活はそれぞれの集落ごとに独立しているもののバラエティーに富んだものである。

【集落の維持】また環状列石や配石群が各地に現われるのは、共同祭祀を行っての集団運営が存在したことをうかがわせる。

抜歯:通過儀礼に於いて敢えて特定の永久歯を抜く儀式が行われる場合がある。日本においては、縄文時代の土坑墓や貝塚から出土するヒトの頭骨において、健康な歯を抜いている事例の多いことから、抜歯が広く通過儀礼として行われていたことが明らかにされている。

二、绳纹文化(約8500年前~約2500年前)

貝冡

三、弥生文化(前3~3世紀)

銅鐸(どうたく)とは、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器のこと。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって作り用いられた祭器である。これまでに出土した銅鐸は全国で約500個である。銅鐸は近畿から東海地方にかけての地域で出土するという偏りがあった。

民族文化的形成

日本文化の始原的な形態は、やはり弥生時代に稲作農耕を基盤として形成されtことになる。大和朝延のもとに。仏教や中国の文物がさかんい輸入され、日本文化はこれらアジア大陸の文明の影響のとに成長。

四、古墳文化(4~5世紀)

1)古墳文化は、3世紀中葉から6世紀頃までの前方後に典型的な高塚墳墓が営造された時代の文化を指す。

2)古墳造営に象徴的意味は大和王権を中心とした古代統―国家形成期である

早期宗教特点

1)弥生時代以後の民族宗教は、農耕儀礼を本質とするものであるから、すべての呪術的行為が、終局には農耕

の順調な進行の保障とてある。

2)原始的な祭りは、臨時の施設けて祭りが終われば施設は撤去されたのであって、固定した建築施設を必要と

しなかった。

3)(日本神的特点)人間の日常生活と密接な関係のあるへビ·シカ等の動物や自然物や人エ物まが、それぞれ呪

力と関係のあるものとして、神霊を媒介する力があると見られるとともに、それ自体が神である。

神社

一定の場所が祭場として反復使用されるにつれ、そこが神聖な地域として特別に取り扱われるようになり、やがてそこに神社が建築されることとなるのである。

埴輪

曰本の古墳の装飾として墳丘上あるいはその裾部に並べ置かれた土製品。円筒形をしている円筒埴輪と人物、家動物、器材などおかたどった形象埴輪の二つに区分される。

大王

大王は5~6世紀王の呼称として用いられた、律令制のもとで7世紀ごろから「天皇」という公式称号にきりわった。

五、飞鸟文化(538~710年)

飛鳥文化(あすかぶんか)は、推古朝を頂点として大和を中心に華開いた仏教文化である。時期としては、一般に仏教渡来から大化の改新までをいう。(朝鮮半島を通じて伝えられた中国大陸の南北朝の文化の影響を受け、国際性豊かな文化でもある。多くの大寺院が建立され始め、仏教文化の最初の興隆期であった。)

1)五经博士

五経博士:五経博士は前漢時代の官職で、五経は儒教の経典である五経(『詩経』『尚書』『易経』『春秋』『礼記(らいき)』)の専門家。継体(けいたい)天皇の代に段楊爾(だんように)ら(6世紀ごろ)が来日し、日本に儒教を浸透させた。

2)仏教传到日本的过程:

インドからシルクロードにあった国々を経て、中国に伝わった仏教は北伝教と呼ばれているそして。南北朝の時代に中国から朝鮮の国々に伝えられ、百済から曰本に伝えられることになった。もう一つ、中国のチベットやのちに中国の内地、曰本に伝えられた。

3)公传

仏教の曰本への公伝

二、三世紀仏教は、中国文化を曰本に伝えるための重要な媒体の役目を果たした。

聖徳太子にとって仏教とは何であったのか。

1)仏教は第―に、東アジア世界の共通文化であった。

2)第二に聖徳太子にとって仏教は思想であった「憲法十七条」から見られる。

3)仏教に対する太子の熱意を示したものは、法隆寺の建立とならんで、三経義疏の著述がある。

4)圣徵太子

聖徳太子:592年,推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)で即位し,甥(おい)の廐戸皇子(うまやどのみこ-「聖徳太子」)が皇太子となった。廐戸皇子は推古天皇の摂政となり,政治を行った。聖徳太子は大王(天皇)中心の政治をめざし,遣隋使派遣,冠位十二階や十七条憲法を制定した。また,天王寺?法隆寺などを建立した。

5)圣徵太子的功绩

『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)とは、聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』?『勝鬘経義疏』?『維摩経義疏』の総称である。それぞれ『法華経』?『勝鬘経』?『維摩経』の三経の注釈書である。日本書紀に推古14年(606年)聖徳太子が勝鬘経?法華経を講じたという記事があることもあり、いずれも聖徳太子の著したものと信じられてきた。

「冠位十二階」

1)日本で最初の位階制度、冠の色によって階級を表した。聖徳太子が制定。

2)個人を単位とした政治的序列を表象する冠位を導入したもので、官僚制への一歩の前進である。また、憲法

は、官僚としての心構えを教えようとするところに置いている。

6)遣隋使

遣隋使(けんずいし):6世紀初頭、大和朝廷が中国の隋(581~618)に対して派遣した使節。遣隋使の場合、一応の対等外交を志向しており、また仏教重視の姿勢から主として文化導入を意図していたらしい。(聖徳太子の政策と思われるこれらの遣使は、中国統一王朝たる隋の出現という東アジア世界の大きな変動のなかでの倭国外交として、朝鮮諸国との関係も含め把握する必要がある。)

7)大化革新

大化改新

は大化元年に中国の模範に徙って日本を改造すべく政治、経緕上の大変革である。

内容:

1)理諭的には絶対的権力者である天皇の下で、唐朝のように精巧な中央集権的官僚体制。

2)中国を模倣した中央政府をつくることは、中国風の地方行政機関を整備。日本では、中国の土地所有制度や

課税制度までと入れようとした。

3)日本の最初恒久的首都の建設があげられる。平城京を建でられた。

4)古代東アジア的な中央集権国家成立の出発点となった。

8)大学寮

大学寮(だいがくりょう)は、律令制のもとで作られた式部省(現在の人事院に相当する)直轄下の官僚育成機関である。官僚の候補生である学生に対する教育と試験及び儒教における重要儀式行った機関である

9)律令制

主として奈良から平安時代に施行された律令に基づき公地公民制を基礎とする中央集権的官僚制、律令法は刑法の律、刑法以外の諸規定を網羅した令、補足法としての格、施行細則である式からなっており、唐制に習ったものであった。

律令的基本思想:

律令の基本をなす思想は、儒家と法家の思想であり、特に、理非を弁別することのできる官人が、愚昧な人民を教え導き、教化することが統治であるという考えが重んじられていた。

唐律を母法とする日本の古代法典の一つ。刑法および官吏懲戒法に相当する。

刑法以外の国家組織の基本的な諸制度である行政法、訴訟法、民法、商法などに相当するものを網羅的に規定したもの。

大宝律令

律六巻令十一巻の古代の法典。天智朝以来の法典編纂事業の大成で、律令国家盛期の基本法典となった。

10)平安京

桓武天皇の延暦13年に長岡京から移って、明治1年に東京へ移るまでの都。今の京都市の中心部。

11)東大寺

奈良市にある華厳宗の大本山。南都七大寺の一つ。天平年間に聖武天皇の勅願により建立された。

六、奈良文化(710~784年)

1)遣唐使

遣唐使けんとうし:唐との国交を回復して、国内の制度の整備?先進文化の摂取を図るために、留学生?学問僧を含む遣唐使を派遣するようになった。遣唐使たちは、長い期間にわたって大唐の学問?技術?思想?宗教?芸術?政治などの優れた文化や文物を日本にもたらし、国家や社会生活に大きな影響を与えた。平安朝後期からの日本文化の開花は、こうした唐文化の摂取消化の基盤の上に培われていった。

2)留学生の特点

a) 当時の日本が、中国文化的先進性と価値とを率直に認め、それを学びとるのが国家的要請であったこと。

b) 中国語に堪能で、通訳を業とする渡来人がいた。入隋留学者の勉学を助ける役をつとめたと。

c) 僧がたんに仏教だけではなく、儒教をもふくむ広い範囲の学問を修めてきたことなどである。

d) 留学生?留学僧が仏教儒教のみならず、政治経済をも学びとってきた。日本仏教史上においてもきわめ

て重視され、この経典を根幹として天台宗、日蓮宗がひらかれた。きょきせつきょねきしゃな

3)遣唐使的目的

4)学問僧

学問僧:学問に励む僧。特に、外国に留学して学ぶ。遣唐使としての学問僧は仏教だけを伝えたのではなくいろんなものを持ち込み、持ち帰った。実は「日中文化交流史」の中で果たした役割はあまりにも大きい。

5)末法

釈尊入滅後の仏教流布の期間を3区分した最後の時期、像法の後の1万年を指し、仏の教えがすたれ、修行するものも悟りを得るものもなくなって、教法のみが残る時期。

6)寺院

寺院は当時の先進的な知識人と技術人者集団をふくむ文化組織であった。

7)南都六宗

奈良時代の仏教は、南都とよばれるようになったもとの平城京の仏教の意味で、南都の仏教、あるいは南都六宗とようばれる。

法相宗·律宗·華厳宗なとが、これらは、後年の仏教の宗派とは異なり、むしろ学派というの方かい。

8)天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。妙法蓮華経(法華経)を根本経典とする天台教学に基づく。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄によって平安時代初期に日本に伝えられた。法華経学、密教、戒律、禅を兹修する

9)真言宗

真言宗(しんごんしゅう)は、空海によって9世紀初頭に開かれた、日本の仏教の宗派。(空海が中国(唐時代)の長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。空海が執筆していた当時に伝来していた仏教各派の教学に一応の評価を与えつつ、真言宗を最上位に置くことによって十段階の思想体系の中に組み込んだ。)最終的には顕教と比べて、密教(真言密教)の優位性、顕教の思想?経典も真言密教に摂包されることを説いた。

10)浄土について

(「浄土」という語は中国での認識であるが、思想的にはインドの初期大乗仏教の「仏国土」がその原義であり、多くの仏についてそれぞれの浄土が説かれている。)中国?日本においては、浄土教の流行にともない、浄土といえば一般に阿弥陀仏の「西方極楽浄土」をさす。

浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。「浄土門」、「浄土思想」とも。

11)奈良佛教特点

奈良時代には東大寺をはじめとして、各国に国分寺が建立され、南都六宗として知られる諸宗が勢力を誇った。南都六宗とは三論宗、法相宗、成実宗、倶舎宗、華厳宗、律宗である。

12)和汉文学

a)《古事记》

b)《日本书纪》

c)《风土记》

d)《万叶集》

e)《怀风藻》

f)《浦岛子传》

13)絵巻

巻物に絵を描き、繰り広げてゆくこよって次々と変化する面面を鑑賞させるもの。内容は経典の絵解き、作り物語、説話文学、高僧伝、社寺の縁起、儀式の記録など多種多様。多く画面を説明する詞章を書き添え、書体の美しさをも鑑賞。

七、平安文化(784~1192年)

1)迁都目的

2)平安(国风、贵族)文化特点

国風文化(こくふうぶんか)とは日本の歴史的文化の一つである。10世紀の初め頃から11世紀の摂関政治期を中心とする文化であり、12世紀の院政期文化にも広く影響を与えた。

