日本历史 17) 伊能忠敬 ~歩いて作った日本地図~

scene 01 江戸時代に作られた正確な日本地図
私たちが暮らしている日本は、空から見るとどう見えるのでしょうか。インターネットを使えばかんたんにその様子を見