中国の影響が強かった奈良時代の文化(唐風)に対して、これを国風文化と呼んでいる。

特徴:1、遣唐使の停止。遣唐使停止により中国の直接的影響を抜け出し、日本独自の文化が発展した。遣唐使停止は日本文化の国風化を加速させる要因であった。

2、浄土教の流行。末法思想を背景に浄土教(浄土信仰)が流行した

3、女流文学の発達。清尐納言や紫式部など多くの女流作家が生まれることとなった。物語と女流日記の創作が流行っている。

4、かな文字の使用。奈良時代から日本語を表記するため漢字の音訓を借りた万葉仮名が使われていたが、この時代になって仮名文字が広く使われるようになった。

かな文字、日記文学、物語

a)《古今和歌集》

古今和歌集

八代集の第一。勅撰和歌集の始まり。20巻。紀貫之·紀友則ら撰。延喜年間その歌風は調和的で優美·繊麗。真名序·仮名序がある。

b)《土佐日记》

土佐日記は紀貫之が彼の旅の記録を日記にまとめた作品である。「土佐日記」は、和文で書かれているが、冒頭の部分に。男が書くという日記というものを、女の身である作者も書いて見たいと思うという文章があり、作者を女性に仮託することによって、かな文字で日記を書くことを正当化している。かな文字で書くことによって、「土佐日記」は、作者の私的な体験や感情を表現することができ、和文の文学作品の先駆となった。

c)《蜻蛉日记》

蜻蛉日記

右大将藤原道網の母の自变伝的な日記。21年間の結婚生活ををこまごまと描き出す日記である。

d)《源氏物语》

e)《伊勢物語》

平安前期の歌物語。複雑な成立を経ているらしく、作者、成立年代とも不詳。在原業平を主人公として、歌を中心とする短い物語を一代記風に連ねている。

f)旋頭歌

五七七·五七七と片歌を反復した六句体。本来民謠的な謠い物が多い。

1)女房(にょうぼう)とは、平安時代から江戸時代ごろまでの貴族社会において、朝廷や貴顕の人々に仕えた

奥向きの女性使用人。女房の名称は、仕える宮廷や貴族の邸宅で彼女らにあてがわれた専用の部屋に由来す

る。

2)源信

平安時代の僧。天台宗の観心念仏と善導の称名念仏を合わせ、「往生要集」によって日本浄土教の祖とされる。

3)もののあはれ(物哀)

平安時代の自然観および文芸の理念、本質とされるもので、しみじみとした情趣の世界。

4)尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)

幕末の政治運動の一。天皇の権威の絶対化と開国反対を主張し、勅許なしで西洋列強と条約を結んだ幕府と対立。

文久3年後で衰退。

5)保元?平治の乱

平家時代未期に起った二つの争乱。保元の乱

は武士が政界に進出することとなった。また平治の乱後、平氏の全盛期を迎えた。

八、镰仓文化(1192~1333年)

1)鎌倉時代の文学、美術

a)鎌倉時代に入って、動乱の時代を写し、人間のあり方を考え、思想的な内容を含む記述をしよ。「方丈

記」に代表されうような和漢混淆文が生み出されることになった。

b)平安時代も後期に入って、各地で戦乱が起こると、公家たちも遠い所の戦乱に興味を抱いて合戦の顛未

を記述するようになった。はじめ、合戦の記録は簡単なものであったが、保元の乱で、都が戦場にな

って以来、公家にとって戦乱は余所事ではなくなり、「保元物語」、「平治物語」という軍記が書か

れることになった。

c)武家社会に対する観察と理解を深めた公家によって書かれた「平家物語」は、高度な文筆能力を駆使し

て、武家の台頭のありさまを描き出した古典として、世界の中世变事詩の中で、もっとも高度な達成

を示す作品とされている。

d)鎌倉時代の美術が武士的であるとは一般に指摘されるところである。極めて大づみに双方の美術を比較

すると、藤原美術には藤原貴族の生活に基盤をもつ内容(作品のテ-マや素材)および彼らの生活感情

にふさわしい静的?变情的な形式が主流をなし、鎌倉美術には武士的もしくは反藤原貴族的な階層の

生活に基盤をもつ内容および彼らの生活感情にふさわしい動的?变情的な形式が主流をなしている

2)镰仓佛教特点

鎌倉時代仏教の歴史的意義:

a)鎌倉時代を中心に、新宗派が多く現れ、それぞれ独創的教義なの体糸と、その実践の方法とを確立し、

その後の時代に大きな影响を及ぼした。新仏教の形成を促進し、それを性格づけた思想的契機は未法

思想である。

b)新仏教の諸宗派が、そののち14世紀から16世紀にがけて民間に普及し、それざおれ大きな教団を形

成するとともに、現代に至る日本人の大多数の宗教生活の拠りどころとなっている。

c)中世浄土教の思想的源泉として源信の「往生要集」が存在したことも否定できない。

d)この書が中世浄土教各宗の祖師や知識階級の念仏者に与えた影响は大きい。

e)さまざまな教えの中がら、称名念仏を選択し、専修するという点で革新的な教えであった法然の主張は、

数多くの門弟に受け継がれたが、それをより徹底させたのが親鸞であった。親鸞は、下級公家の子に

生まれ、幼時に比叡山に入った。

3)幕府与禅宗

武家与禅宗的关系?

1)幕府の政治的地位の向上は、幕府の上層指導者に治者の自覚をもたらし、学問·文化に対する関心が高まるこ

とになった。時頼のころのち顕著になる幕府の禅宗保護も、このような動きのなかで理解される。

2)鎌倉時代の初め、すでに栄西は宋から臨済禅を伝えたが、台·密·禅を三宗兹修の立場をとるなど純粋な禅と

はいえなかった。のちに鎌倉に建長寺を開くと、厳しく純粋な禅を挙揚し、禅宗史に一時期が画された

3)幕府が摂取しようとしたのは禅だけではなく、禅に伴う中国文化のすべてであり、儒教から寺院建築、頂相·

水墨画などの絵画、さらには生活様式にまで及んでいる。

4)輸入して武家古典文化をつくし、京都の公家文化に対抗しようとする試みは成功した。禅に関するがきり鎌

倉は日本の中心となり、逆に鎌倉から京都に禅が伝わった。

4)禅宗

仏教の宗派の1つ。大乗仏教系。インドから中国に伝えたとされる仏教が源流である。日本では臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の総称として用いている。不立文字を原則とするため中心的経典を立てず、教外別伝を原則とするため師資相承を重視し、そのための臨機応変な以心伝心の方便など、種々の特徴をもつ宗派である。

5)承久の乱

承久3年(1221)の朝廷と鎌倉政府との戦い。公家勢力の回復を図るためにがねて鎌倉幕府打倒の機をうかがっていた後鳥羽上皇は、源実朝暗殺後の幕府の内紛に乗じて挙兵。

結果は幕府の勢力はこの機会に一挙に西国に伸張し、全国政権としての基礎を固めた。

6)神道

a) 神道は日本固有の宗教である。町並みのなか、ビルの谷間にも、人々の生活のあるろころには、必ずこんもり

と茂った森に囲まれた神社がある。春と秋には大きな祭りがそこで行われている。

b) 日本の神社の多くは、大木や岩や池を神聖視したり、なかには御神体するものさえある。

c) 神道の起源についてはすでに旧石器時代から、た造形があらわれる。神道の教義や組織におおきな影響をあた

えたのは仏教である。

7)京都五山

京都五山(きょうとござん)とは、五山の制のうち京都の禅宗(臨済宗)の寺格、官寺制度である。

8)五山文学

五山文学(ござんぶんがく)は、鎌倉時代末期から室町時代にかけて禅宗寺院で行われた漢文学である。五山文学こそは、五山文化の中心であった。宋元禅林においても文学が占める位置は非常に大きかったが、入宋僧や入元僧らにより、その禅風が伝来すると、こぞって文学志向が高揚することとなった。鎌倉五山や京都五山では、幕府の外交文書を起草するという必要性も伴い、四六文を用いた法語や漢詩を作る才が重視されたことも関係して、五山文学が栄えることとなった。

9)唐様

美術工芸用語としては、中国的様式の美術工芸品をいう。

10)武家と公家文化

武家

天皇·上皇·貴族——都という古い中央集権的勢力と、

公家という新しい分立封建勢力と

これが二重政権の時代といわれる鎌倉時代を、武家政権の創立期として、また武家文化と公家文化との古典的対立時代、歴代であろう。

公家

公家は、平安時代以来の知的、文化な活動を受け継いでいることを誇示して、武家に対する優位性を示そうとした。

a)公家文化をするもののつは、であった。第八番「新古和歌集」

b)文字の書法、漢籍や和書の学問、笛、琴、琵琶など、公家文化を構成する全での要素が、道として立てられ、

護り伝えられることになった。橘成季「古今著聞集」

11)「御成敗式目」

a)1232年、執権北条泰時の指導の下に制定された鎌倉幕府の基本法典。独自の武家法理が成文化されたもの

である。法理的には日本的武家法の根本法典として、室町幕府法や戦国家法に至るまで大きな影響を与えた。

武家の守るべき道徳の本拠を指示し、併せて幕府政治の律法とその運用の精神を明らかにしたことである。

b)意义:

「御成敗式目」の制定によって武家の文化が始めて当時の社会における指導的地位を確立した。律法は時代の推移と共に追加増補されてうくし、また次の室町時代·江戸時代と武家政権が交替するに連れて、その都法制も改変せられて、発逹する所があったけれども、最初の御成敗式目に指し示された武家の道徳律は、そのまま承け継がれて、長く武家政治の規範となったのである。

12)院政

院政は平安時代未期にがえ、がするまでのにれた。

政治特点:

a)鎌倉幕府の成立後は二重政権の様相を呈したが、後烏羽上皇の倒幕計画が失敗した(承久の乱)ことによっ

て、公家勢カは完全に失墜し、院政の役割にも終止符がたれ、二重政権は滅した。

b)摂関政治の全盛とともに律令政治は混乱し、政治·社会は動揺していったとき、各地に成長した豪族や荘官な

どの有力農民は、荘園お他の豪族や受領から守るために武装し、闘争を繰り返しては勢カを拡大していった。

武士が現れた。平氏と源氏が有力であった。

13)《新古今和歌集》

14)说话集

15)《徒然草》

16)大和绘

九、室町文化(1333~1603年)

1)不征之国

2)勘和贸易

3)南蛮文化

【安土桃山文化の特徴】

16世紀後半、織田?豊臣政権を中心とした前後半世紀の文化概念。安土とは織田政権の中心、桃山は豊臣政権の桃山城中心の桃山建築文化とかかわって使用された。

【人間中心?現世主義】古代?中世文化が宗教文化的色彩が強いのに対し、この時代の文化は、宗教からの現世の解放、人間中心の文化と考えられる。現世主義的なことは、小歌?集団的舞踊などの傾向がみられる。この時代の舞踊全体が、

念仏踊りの宗教性を脱却し、官能的な舞踊や女歌舞伎踊りが多い。

【城郭建築?巨大な障壁画】この時代は現世の権勢の象徴として、大量な天守閣を中心とした城堡国がつくられている。【わびを志向する文化】、簡易で無一物の美、わび(佗び)を志向する茶の湯が流行している。東山時代に始まった茶道は、戦国時代以来、大名や豪商たちに喜ばれていた。堺の町人干利休や津田宗久?山上宗二は茶人として知られていた。【南蛮文化】スペイン?ポルトガルから文化が入ってきた。これを南蛮文化という。当初は、イエズス会宣教師に信長も秀吉も好意的であったが、領土的野心があることを知り禁教令に踏み切った。しかし、経済と文化対流に関心を寄せたので、活字印刷術の輸入や、多くの南蛮渡来の書籍(キリシタン版)が入って来ている。これを通じて世界的視圏を確立することもでき、南蛮文化?南蛮宗俗などが流行している。

4)室町文化概念

室町文化(むろまちぶんか)とは足利氏によって京都に室町幕府が開かれた時代の日本の文化。南北朝文化ののち、3代将軍足利義満の時代に北山文化が栄え、ついで8代将軍足利義政の事大に東山文化として成熟した。戦国時代にはさらに文化の民衆化と地方普及が進んだ。広義には、南北朝文化を含むことがある。

(室町時代は武家が公家を圧倒し、文化的にも大きく成長をとげていった時代である。足利氏を中心に有力守護をはじめとする上層武士が京都に多く居住し、伝統的な公家文化とさかんに接触し、また海外との交易によって禅宗をはじめとする大陸文化が伝えられると、武家はその影響を受けながらも、みずからの力強さ、簡潔さと公家文化の伝統美を融合させ、新しい武家文化を開化させた。

いっぽう、庶民の社会的地位が高まり、商工業の発展にともなって町衆や農民が文化の担い手として登場したことから、文化の面でも幅広い交流がすすみ、庶民性や地方的特色がいっそう強まった。庶民文芸の発展や鎌倉新仏教の地方への広まりなどはその現れである。猿楽?狂言?連歌などは都市?農村問わず愛好され、喫茶の風習も茶の湯として広がった。

室町文化の流れには、2つの頂点がある。14世紀末に興起した北山文化と15世紀末に興った東山文化がそれであり、武家が政治?経済のみならず文化の面でも時代を代表する存在となったことを示している。その流れは16世紀の戦国時代に広く地方へと普及していき、やがて国民文化として発展していくこととなった。)

A. 初等教科書の成立

B. 寺子屋の登場

C. 足利学校

北山文化

室町時代前期の文化をさす。伝統的公家文化と新興の武家文化、これに禅宗文化が融合し、学問?文学では五山文化が主流を占め、水墨画が発達、建築でも禅宗様(唐様建築)が流布した。また猿楽能は芸術的に大成。

東山文化

室町時代中期の文化。伝統的な公家文化と武家文化、禅宗思想を基調とした宋文化、庶民文化などが融合した文化が形成された、水墨画、大和絵、連歌、その後の日文化の源流となった。

1) 応仁?文明の乱

15世紀後の内乱。応仁1年に起こり、一応の决着をみた文明9年まで続いた。応仁の乱ともいう。この乱により幕府権力は失墜、荘園制は崩壞、在地武士勢力が台頭。戦国大名の領国化が進展した。

5)《新续古和歌集》

6)禅宗

1386年仿宋朝官寺,在京都个镰仓设“五山”之制,还建了僧禄制

7)侘び茶

侘び茶は室町時代末期に足利義政らの武家貴族の間で流行した書院茶に対し、村田珠光が創始し、千利休が完成したと言われる茶の湯である。千利休は武田紹鴎の弟子である。

侘び茶の特点

利休のわび茶の大成とは具体的にどのようなことであったか。まず第一に茶会の形式と点前を完成させたことであり、第二に茶の湯の場である茶室の様式をきわめた点であり、第三に茶の理念を禅宗に求めた点にある。

8)懐石

茶事の際に供する料理。一汁三菜に箸洗い、八寸程度が基準。

9)御加草子

室町時代に製作書写された物語、草子の総称。作者?成立年代は未詳のものが多い。前代の物語?説話?軍記?歌書等から取材し、場面?登場人物も多方面にわたる。読み物であると同時に語るものであり、奈良絵本や絵巻に仕立てられたように見て楽しむものでもあった。

10)奈良絵本

室町時代後半?江戸時代前期に、おもに御加草子を題材としてつられた絵入りの冊子本。

婦女童幼の読み物としてもてはやされ、嫁入り本としても用いられた。

11)連歌

和歌の語句と上下句とに相当する五?七?五の長句と七?七の短句との唱和を基本とする詩歌の形態。

長連歌は第一句を発句、次句を脇(わき)、第三句を第三。

12)幽玄

静か、かすかで奥深いこと、深遠微妙であることを意味する語。成がこれを自らの歌論の重要概念なとして用いられる。おおむね余情すなをち情調な象徴美であることについて一貫しており、文学理念として長く力をもった。

13)書院造

室町未~桃山時代に完成した武家住宅の形式で、今日の住宅形式にもなごりをとどめている。寢殿造に比し、非常に復雑な構成をもつ。内部空間は、接客部分、家族の生活部分、台所など使用人の生活部分などに区分される。

14)能乐与狂言

能(のう)は、鎌倉時代後期から室町時代初期に完成を見た、日本の舞台芸術の一種である。「能楽」の一分野であり、江戸時代以前には猿楽の能と呼ばれていたものである。

狂言(きょうげん)は、能と同様に猿楽から発展した伝統芸能で、猿楽の滑稽味を洗練させた笑劇。(明治時代以降は、能?式三番と併せて能楽と呼ぶことがある。)

能与狂言の区別

能が、主に古典的な題材を取り上げて、幽玄美を第一とする歌舞劇であるのに対して、狂言は日常的なできごとを、笑いを通して表現する口語のせりふ劇である点、対照的な性格を持っている。

夢幻能

あの世の人間や、神、鬼、精などの化身として現れ、中入り後本体を示して活躍する能の形。

十、江户文化(1603~1868年)

1)朱印章

朱印船

近世の日本政府かれらは貿易をみずからの統制下におくとともに、海賊船と区別するために外来商船に、渡航証明書を交した。証明書には朱の印章をおしてあるので、渡航許可をうけた船

のことを朱印船とよんだ。

2)锁国令

3)外国志略

4)蘭学

江戸中期以降、おらんだ(和蘭)語によって西洋の学術を研究しようとした学問。医学から数学?兵学?天文学?化学などの学術にまで及んた。

5)儒学

儒学は、貴族や僧侶といった特殊な身句の世界から解放されて、広く社会に普及することとなったが、それとともに、これを単に外来の知識として学ぶばかりではなく、いわば生きた学問として、現実の政治や社会生活の上に活用しようとする傾向が著しくなった。近世の儒学、の特色は、社会的普及と、現実生活との結びつきとにあった、とみることができる。

江戸時代の儒学は主に藤原惺窩と林羅山によって新しい局が切り開かれたといってよい。

朱熹は、宋学の大成者で、北宋の新儒学の正統を受け継ぎ、「四書」を尊重し、理を窮め知を致すことを目指す実践道徳を教えた。

6)王仁

ワニを代表としての学者たちは日本に行って、文字教育や儒教が基礎とされる学問教育を実行した。

百済から日本に行った人で、漢の高祖の裔で、応神天皇の時に「論語」10巻、「千字文」1巻を持っていったという。

7)国学の展開

国学とは日本の近世中期から後期にかけて発達した古典文学や古典文化を研究する学問である。

人物:契冲、荷田春満

8)歴史学

歴史学の方面では、幕府や藩の公的な事業として行われた、歴史の法則的認識や実証的研究の面でも進歩がみられた。この側面を代表するのは新井白石である。

9)大学頭

令制下では大学寮の長官である。江戸時代には昌平黌の長官。

10)本居宣長

江戸中期の国学者。国学四大人の一。古道研究を志し、三十余年を費やして大著「古事記伝」を完成。儒仏を排して古道に帰るべきと説き。

11)契冲

江戸時代の真言宗僧、国学者、歌人。内外の諸書を渉猟、国学基礎の築をいた。古典注釈、国語学の方面に業績が多い、主著は「万葉代匠記」、「和字正濫鈔」など。

a)「万葉代匠記」

「万葉集」の注釈書。契冲の著。「万葉集」全巻にわたって精密な考証注釈を加えたもので、創見に富み、「万葉集」研究の基礎を確立し、広く古典文学研究に大きな影響を与えた。

b)「和字正濫鈔」

契冲著の仮名遣い著研究書。歴史的仮名遣いの基礎となった。

12)翁問答

中江藤樹の著。朱子学的思想を濃厚に示している。

13)知行合一

中国明の王陽明が提倡した知識と行為に関

する根本命題。「知」はすべて「行」を通して成立する。

14)金沢文庫

1275年ころ、金沢実時がその領地金沢郷の居館敷地内に設けた文庫。和漢の書を集め、その蔵書数はわからないが、相当の量であったと推測されている。

15)関ケ原の戦

1600年豊臣秀吉の死後の霸権をかけて徳川家康と石田三成が美濃関ケ原の戦った合戦。徳川政権成立への道がひらかれた。

16)近代文学の成立

狂躁的な芸能に共嗚し、伝統的な文化に回帰しようとした。

中でも、井田西鶴、松尾芭蕉、近松門左衛門の三人は、すぐれた作品を著して、近代文学の世界を切り開き、文化史の上に重要な足跡を残した。

松尾芭蕉は、談林派の俳諧師として活動した。隠者的な生活をし、旅中で、俳諧の美とその表現を究め、蕉風俳諧を興した。俳諧は、後に「俳諧七部集」にまとめられ、「奥の細道」などの紀行文、がある。

下級町人の悲劇を扱い、舞台芸能に高度な伝術的緊張を付与する。

要するに新しい現実を当時の人々は「俗」という言葉で表し、新しい現実の中でのモラル、あるいは良心的な生き方を求めようとした。そういう人生に対する誠実な態度が、この時代の人々に共通し、それにより人間味のある、すぐれた文化が生まれたところに、元禄文化の大きな特色があったと考えられるのである。

人物:

井田西鶴

俳人、浮世草子作者。「好色一代男」を刊、浮世草子を創始した。活気あふれる町人の経済生活や遊里での享楽生活を、あるいは武家社会の意気地と義理の生活を描いている。「日本永代蔵」「世間胸算用」

松尾芭蕉

俳人、旅で俳風を樹立、「おくの細道」にまとめられ、「奥の細道」旅中の体験とをとおして蕉風俳諧は展開し。

近松門左衛門

江戸時代の浄瑠璃?歌舞伎作者。伝術観は虚実皮膜(非虚非实)「會根崎心中」「国性爺合戦」(郑成功)

浮世草子

西鶴の「好色一代男」以後、大坂、京都を中心に行われた現実主義的?娯楽的な町人文学をさす。

蕉風

俳諧においては貞門が談林派の異風に対して連歌体に近い自派の俳風をこのことはで示した。私意私情を去って自然と一体になることを目ざしたもので、根本理念として、「さび」、「しをし」、「ほそみ」等をもつ。

洒落本

江戸時代の小説の一種。遊里を舞台に、遊里中心をに生まれた美意識の一理想である「通」を、会話中心の文体でおもしろおかしく描く。

滑稽本

滑稽な話を記した本。江戸后期の小説の一種で、洒落本

の影響の下に、多くは庶民の日常生活における滑稽ぶりを断片。

17)西欧思想の摂取と近代精神

文明開化の運動は、その性質上、政府の教化政策?対外策、また思想運動?出版事業?世態風俗などの諸方面に現れてくる。「西洋事情外篇」

19世紀イギリス?アメリカ系の工利主義思想、市民的自由?人権思想、合理主義的実証主義思想が、主としては、これらの思想的源流をなしたのである。「学問のすすめ」「文明論之概略」

18)鎖国

江戸幕府のがキリスト教禁圧を名目として行った外交通貿昜の極端な制限政策。またその結果起こった国際的に孤立した状態。ギリスト教の伝道?信仰を禁止し、スペイン、ポルトガルとの通商?来航を禁止し、オランダ、中国との貿昜も長崎1港に限り。

19)廃藩置県

明治4年(1871)7月に行われた地方制度改革で、全国の潘廃され府県がおかれ、中央集権化が完全に達成された。

20)明六社

明治初年の啓蒙思想家の団体。社員は福沢諭吉、森有礼。「明六雑誌」の発刊や講演会等で同時代の思想に大きな影響を与えいた。

21)近代における教育と文学

新時代の人々が自己を内省し、思索の跡を表現するには不適当なものと感じられるようになった。西欧の近代文学に接した人々が、文学というものを見直し、新しい時代のことばと文章が必要であることを感じ始めたのである。

坪内逍遥「小説神髓」、二葉亭四迷「浮雲」、国木田独歩、島崎藤村は、浪漫主義の詩人「破戒」、「家」、「夜明け前」

夏目漱石「明暗」「我是猫」、森鴎外、自然主義に対抗

福沢諭吉(ふくざわゆきち)

思想家?教育家。維新後は、政府に仕えす民間で活動。明六社にも参加。「新事新報」を創刊。独立自尊と実学を鼓吹。のち脱亜入欧?官民調和を唱える。「学問のすすめ」「文明論之概略」「脱亜論」。

日露戦争(にちろせんそう)

明治37~38日本と帝政ロシアとが中国の旧滿州?朝鮮の制覇を争った戦争。日本の勝利。

22)近代における日本人の精神構造と文学

1、明治民法の思想

国家的生活の単位を個人にとるか「家」にとるか、を决定せざるをえなくなった。「民法典論争」

2、家制立憲法の理念

3、反体制的知識人

4、近代文学的出現発

「佳人之奇遇」、最初の小説。

「浮雲」、行動力を欠く知識人の悲劇を、文明開化のもららす軽薄な時代相と重ねて描きだそうとした本格小説で。

日本主義(国粋主義)

明治から第二世界大戦敗戦までにおける欧化主義、民主主義、社会主義などに反対し、日本古来の伝統や、国粋擁護をしようとした思想や運動をいう。

23)町人文化

元禄文化とその社会背景

江戸時代上方を中心として経済が目ざましい発展を遂げる中で、町人層が新しい文化の担い手になって、町人文化が生まれた。

元禄文化は、日本の文化史の上で始めて、庶民を主要な担い手として形成された文化であった。庶民の生活や心情を描いた文学や絵画が生まれ、豊かになった町人層の生活をみたすために、意匠を疑らした衣服、家具、食器などが普及し、都市の住宅の改善が進んで、生活文化は著しい向上を見せた。

歌舞伎隆盛の基礎を築いた。浄瑠璃を人気を博した。将軍と大名の権力が強くなり、専制化するという形が現れてきた。と同時に、「公」と「私」との矛盾が生まれた。道徳を刑罰によって強制しているようになる。

[元禄文化] げんろくぶんか

元禄時代(1688~1707)を中心にした江戸時代中期に京都?大阪などの上方を中心に発展した文化。庶民の義理人情が濃く現れている一方、合理性を重んずる町人気質も併せ持つことを特徴とする。主な担い手は上方の商人であったが、武士階級出身の者も多かった。代表は、松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門。

元禄文化げんろくぶんか

広義には元禄時代を中心とする江戸時代前半期の文化。狭義には1688年(元禄1)~1703年(元禄6)の文化を指していう。大坂は全国物産の集散地として繁栄し、京都は優れた伝統的文化と技術をもつ商工業の中心として、江戸時代前半期の経済界の中心的地位を占めたが、元禄文化はまさに興隆期の上方町人による都市文化であった。(それは単に京都?大坂の町人層だけでなく、生産力の向上と商品流通の発達を基礎とする大坂周辺の在郷町、江戸をはじめとする城下町、宿場町町人と豪農層の文化的欲求の高まりに支えられていた。)したがって桃山時代町衆の伝統を背景とする寛永期や寛文期との性格の相違をみようとする傾向も強いが、幕藩体制の確立に努める武士の精神と、それに抵抗しつつも現実の人生を肯定していこうとする町人の精神が、幕政が武断主義より文治主義への傾向を強めたこととあいまって、学問?

思想?文芸?美術等に反映した、きわめて日本的な文化であったといえる。上述の元禄文化の性格を踏まえて、さらにいくつかの特色を指摘しつつ、その諸相をあげる。

[1]封建教学としての朱子学の定立。古代以来政治?社会に強い影響力をもった仏教はその力を失い、朱子学政治思想による幕藩制支配の永久化がはかられた。

[2]種々の新学問の興隆。朱子学派の発展に関連して、これを批判する中江藤樹の陽明学、山鹿素行?伊藤仁斎の古学、荻生徂徠の古文辞学等の儒教諸派、歴史学でも国文学でも発展され、契沖は方法的にも古典研究に画期的な成果をあげた(国学の発生)等、多くの新学問が興隆。

[3]実証的合理的精神の昂揚。朱子学の窮理精神を原典遡及する古学派の研究態度は、諸学の方法的基礎を提供した。

[4]人間性の主張。人間本来の性情にも目が向けられ、井原西鶴の浮世草子?近松門左衛門の戯曲?人形浄瑠璃?歌舞伎の盛行?談林派や松尾芭蕉の俳諧も階級制を超えた普遍性をもつ。

[5]洗練された装飾美の顕現。豪華な桃山文化の伝統を継ぎ、経済力をもった町人層の欲求を反映して、浮世絵版画の創始等、当時の好尚に投じて伝統美の近世化を実現した。以上にあげた多くは生活文化にいたるまで、浪人を含む市民社会の所産であり、都市の消費生活を反映するものであった。

この時期の文化は京都?大坂を中心とする上方文化の面が強いが、江戸の発展につれ上方より江戸に下って活躍する者が増加し、江戸も独自の文化を形成していくのである。

元禄文化がこれまでの文化と異なる色彩を帯びた背景には、

1、東アジアが清朝樹立に伴い安定し、徳川幕府も安定と著しい経済発展をした。

2、経済発展は、武士や有力町人だけでなく下層町民や農民などの庶民も多彩な文化が受け入れとりこまれた。

3、幕府の鎖国体制が確立した。

ことなどをあげることが出来る。

鎖国により、外国からの影響が尐なくなり、日本独自の文化が成熟した。

文学においては、これまでの連歌(れんが)から、俳句を生み出し、松尾芭蕉(1644~94)は自然と人生を見つめる新しい作風を生み出し、井原西鶴(1642~93)は浮世草子と呼ばれる小説に生き生きとした町人の生活を記した。また、近松門左衛門(1653~1724)は人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)や歌舞伎の脚本に多くの名作を残した。

美術でも、この時代にはたくさんの作品が生まれた。俵屋宗達(たわらやそうたつ)(生没不明)や本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の影響を受けて、尾形光琳(1658~1716)、が蒔絵や絵画に新風を吹き込み「琳派」と呼ばれた。菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は民衆の風俗を描いた浮世絵を残した。

また、庭園では六義園や小石川後楽園、岡山の後楽園のように名園が各地に造園された。

学問では、徳川幕府の敷いた幕藩体制が安定し、学問が重視された。封建社会を維持する教学として林羅山の説いた朱子学を林家が受け幕府の文教政策を進めた。この(元禄?享保)時代、朱子学は全盛期で、新井白石(1657~1725)、室鳩巣(1658~1734)雨森芳洲(1668~1755)などが学問に影響力を示した。

しかし、はじめ朱子学を学んだ中江藤樹(1608~48)などは朱子学を批判し陽明学を取り入れ説いた。また、朱子学や陽明学と言った儒学に飽き足らず孔子?孟子の古典に立ち帰ろうとする古学が興され、荻生徂徠(1666~1728)が政談を表した。

24)町人(ちょうにん、まちにん)とは、江戸時代に都市に居住していた職人、商人のこと。江戸時代前期に、身

分制度(士農工商)が成立し、末端の工商の部分にあてられた。このことにより職業的に農業との分離が促進され、より専門性が高まった。身分的には下層社会であったが、優れた技術力と豊富な資金量は武士を圧倒す

る面もみせ、独自の都市文化(町人文化)の形成発展に寄与した。

25)黒船

黒船(くろふね)は、大型の西洋式航洋船のことで、語としては江戸時代の前から近世の日本で用いられた。今日ではこの時代か、より狭く江戸時代末期にかけて日本に来航した船を指す歴史用語として用いられる。特に1853年、浦賀沖に来航したアメリカ合衆国のアメリカ海軍艦隊の事を指す

26)国学

他に、自然科学や医学などの実用的な学問も発達し他に貝原益軒(1630~1714)などが活躍した。

27)経世論

経世論(けいせいろん)は、近世(江戸時代)の日本で「経世済民」のために立案された諸論策、もしくはその背景にある思想。「経世思想」「経世済民論」とも称する。経世論の内容は、現代でいうところの「政治学」「政治?政策思想」「経済学」「経済思想」「社会学」「社会思想」など広範な領域を含んでいる。

このような思想が成立した背景にあるのは、幕藩体制の下で進行した領主財政の窮乏、統治機構の形骸化?腐敗、農民の疲弊、商人高利貸資本への富の集中など、さまざまな社会矛盾の顕在化である。経世論は、これらの問題にいかに対応するかという権力者への献言?献策として執筆?刊行され、多くの場合、その著者は当時の支配層たる武士身分に属する者、もしくはその出身者(なかんずく儒学者が大半)である。

28)浮世草子

29)净琉璃

30)歌舞伎

31)浮世绘

32)女房

女房(にょうぼう)とは、平安時代から江戸時代ごろまでの貴族社会において、朝廷や貴顕の人々に仕えた奥向きの女性使用人。女房の名称は、仕える宮廷や貴族の邸宅で彼女らにあてがわれた専用の部屋に由来する。

33)寺子屋

寺子屋(てらこや)とは、江戸時代の庶民を対象とした教育施設である。僧侶や武士や医師などが、庶民の子弟に読書算や実務上の知識?技能を教育した施設をいう。

34)狩野派

狩野派(かのうは)は、日本絵画史上最大の画派であり、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで、約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団である。(室町幕府の御用絵師となった狩野正信を始祖とし、その子孫は、室町幕府崩壊後は織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍などに絵師として仕え、その時々の権力者と結び付いて常に画壇の中心を占め、内裏、城郭、大寺院などの障壁画から扇面などの小画面に至るまで、あらゆるジャンルの絵画を手掛ける職業画家集団として、日本美術界に多大な影響を及ぼした。)

仏教史

日本へ仏教が正式に伝えられたのは欽明天皇13年(552年)とされるが、『元興寺縁起』などでは538年になっている。いずれにせよ、それ以前から民間に仏教信仰が伝えられていたことは間違いない。(仏教を受け入れるかどうかをめぐって蘇我氏(崇仏派)と物部氏(排仏派)が争ったが、結局、物部氏が滅びて、崇仏派が勢力を伸ばした。その後、用明天皇の皇子だった)聖徳太子は仏教興隆に力を入れ、「法華経」など三経を講義し、法隆寺、四天王寺などたくさんの寺院を建立した。

奈良時代には東大寺をはじめとして、各国に国分寺が建立され、南都六宗として知られる諸宗が勢力を誇った。南都六宗とは三論宗、法相宗、成実宗、倶舎宗、華厳宗、律宗である。

飛鳥時代から奈良時代までは「鎮護国家」を目的とした学問仏教の色が濃かったが、平安時代になると、最澄(さいちょう)や空海(くうかい)によって、唐から天台宗、真言宗が伝えられ、比叡山、高野山などが開かれた。

鎌倉時代になって仏教は一般民衆の信仰を集めるようになった。平安末期からの末法思想の流行は浄土思想を急速に普及させ、源信(げんしん)や法然(ほうねん)による「念仏」が武士、庶民に広く浸透した。鎌倉時代には親鸞(しんらん)、道元(どうげん)、栄西(えいさい?ようさい)、日蓮(にちれん)、一遍(いっぺん)など各宗の開祖が続々と登場し、新しい仏教が興起した。

室町時代になると仏教は確実に勢力を伸ばしたものの、鎌倉時代のような革新的な仏教は誕生しなかった。五山を中心とする禅僧独特の美術や文学が生まれた。

戦国時代には比叡山、高野山、本願寺など大寺院で織田信長の徹底した迫害を受けたものも多かったが、江戸時代初期には各寺院とも復興した。

明治維新直後には復古思想による「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」などの危機を経て、仏教の革新も進み、戦後は多くの仏教系新興宗教を生んだ。

(完整版)自考【版式设计】课后习题答案

自考【版式设计】复习资料 名词解释 1.立体主义:具有主张模仿客观对象,重视艺术的自我表现,对具体对象分析、重构和综合处理的特征。 2.未来主义:即编排无重心无主次、杂乱无章、字体各异的散构,甚至完全散乱的无政府主义的形式。 3.达达主义:强调自我,反理性,认为世界没有任何规律可遵循,所以表现出强烈的虚无主义特点;随机性和偶然性,荒诞与杂乱。 4.超现实主义:认为社会的表象是虚伪的,创作的目的是重新寻找和了解社会的实质,认为无计划的,无设计的下意识或潜在思想机动更真实,如用写实的手法描绘、拼合荒诞或虚无的幻觉。 5.现代主义设计:现代主义的特点是理性主义,“功能决定形式”不是一种风格,而是一种信仰。现代主义最鲜明的主张是:“少则多”。它反对装饰的繁琐,提倡简洁的几何形式。 6构成主义:构成主义设计将抽象的图形或文字作为视觉传达的元素和符号进行构成设计,版面编排常以几何的形式构成,同时也带有未来主义、达达主义自由拼合、无序的特点。但在整体上构成主义更讲究理性的规律,强调编排的结构、简略的风格以及空间的对比关系。 7.风格派:荷兰风格派的思想和形式来源于蒙德里安的绘画探索。他以高度理性、数字化的逻辑思维来创造和谐的新秩序,画面上简洁到只有纵横的几何形方块和鲜明的色块。 8.包豪斯:包豪斯的平面设计思想及风格具有强调科学化、理性化、功能化,减少主义和几何化的特点,注重启发学生的潜在能力和想象力,注重字体设计,采用无线装饰字体和简略的编排风格。9.国际主义平面设计风格:国际主义风格在平面上的贡献是研究出了骨骼排版法,即将版面进行标准化的分割,将字体、插图、照片等按照划分的骨骼编排在其中,取消编排的装饰,采用朴素的无线装饰字体,采用非对称的版面编排。特点是高度的功能化、标准化、系统化。其反装饰的排版风格,简明扼要的视觉形式,有利于国际化的视觉传达功能, 10.后现代主义的设计风格:后现代主义的整体思想体系是全面的否定与反讽传统的一切文明,主张强调自我感受。他们“对人类自古典文明以来的传统艺术进行了全面的、革命的、彻底的改革,完全改变了视觉艺术的内容、形式和服务对象”。使版面获得趣味与韵味,充满活跃、纷乱、生动的特点,后现代主义是一种思潮,一种趋势以及一种设计观念。 什么是点?:将单位面积比较小的称其为点。 什么是线?:线是点的移动轨迹。 什么是面? 面是点的放大、点的密集或线的重复。 什么是骨骼设计? 骨骼设计是一种严谨、规范、理性的设计方法。骨骼的基本原理是将版面刻意按照骨骼的规则,有序地分割成大小相等的空间单位。 什么是变形骨骼? 变形骨骼是在骨骼设计的基础上变化发展而来的。在骨骼的基本形上,通过并合、取舍部分骨骼、寻求新的造型变化,它产生的造型无穷无尽,并且富有活力与生命,富有设计的魅力,

设计基础复习题库 带答案

设计基础复习题库 一、单项选择题(本大题共10小题,每小题2分,共20分)在每小题列出的四个备选项中只有一个是符合题

13. “新北京,新奥运”宣传画的设计者是【A 】 A. 陈幼坚 B. 韩美林 C. 松永真 D. 陈绍华 14. 《读者》的刊徽的形象是一只【 B 】 A . 蜻蜓 B. 蜜蜂 C. 青蛙 D. 蝴蝶 15视觉识别系统的简称是【D 】 A. “AI” B. “MI” C. “CIS” D. “VI” 16.欧洲现存最大的教堂是莱茵河畔的【 C 】 A. 亚琛大教堂 B. 哥特大教堂 C. 科隆大教堂 D. 亚眠主教堂 17.文人参与后,中国园林所追求的最高境界是【C 】 A. 天人合一 B. 道法自然 C. 诗情画意 D. 如歌如画 18. 被巴黎法兰西学院教授儒莲称为“技术百科全书”的是【A 】A.《天工开物》 B. 《考工记》 C. 《矿冶全书》 D. 《周礼》 19. 丹麦家具设计的最大特点是【 A 】 A. 简洁实用 B. 富丽堂皇 C. 色彩丰富 D. 沉稳大气 20.下列属于3D动画制作软件的是【 A 】 A.3dsmax B. Coreldraw C. Dreamwaeave D. Flash 21. “新包豪斯”学校的创建者是【B 】 A. 法宁格 B. 莫霍伊·纳吉 C. 康定斯基 D. 克里 22.下列不属于设计艺术美特点的是【 C 】 A. 功能美 B. 形式美 C. 结构美 D. 文化美 23. 人们一般将企业行为识别称作【D】 A. AI B. VI C. CI D. BI 24. 下列不属于招贴分类的是【C】 A . 社会公共招贴 B. 文化体育招贴 C. 娱乐资讯招贴 D. 商业招贴 25下列属于现代设计艺术的是【D 】 A. 展示设计 B. 企业形象设计 C. 标志设计 D. 个人形象设计

日本文化概论及答案

『日本文化概論』の試験問題 一、次の_の部分にもっとも適切なものを入れてくだい。 (毎_は2点、全部30点) 1、日本文化の基本的な特徴は_と_。 2、_が『十七条憲法』を発布した。 3、日本は_年に始まる大化の改新をした。 4、平安初期の『三筆』の_、_、_が日本書道史上代表的な人物である。 5、日本は710年に遷都した_も794年に遷都した_も、長安をモデルにして作った都である。 6、_のルソーの『社会契約論』を翻訳、解説した『民約訳解』が広く読まれ、東洋のルソーと呼 ばれた。 7、804年、_が入唐して天台宗を学び、翌年帰国して_を拠点に天台宗を説き広めた。 8、日本陽明学は反体制と_の特色がある。 9、普通、_、伊藤仁斎、_は日本古学派の三人の代表者と見なされている。 二、次のセンテンスを判断し正しいものに○、違っている ものに×をつけなさい。(10点) 1、中国との交流の中で大規模に系統的に中国文化を吸収したのは、推古天皇の時期であった。()

2、日本は隋唐文化を吸収するとき、中国の科挙制も取り入れた。() 3、飛脚は江戸時代信書、金銀、貨物などの送達を業と押してひろめした者。() 4、最澄が天台宗を、空海が真言宗を中国大陸から学び新しい日本的な仏教として広めている。 () 5、江戸幕府が1612年に禁教令を出したけど、明治政府が1873年に禁教令を解いた。()三、次に問題を答えなさい。(30点) 1、日本文化がよく外来文化を吸収し得た理由としていくつかの要因が挙げてください。 2、日本家族内で兄弟の間『本家』と『分家』は中国の兄弟関係と同じですか。 3、日本の年功序列制について自分の考えを書きなさい。 四、論述(30点) 1、日本企業の特色の一つの終身雇用の利弊を述べてください。 2、日本の儒学、中国の儒学とは異なる。認識論の面と論理面から述べてください。

2017年自考《文化概论》复习试题及答案【三篇】

2017年自考《文化概论》复习试题及答案 【三篇】 导读:本文2017年自考《文化概论》复习试题及答案【三篇】,仅供参考,如果觉得很不错,欢迎点评和分享。 【文章一:练习题】 1.魏晋南北朝佛家教义的流行前期为主的是( ) A.般若学 B.涅盘学 C.禅宗 D.密宗 2.中国古代宗法制度的基础是( ) A.血缘 B.地缘 C.亲亲 D.同门 3.中国古代专制时代控制人身自由的最基层的组织形式是( ) A.什伍里甲制度 B.郡县制度 C.户籍制度 D.宗法制 4.中国历第一部初具规模的封建法典为( ) A.《刑书》 B.《法经》 C.《秦律》 D.《汤刑》 5.以物比德属于( ) A.整体思维 B.伦理思维 C.辨证思维 D.类比思维

6.佛教的创始人是( ) A.张道陵 B.葛洪 C.释迦牟尼 D.孔子 7.中国封建伦理规范的法则为( ) A.三纲 B.五常 C.五伦 D.十教 8.在现代中国的56个民族中,除汉族外,有代表自己语言文字的民族有( ) A.24个 B.25个 C.26个 D.27个 9.有历史记载的从事汉字规范的第一人是( ) A.炎帝 B.黄帝 C.仓颉 D.孔子 10.历第一次由中央政府领导的正字运动是秦代的( ) A.《说文解字》 B.书同文 C.文字神赐 D.圣人造字二、多项选择题(在每小题的五个备选答案中有二个至五个正确的答案,将所有正确答案的序号写在题干的括号内。错选、多选、漏选均不得分。每小题2分,共16分) 1.在商代,宗教崇拜的对象大体有( ) A.佛 B.上帝 C.超自然神 D.天地神祗 E.祖先神 2.察举是一种由下向上选拔官吏人才的制度,其中最的三科为( )

(完整版)自考课程平面设计及答案

《平面广告设计》 作业题 学生姓名: 学生身份证号: 学生准考证号: 完成作业时间: 一、单项选择题在每小题列出的四个备选项中只有一个是符合题目要求的,请将其代码

填写在题后的括号内。错选、多选或未选均无分。 1.在造型上所谓比例是指( B ) A.长度的比率 B.量的比率 C.宽度的比率 D.面积的比率 2.广告与受众进行交流和沟通的基础是【 B 】 A.听觉形式 B.视觉形式 C.嗅觉形式 D.触觉形式 3.均衡的最佳状态是指【 B 】 A.平衡 B.对称 C.安定 D.静止 4.交通信号灯红色表示停止、绿色表示放行,是色彩的【 C 】 A.影响情绪作用 B.增强识别力作用 C.传达理念作用 D.增强记忆力作用 5.在葡萄牙,象征君主的颜色是【 C 】 A.黄色 B.红色 C.青色 D.黑色 6.首先总结出字体图形风格的基本设计原理的是【 C 】 A.泰奥·巴尔默 B.马克斯·比尔 C.厄斯特·凯勒 D.霍夫曼 7.在photoshop中的通道数共有【 B 】 A.8 B.16 C.32 D.64 8.石版印刷开始用来印刷商品招贴广告是在【 A 】 A.1812年 B.1822年 C.1832年 D.1842年 9.在平面广告中出版量最大、传播范围最广的是【 A 】 A.报纸广告 B.招贴广告 C.杂志广告 D.邮寄广告 10.一个人在沙漠中狂饮某品牌饮料的镜头使人们记忆深刻。这是利用了联想的【 B 】A.接近律 B.对比律. C.相似律 D.因果律 11.货币的印刷工艺是【 D 】 A.网版印刷 B.平板印刷 C.凸版印刷 D.凹版印刷

12.广告色彩对比中最基本的对比关系是【 C 】 A.位置对比 B.质感对比 C.明暗对比 D.主从对比 13.最早的广告视觉传播形式为【 C 】 A.报纸广告 B.图形广告 C.招贴广告 D.文字广告 14.造成视觉不随意运动的原因是【 B 】 A.主体内在要求 B.环境变化 C.刺激强烈 D.广告具新异性 15.广告的文本和画面面积与整页面积的比例关系称为【 B 】 A.分辨率 B.版面率 C.页面率 D.图文率 16.广告创意过程中联想的种类有【 C 】相关联想,相似联想,相反联想,因果联想 A.2种 B.3种 C.4种 D.5种 17.用过去感知的材料来创造新的形象指的是【 D 】 A.分析 B.联想 C.记忆 D.想象 18.非常适合于文字、页码较多的刊物,如杂志、图书等组页排版的软件是【 D 】A.Photoshop B.Illustrator C.Freehand D. Pagemaker 19.枪管变弯、酒瓶口变成管弦乐器,这是一种【 A 】 A.物的自身变异设计 B.物的反复设计 C.反透视设计 D.多物合一设计 20.格式塔心理学家们的理论认为,认知的基本因素是【 C 】 A.统一 B.均衡 C.归类 D.对比 21.广告的目的是( C )。 A.广告是一种有目的、有计划的活动; B.广告的对象是消费者、公众、用户,活动主体是广告主;

丝绸文化概论

浅谈中国古代丝绸的地位和作用 论点:研究丝绸文化的作用 摘要 丝绸文化是人们在丝绸生产和生活实践过程中所创造的物质财富和精神财富的总和,至今已有五、六千年的历史。丝绸文化作为一门独立的文化,与中国古代文化的发生发展有着密不可分的关系。丝绸文化一直是中华民族文明的先导,为中华民族文化织绣了光辉的篇章[1]。世界丝绸文化起源于中国,汉武帝时期开辟的“丝绸之路”把中国丝绸商品源源不断地运往世界各地的同时,也把中华民族的伟大创造——丝绸文化带到了世界各地,推动了中国和世界各国在政治、经济、文化、科技、社会和日常生活等方面的交流与发展。丝绸是中华民族与世界各国人民进行交流的友好使者,对促进人类文明作出了不可磨灭的贡献[2]。研究丝绸文化,既有利于我们把握丝绸文化的发展脉络,又有利于我们发掘丝绸文化对我国新时期发展所能发挥的现实意义。 重点词:丝绸文化中国作用 丝绸文化的作用: 1.促进了纺织业的发展 丝绸文化对纺织业的促进作用是非常明显的。本土的丝绸文化反作用于本土的纺织业,使其在原来的基础上进行了一系列的创新与改革,从而提高了劳动生产效率,创造出新的织物类型,进一步丰富了丝绸文化。 外来丝绸文化对本土纺织业的发展与革新所产生的作用更为巨大。中国的丝绸进入欧洲各国后,各国君主们纷纷建立与发展本国的丝织业。在此过程中丝绸文化的传播不是简单的复制,而是不断完善、不断丰满的。例如西欧抽丝织绸工人把他们丰富的想象力和对色彩的感受,融于中华民族祖先的创造力之中,使纺织技术日益精湛、科学,成为近代工业的先导。正是由于这种极富创造性的糅合,极大地丰富与促进了纺织技术的发展。国外丝绸文化形成后又反馈

北京自考日本国概况课后练习_中文翻译

一,日本的地理 1,日本位为亚洲大陆东边,被太平洋/日本还所包围。和大陆之间由浅的大陆架连接。 主要由北海道,本州,四国,九州组成。西邻朝鲜半岛/中国。 2,★日本所处的位置不会卷入大陆的政治变动中,相反具有吸收大陆文化的有利地形。 因此日本建国以来即保持固有的文化,又吸收外来文化融合成自己独有的文化。 3,日本国土面积:38万平方公里。人口:1亿2628万人。人口多分布在太平洋沿海平原。人口在100万人以上的城市有11个。 4,东京总人口:1158万人,位居世界第5位。东京位于日本中部。平均气温:15.3摄氏度 5,★日本列岛位于环太平洋上,火山活动也很活跃。所以经常发生地震。 6,日本两大地震:1923年关东大地震。1995年阪神/淡路大地震。 7,★日本气候温暖,各地域温差很大,四季变化明显。由于这种气候特征造成夏秋季雨和台风都很大。 8,日本山地面积占总面积的70% 9,日本阿尔卑斯山位于本州的中部,高3000米。 10,日本有60个活火山。 11,★日本的河流短而急。急流用于水利发电,影响:引发洪水。 12,★霞ケ浦是由砂丘和砂州与外海分离出来的。 13,★因为日本地域差别显著所以造成了植物生态复杂而多极化。 14,能看到针叶树的地方是包含北海道的北部。温带落叶树很多的地方是从日本中部到九州的平地。 15,日本人喜欢的话是樱花。樱花季节从冲绳开始北上。因此如果北上旅行的话三个月都可以观赏到樱花。 16,日本的动物分为寒带性动物和热带性动物。北海道:棕熊;本州:狐狸,狸,鹿,山鸡。 17,北海道有日本猴。在雪天也可以看到猴子的地方是青森县。 18,1996年度汽车的旅客输送量和货物输送量所占比例最大。 19,日本铁路全长2万300公里,其中JR占80%。 20,东海道新干线是1964年建成。从东京到福冈。 21,现在日本有3条新干线。东海道?山陽新幹線;東北?山形?秋田新幹線;上越?

《电脑印刷设计》2014.4自考本科考卷

绝密★考试结束前 浙江省2014年4月高等教育自学考试 电脑印刷设计试题 课程代码:10132 请考生按规定用笔将所有试题的答案涂、写在答题纸上。 选择题部分 注意事项: 1. 答题前,考生务必将自己的考试课程名称、姓名、准考证号用黑色字迹的签字笔或钢笔填写在答题纸规定的位置上。 2. 每小题选出答案后,用2B铅笔把答题纸上对应题目的答案标号涂黑。如需改动,用橡皮擦干净后,再选涂其他答案标号。不能答在试题卷上。 一、单项选择题(本大题共15小题,每小题2分,共30分) 在每小题列出的四个备选项中只有一个是符合题目要求的,请将其选出并将“答题纸” 的相应代码涂黑。错涂、多涂或未涂均无分。 1.中国标准书号由标识符ISBN和_______位数字组成。 A.10 B.11 C.12 D.13 2.利用图文部分明显高于空白部分作为印刷工作原理的是 A.凸版印刷 B.凹版印刷 C.平版印刷 D.孔版印刷 3.印刷原稿可分为彩色原稿和 A.线条原稿 B.连续调原稿 C.图像原稿 D.黑白原稿 4.在印刷的CMYK图像中,当Y的百分比为70%,100%的M及50%C多的网点三色组合则会得到 A.胭脂红色 B.草绿色 C.柠檬黄色 D.黑色 5.色彩渐变,制版称之为_______,就是在指定的面积里,体现有规律的,由深至浅的印刷效果。

A.化网 B.挂网 C.撞网 D.去网 6.特殊网屏常用的有沙目网屏、波浪网屏、直线网屏等,是印刷设计人员进行_______的重要手段之一。 A.快速拼版 B.增加网目 C.文本处理 D.图形创意 7.多图层文件便于排版和以后文件再修改,应该选择存储图像格式是 A.JPEG B.GIF C.BMP D.TIFF 8.电子分色版中,如有大面积的厚重底色和光泽色时,就需设置 A.分色版 B.专色版 C.黑色版 D.品红色版 9.下列属于色版创意因素的有 A.线图版描绘 B.拆色工艺 C.贴花纸印刷 D.色版重换 10.印刷工艺中,为了增加文字和图片的鲜艳度和浮雕感的是 A.过胶 B.印金银 C.UV印刷 D.压纹 11.为了避免“撞网”,四色胶印的印版网线分别采用不同的 A.粗细线条 B.颜色 C.角度 D.形状 12.雕刻凹版印刷可用于印刷 A.教科书 B.海报 C.立体图象 D.邮票 13.在实际的应用中,使用陷印的规则是青色和_______对等地相互扩张。 A.黄色 B.品红色 C.黑色 D.白色 14.分辨率的单位是 A.dpc B.ppc C.lpi D.dpi — 2

日本文化概述

日本文化概述 日本独特的地理条件和悠久的历史,孕育了别具一格的日本文化。樱花、和服、俳句与武士、清酒、神道教构成了传统日本的两个方面——菊与刀。在日本有著名的"三道",即日本民间的茶道、花道、书道。 中国传入日本的格斗运动。空手道不使用任何武器、仅使用拳和脚,与其它格斗运动相比,是一种相 当具有实战意义的运动形式。 合气道原来只是一种用于练习“形式”的运动,其基本理念是对于力量不采用力量进行对抗。与柔道和空手道等运动相比,没有粗野感的合气道作为一种精神锻炼和健身运动,很受老年人和女性的欢迎。 书道,提起书法,相信不少人会认为它是中国独有的一门艺术。其实,书法在日本不仅盛行,更是人们修行养性的方式之一。古代日本人称书法叫「入木道」或「笔道」,直到江户时代(十七世纪),才出现「书道」这个名词。在日本,用毛笔写汉字而盛行书法,应当是在佛教传入之后。僧侣和佛教徒模仿中国,用 毛笔抄录经 能剧是日本的传统戏剧,也是世界上现存的最古老的戏剧之一。能剧源于古代舞蹈戏剧形式和12世纪或13世纪在日本的神社和寺院举行的各种节庆戏剧。“能”具有才能或技能的意义。演员通过面部表情和形体动作暗示故事的本质,而不是把它表现出来。现在这一剧种在日本仍具有顽强的生命力。 寿司是以生鱼片【刺身(さしみ)】、生虾、生鱼粉等为原料,配以精白米饭、醋、海鲜、辣根等,捏成饭团后食用的一种食物。寿司的种类很多,不下数百种,各地区的寿司也有不同的特点。大多数是先用米饭加醋调制,再包卷鱼、肉、蛋类,加以紫菜或豆皮。吃生鱼寿司时,饮日本绿茶或清酒,别有一番风 味。 日本文化史 日本文化有无自己的根?回答是肯定的。尽管日本文化在其形成和发展中,始终以到如得的外来文化为媒介,但它毕竟尽有自己的根。日本文化如同一棵树,它的根深扎于日本国的风土上。若究其缘起,则可上溯到公元前数千年的绳纹时代。“绳纹文化与后来的弥生文化、古坟文化,是日本原出文化的三个时期。” 日本历史始于石器的出现,绳纹时代即是日本的石器时代。考古发掘出的那个时期的陶器表面带有丰富多彩的草绳模样,史称绳纹陶器。绳纹陶器历史久远,外观渐趋复杂,花纹日益丰富多彩,说明其时陶器工艺的成熟以及石器加工的发达。尽管当时日本已经处于新石器时代,但因岛国的地理位置,致使当时欧亚大陆的先进文化未能进入日本。绳纹人群居坚穴,仍以捕鱼、狩猎、采集为生,不知农耕。生产力的滞后,亦使其当时社会滞留在母系氏族公社阶段。巫术支配人们的原始社会生活,也支配着人们的精神生 活。 大约在公元前2世纪至公元3世纪,日本历史进入弥生时代。考古学家在东京都文京区弥生町发掘出不同绳纹陶器的新式陶器,史称弥生陶器,史称弥生文化。弥生陶器器形简单,花纹也不繁杂,与绳纹陶器迥然不同,反映出一种新的审美情趣。一般认为,弥生陶器是从海外输入的,即可能是从大陆迁入的民族带去了新的弥生文化。新的文化虽然战胜原有的绳纹文化而成为日本文化的主流,但外来人终被原住居民所同化,日本民族并未因之而断续。弥生时代的生产力有了很大的提高,这是因为先进的大陆文明经由朝鲜半岛传到了日本,促经日本很快进入以稻作农耕经济为主的农耕社会,石器时代进入了铁器时代。弥生人从事农耕,种植粮食,共同劳动逐渐形成大的村落,父系社会制度取代了母系制度,阶级差别、政治支配关系也逐渐形成。当时,自然崇拜和巫术迷信依然支配着人们的精神生活,特别是农耕祭祀活动盛行, 成为弥生文化的一大特征。 从公元三四世纪到六七世纪,以畿内为中心,全国各地建造了许多以前方后圆坟为代表的高冢古坟,标志着日本由弥生文化进入古坟文化的时代。古坟的建筑需要征集大批劳动力,坟内陪葬有镜、剑、勾玉等精致工艺品,象征着死者生前拥有强大权力。这与一般民众死后的简易安葬形成鲜明对照,说明强大的专制集权已经形成,即以畿内为中心的大和国终于在5世纪初统一了日本。这个时期,日本从大陆不仅源源不断地输入物质文明,而且开始导入大陆的精神文明。一方面,移居日本的汉人和朝鲜人即所谓“归化人”

广外日本社会文化历年试题

一、次の言葉を説明しなさい。(4*5点=20点) 1.铜剣 2.公地公民製 3.院政 4.俳諧 二、次の質問をよく考えて、自分の言葉でまとめて簡潔に答えなさい。 5.冠位十二階が実施された目的 6.荘園経済は当時の政治にどんな影響を与えたか 7.室町文化の特徴は何か 8.江戸幕府幕府は17世紀初頭にどのような貿易政策を実施するか 9.近世日本の蘭学はどのような学問か 2006年10月日本文化 一、是名词解释共20分 1.铜镜 2.遣唐使 3.古文辞学派 4.軍記物語 一、是简答题每题15分 1.いわゆる三種の神器どのようにできたのか 2.鎌倉の仏教はどんな特徴がありますか 3.鎖国令の目的は何ですか 4.南蛮文化は日本にどんな影響がありますか 5.町人文化の形成された背景は何ですか 2007年10月日本文化 一、名詞解釈 1.銅鐸 2.大化の革新 3.摂関政治 4.古義学派 二、次の質問をよく考えて自分の言葉でまとめて簡潔に答えなさい。(80点) 5、日本人の起源について現在までにどのような学説が唱えられてきたか。(15点) 6、いわゆる「国風文化」をどう見るべきか? 7、室町時代の「勘合貿易」が中日両国の文化にどんな影響を与えたか。 8、近世初頭の禁教政策が実施された背景は何か。(15点) 9、近世日本の庶民文化を支えた条件は何か。(20点)

一、次の言葉を説明しなさい。(4*5点=20点) 1.大森貝塚 2.卑弥呼 3.悪人正機 4.垂加神道 二、次の質問をよく考えて、自分の言葉でまとめて簡潔に答えなさい。 5.縄文時代の土偶は何のために用いたと考えられているのか。(15点) 6.遣唐使が派遣された目的は何か。(15点) 7.12世紀ごろ、日本と宋との間で行われた日宋貿易の目的は何か。(15点) 8.室町文化の特徴は何か。(15点) 9.近世日本における朱子学はどんな地位にあったか。(20点) 2008年10月广外日本文化 一、名词解释(5点×4=20点) 1、渡来人 2、邪马台国 3、浮世绘 4、三经义疏 二、下記質問を答えなさい。 1、縄紋人の生活様式は何ですか。(15点) 2、元禄文化の特徴は何ですか。(15点) 3、天平文化が世界性があるというのはなぜですか。(15点) 4、摄関政治は何ですか。(15点) 5、勘合貿易とは何ですか。(20点) 2009年10月日本社会文化 一名詞解釈5点*4点=20点 1.貝塚 2.法隆寺 3.鑑真 4.勘合貿易 二答え問題(5-8は15点*4=60点9は20点*1=20点) 5.縄文文化の特徴について述べてください 6.弥生時代の金属文化について述べてください 7.大化の改新は古代日本にどんな影響を与えた? 8.親鸞の悪人正機の説について述べてください 9.室町時代の能楽と狂言について述べてください

自学考试系列书籍装帧设计真题

2010年4月高等教育自学考试 系列世纪装帧设计试卷 (课程代码05546) 本试卷满分100分,考试时间240分钟 一单项选择(本大题共5小题,没题1分,共5分) 1.中国书籍装帧的萌芽时期是【B 】 A.远古时期 B.春秋时期 C.东汉时期 D.西汉时期 2.以下不属于书籍形态的物质构成因素是【D 】 A.纸张 B.粘合剂 C.材料 D.裁切 3.书籍的封面设计是书籍装帧整体设计的一部分,他必须具有【A 】 A.广告性 B.特殊工艺性 C.特殊材料性 D.主观性 4.通过测试证明最佳行宽是【B 】 A.70—80毫M B. 80—100毫M C. 80—90毫M D. 90—100毫M 5.纤维结构疏松,表面无光泽的书刊纸适宜作【B 】p123 A.凹印印刷 B. 凸印印刷 C. 拼印印刷 D. 胶印印刷 二、填空题(本大题共6空,每空2分,共12分) 6. 书籍装帧中的插图具有从属性,没有书籍的文字内容就没有插图可言。 7. 胶印印刷彩色图片,分红、黄、蓝、黑四个版印刷,制版是对图片的色彩分解,印刷时吧分解的色彩组合起来。 8. 书籍页面与页面的转换要保持视觉元素的连续性, 就需书籍本身的版面语汇来完成。 三、名词解释(本大题3分) 9. 精装书 四、简答题(本大题共2小题,每小题5分,共10分) 10.如何对全书版面进行整体控制?P43 1)通过黑白\色彩\空与满\图与文的节奏变化来控制 2)由网格分割来实施风格统一性. 3)由开本制约版面 11. 挑选书籍的纸张应注意哪些方面?p123

(1)纸张表面 (2)纸张厚薄 (3)纸张纤维结构方向 (4)纸张规格 2010年1月高等教育自学考试 系列世纪装帧设计试卷 (课程代码05546) 本试卷满分100分,考试时间240分钟 一单项选择(本大题共5小题,没题1分,共5分) 1.东汉以后,书籍装帧形成卷轴的艺术形式是由于【B 】 A.印刷术的发明 B.造纸术的发明 C.木活字的发明 D.铅活字的发明 2.书籍装帧艺术的出发点和终点是【D 】 A.纸张 B.设计 C.工艺 D.阅读 3.书籍装帧设计的核心部分是【D 】 A.色彩设计 B.文字设计 C.图形设计 D.版面设计 4.一般性读物与版心在版面面积中的比例为【A】 A.2:3 B. 3:2 C.1:3 D. 3:1 5.书籍物态是有什么构成的【A 】 A.材料和工艺 B. 文字和插图 C. 版面和色彩 D. 平印和凹印 二、填空题(本大题共6空,每空2分,共12分) 6. 书籍装帧导入插图有两个目的:一是出于书籍的形式美,增加读者兴趣,二是弥补文字表达的不足,帮助读者对书籍内容的理解. p43 7. 凹印是极不普通的印刷工艺,因其造价高,一般用于艺术品和票证的印刷。 8. 书籍封面、环衬、扉页等可以根据书稿主题对文字排列的上下左右位置、色彩跳动关系以及纸张 材料 的穿插,营造与书稿相宜的气氛。 三、名词解释(本大题3分)

自学考试广外日语本科日本社会文化-真题

2008年1月自学考试广外日语本科-日本社会文化试题 一、次の言葉を説明しなさい。(4*5点=20点) 1. 大森貝塚(かいづか) 東京都大田区山王の縄文後期の貝塚、1877年、アメリカの生物学者のモースが発見、発掘(はっくつ)し、多数の土器、石器、骨角器が出土され、日本における最初の学術調査で、日本考古学発祥(はっしょう)である。 2. 卑弥呼三世紀ごろの邪馬台国の女王。「魏志倭人伝」によれば、30余国を統治し、239年に魏の明帝に朝貢し、親魏倭王の称号と金印とを受けたとされる。 3. 悪人正機阿弥陀仏の本願である救いは、悪人こそ受けられるものであるという説。浄土真宗の真髄とされる。 4.垂加神道山崎闇斎の首唱した神道説。天道?人道一元の思想(天人唯一)を根本に、唯一神道?吉川神道など諸家の神道を集大成し、儒学上の造詣を加えて、陰陽五行の理を経とし、居敬窮理(きよけい)の説を緯とし、その説の権威を日本書紀神代巻に求め、皇室守護を本旨とする。 二、次の質問をよく考えて、自分の言葉でまとめて簡潔に答えなさい。 5. 縄文時代の土偶は何のために用いたと考えられているのか。(15点) 土偶は、単なる飾り物や玩具(がんぐ)などではない。縄文時代人の内面的な生活に深いかかわりをもつものであったろう。乳房や妊娠した状態は、女性とりわけ母性を意識したものである。このことから、動植物の繁殖、豊饒(ほうじょう)を祈願することなどに結び付ける考えがある。また、土偶が完全な形で発見される場合はきわめて尐なく、たいていどこかの部分が欠損している。これについては、病気やけがなどの身代りであったとする解釈が聞かれる。、土偶が遺骸{いがい}を埋葬した墓壙{ぼこう}内から出土した例も報告されている。この場合には副葬品だといわれる。 6. 遣唐使が派遣された目的は何か。(15点) 1、当初の遣唐使の主目的は、唐の制度?文物を導入することにあった 2、奈良時代に入ると、おもに政治外交上の使命を帯びて派遣されることが多くなった 3、奈良時代末以降になり、政治外交上の使命が薄れてくると、僧侶{そうりょ}の留学および貿易的利益を目的として派遣されるようになっていった 7. 12世紀ごろ、日本と宋との間で行われた日宋貿易の目的は何か。(15点) a、貿易をおこなおうという意図があったことは明らかですが、必ずしも私利私欲のためだけではありませんでした。積極的な貿易政策は、地域の武士の流通経済活動に道を開くうえでも意義がったといわれています。貿易の富のみならず、西国における在地領主への支配力強化というねらいもあったのです。 b、日宋貿易によって輸入された文物は宮廷や一般社会に尐なからぬ影響を与えました。 (当時、女真族が建てた金国の圧迫を受けて、国内の主要な金の産出地であった東北部を押さえられていた南宋にとって、日本は金の重要な調達先だったのです。) c、宋銭の流入によって、経済を活発化する。 d、日宋貿易は従来の経済活動を転換させ、日本が広大な東アジアの貿易圏に組み込まれていく先駆けになった。

自考【版式设计】复习题

自考【版式设计】复习题

自考【版式设计】复习资料 名词解释 1.立体主义:具有主张模仿客观对象,重视艺术的自我表现,对具体对象分析、重构和综合处理的特征。 2.未来主义:即编排无重心无主次、杂乱无章、字体各异的散构,甚至完全散乱的无政府主义的形式。 3.达达主义:强调自我,反理性,认为世界没有任何规律可遵循,所以表现出强烈的虚无主义特点;随机性和偶然性,荒诞与杂乱。 4.超现实主义:认为社会的表象是虚伪的,创作的目的是重新寻找和了解社会的实质,认为无计划的,无设计的下意识或潜在思想机动更真实,如用写实的手法描绘、拼合荒诞或虚无的幻觉。 5.现代主义设计:现代主义的特点是理性主义,“功能决定形式”不是一种风格,而是一种信仰。

现代主义最鲜明的主张是:“少则多”。它反对装饰的繁琐,提倡简洁的几何形式。 6构成主义:构成主义设计将抽象的图形或文字作为视觉传达的元素和符号进行构成设计,版面编排常以几何的形式构成,同时也带有未来主义、达达主义自由拼合、无序的特点。但在整体上构成主义更讲究理性的规律,强调编排的结构、简略的风格以及空间的对比关系。 7.风格派:荷兰风格派的思想和形式来源于蒙德里安的绘画探索。他以高度理性、数字化的逻辑思维来创造和谐的新秩序,画面上简洁到只有纵横的几何形方块和鲜明的色块。 8.包豪斯:包豪斯的平面设计思想及风格具有强调科学化、理性化、功能化,减少主义和几何化的特点,注重启发学生的潜在能力和想象力,注重字体设计,采用无线装饰字体和简略的编排风格。 9.国际主义平面设计风格:国际主义风格在平面

上的贡献是研究出了骨骼排版法,即将版面进行标准化的分割,将字体、插图、照片等按照划分的骨骼编排在其中,取消编排的装饰,采用朴素的无线装饰字体,采用非对称的版面编排。特点是高度的功能化、标准化、系统化。其反装饰的排版风格,简明扼要的视觉形式,有利于国际化的视觉传达功能, 10.后现代主义的设计风格:后现代主义的整体思想体系是全面的否定与反讽传统的一切文明,主张强调自我感受。他们“对人类自古典文明以来的传统艺术进行了全面的、革命的、彻底的改革,完全改变了视觉艺术的内容、形式和服务对象”。使版面获得趣味与韵味,充满活跃、纷乱、生动的特点,后现代主义是一种思潮,一种趋势以及一种设计观念。 什么是点?:将单位面积比较小的称其为点。 什么是线?:线是点的移动轨迹。

日本概论

第一章 1日本位于亚洲大陆东侧,南北方向狭长约3000公里,是一个呈弧状的岛国。 2日本国土面积37.8万平方公里,相当于中国的1/25 3领土由本州、北海道、九州、四国四大岛屿和7000多个小岛屿组成。 4日本与亚洲大陆之间是日本海,日本与美洲大陆之间是太平洋。 5日本大部分地区属于温带海洋性气候,四季分明 6南北气候差别很大 7日本安倍延伸3000公里,各地气候存在明显差异北纬35度以南属季风型亚热带森林气候;本州北部及北海道属季风型温带针叶林气候;其余广大地区属季风型温带阔叶林气候。 8日本是多山的国家,山地约占全国面积的76% 9著名的富士山,海拔3776米,是一座休眠火山,也是全日本最高峰。 10纵贯本州中部的飞、木曾,赤石三条山脉被称为北、中央、南阿尔卑斯山,也统称为日本阿尔卑斯山。 11日本位于太平洋西岸火山地震带,是一个多火山的国家。 12地震频繁 13平原仅占国土面积的24% 14日本河流短小,水量充沛,落差大。水势湍急,水力资源丰富,但不利于航行。 15全国最大的湖泊琵琶湖式构造湖 16最深的湖是田泽湖 第二章 1日本历史分为:原始、古代社会、中世社会、近世社会、近代社会、现代社会。 2水稻的广泛种植和铁器、青铜器的使用,是弥生文化的重要特征。 3公元57年,倭奴国王遣使赴汉朝贺,受赐“汉委奴国王”金印。 4日本没有文字。渡来人带来了汉字。 5随着文字的传入,儒学、道教、佛教等高度发达的学说、宗教也传入日本。 6 1192年源赖朝被任命为征夷大将军,镰仓幕府正式形成。 7 1333年镰仓幕府灭亡。 8 1868年(明治元年)3月,天皇发布“五条誓文”,表明了新政府的基本方针。 9新政府为了富国强兵,在政治、军事、文化等各方面实施了一系列维新改革,即“明治维新” 101889年发布《大日本帝国宪法》,是日本成为亚洲第一个立宪国家。 11近代天皇制国家体制的确立同时也标志着日本开始向帝国主义国家的转变 121894年7月27日甲午战争李鸿章与日本签订下《马关条约》 13日本为实现其独霸中国的野心,俞1915年向袁世凯提出“二十一条要求”,迫启承认。14“米骚动” 151937年7月7日,日军炮轰卢沟桥,进攻宛平城,制造了“七.七卢沟桥事变”,开始了全面侵华战争。 161940年3月,汪精卫在日本侵略者的支持下,在南京成立了伪国民政府 171941年6月,德国突袭苏联,第二次世界大站爆发。 181941年12月8日,日本联合舰队偷袭珍珠港成功,太平洋战争爆发。 191945年8月15日,日本无条件投降 201946年11月公布了《日本国宪法》。宪法的根本精神是主权在民。 211950年朝鲜战争爆发,美国为了重新武装日本,于1951年,是48国与日本单独和,签订了《旧金山合约》,宣布结束与日本的战争状态,恢复日本的主权,但美国仍可

自考日本社会文化详细复习资料

日本社会文化复习资料 一、岩宿文化(?~約8500年前) 縄文文化は、日本列島の全域にわたってみられる。それぞれの地域では特色をもちながら、日本列島全体としては似かよった内容をもち、そのころの朝鮮半島を含めた大陸の文化とは違う独自の文化を生んでいった。大陸から切りはなされている日本に、縄文文化は狩猟?採集の経済基盤のもとに独自に展開する。8,000年以上の長さを有する縄文時代は、主として縄文土器の研究から五つから六つの時期に分けて考えられる。 【土器】縄文時代の土器は、深鉢が基本的な形態となる。 【石器?骨角器等】縄文文化の道具は、磨製石器や釣針などの新しい遺物の出土が注目される。道具の製作に磨製の手法が多用されることも、この文化の特徴であろう。 【住居と集落】縄文文化は、定住集落をもつ周年的な生活を営む人々の文化であった。当時は竪穴住居が一般的であり、用材は樹木を磨製石斧で加工した。 【資源開発】集落の立地する場所によって、周辺の資源に差が生ずる。縄文文化期の生業は、植物採集?狩猟?漁撈活動を組み立ててのくらしであったから、食生活はそれぞれの集落ごとに独立しているもののバラエティーに富んだものである。 【集落の維持】また環状列石や配石群が各地に現われるのは、共同祭祀を行っての集団運営が存在したことをうかがわせる。 抜歯:通過儀礼に於いて敢えて特定の永久歯を抜く儀式が行われる場合がある。日本においては、縄文時代の土坑墓や貝塚から出土するヒトの頭骨において、健康な歯を抜いている事例の多いことから、抜歯が広く通過儀礼として行われていたことが明らかにされている。 二、绳纹文化(約8500年前~約2500年前) 貝冡 三、弥生文化(前3~3世紀) 銅鐸(どうたく)とは、弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器のこと。紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって作り用いられた祭器である。これまでに出土した銅鐸は全国で約500個である。銅鐸は近畿から東海地方にかけての地域で出土するという偏りがあった。 民族文化的形成 日本文化の始原的な形態は、やはり弥生時代に稲作農耕を基盤として形成されtことになる。大和朝延のもとに。仏教や中国の文物がさかんい輸入され、日本文化はこれらアジア大陸の文明の影響のとに成長。 四、古墳文化(4~5世紀) 1)古墳文化は、3世紀中葉から6世紀頃までの前方後に典型的な高塚墳墓が営造された時代の文化を指す。 2)古墳造営に象徴的意味は大和王権を中心とした古代統―国家形成期である 早期宗教特点 1)弥生時代以後の民族宗教は、農耕儀礼を本質とするものであるから、すべての呪術的行為が、終局には農耕の 順調な進行の保障とてある。 2)原始的な祭りは、臨時の施設けて祭りが終われば施設は撤去されたのであって、固定した建築施設を必要とし なかった。 3)(日本神的特点)人間の日常生活と密接な関係のあるへビ·シカ等の動物や自然物や人エ物まが、それぞれ呪力 と関係のあるものとして、神霊を媒介する力があると見られるとともに、それ自体が神である。 神社 一定の場所が祭場として反復使用されるにつれ、そこが神聖な地域として特別に取り扱われるようになり、やがてそこに神社が建築されることとなるのである。 埴輪 曰本の古墳の装飾として墳丘上あるいはその裾部に並べ置かれた土製品。円筒形をしている円筒埴輪と人物、家動物、器材などおかたどった形象埴輪の二つに区分される。

自考版式设计(04472)复习资料

版式设计FO R M AT DESIGN 04472 SERIES

第一章版面设计概述 一、版面设计概述 编排设计研究的是平面设计的视觉语言与艺术风格,在注重创意的同时,我们讲究编排的表现手段与形式风格的探索,使设计得以完美尽致的发挥。版面编排设计的范围涉及包装、广告、报纸、书籍、产品手册、宣传单、公关赠品、网页设计等各类平面设计。 二、平面设计的历史发展 20世纪的艺术主要经历了四个时期:第一个时期,主要以立体主义、未来主义、达达主义、超现实主义、装饰主义为代表;第二个时期以“一战”后兴起的俄国构成主义、荷兰风格派、德国包豪斯三个重要设计运动为代表;第三个时期为“二战”后50年代至70年代的国际主义主导设计风格;第四个时期为20世纪60年代开始的后现代主义平面设计表现形式以及电脑、网络多元化媒体传达。1.立体主义:主张不模仿对象,重视艺术的自我表现,对具体对象分析、重构和综合处理。对平面设计的影响表现为对版面构成的分析组合和对理性的规律探索。2.未来主义:主张对工业化极端膜拜和高度的无政府主义,反对任何传统艺术形式,蔑视社会文化、文明,极端的追求个性自由,探索在时间、空间与机械美学方面的表现。在版面编排上,未来主义鲜明的提出反对严谨正规的排版方式,提倡自由组合,甚至完全散乱的无政府主义形式;倡导“自由字体”毫无拘束的编排。 3.达达主义:强调自我,反对理性,认为世界没有任何何规律可遵循,表现出强烈的虚无主义特点:随机性和偶然性,荒诞与杂乱。 4.超现实主义:认为社会的表象是虚伪的,创作的目的是寻找和了解社会的实质,认为无计划的、无设计的下意识或潜在的思想动机更真实。 5.现代主义设计:特点是理性主义,“功能决定形式”不是一种风格,而是一种信仰,主张“少则多”,反对装饰的繁琐,提倡简洁的几何形式。现代主义在平面设计上做出了很大的贡献:①创造了无装饰线脚的国际字体为主体的新字体体系,并得以广泛应用。②在平面设计史上开始对简洁的几何抽象图形进行探索设计。③将摄影作为平面设计插图的形式进行研究。④将数学和几何学应用于平面设计的分割,为骨骼法的创造奠定了基础。 6.构成主义:将抽象的图形或文字作为视觉传达的元素和符号进行构成设计,版面编排常以几何形式构成,同时也带有未来主义、达达主义自由拼合、无序的特点。整体上更讲究理性的规律,强调编排的结构,简略的风格以及空间的对比关系。 7.风格派:高度的理性化,完全采用简单的纵横排版方式;字体完全采用无装饰线体;版面编排采用非对称方式,但追求非对称的视觉平衡;尝试在版面上进行直线的骨骼分割构成。 8.包豪斯:平面设计的思想及风格具有强调科学化、理性化、功能化,减少主义和几何化的特点,注重启发学生的潜在能力和想象力,注重字体设计,采用无线装饰字体和简略的编排风格。 9.国际主义平面设计风格:在形式上以“少则多”的减少主义的特征为宗旨,其特点是高度的功能化、标准化、系统化。缺点是过于严谨,版面单调、冷漠而缺乏生气。10.后现代主义设计风格:对现代主义、国际主义设计的一种装饰发展,反对“少则多”的减少主义风格,主张以装饰的手法来传达视觉上的丰富,而不是以单调的功能主义为中心。 第二章版面设计的编排构成 一、点的编排的构成 点的缩小起着强调和引起注意的作用,而点的放大有面之感。将首行放大起着引导、强调、活泼版面和成为视觉焦点的作用。 点在版面上的位置:1.当点居于几何中心时,上下左右空间对称,视觉张力均等,庄重,但呆板。2.当点居于视觉中心时,有视觉心理平衡与舒适感。3.当点偏左或偏右时,产生向心移动趋势,但过于边置会产生离心之动感。4.点左上、下边置,有上升或下沉的心理感受。 二、线的编排构成 点移动的轨迹为线。线的形态很复杂,有形态明确的实线、虚线,,也有空间视觉流动线。 线的分割:将多个相似或相同的形态进行空间等量分割,以获得秩序与美。图文在直线的空间分割下,获得清晰、有条理的秩序,同时求得统一和谐的因素。在骨骼分栏中插入直线进行分割,使栏目更清晰,更具条理,增强沉闷文字版面的弹性和可视性。通过不同比例的空间分割,版面产

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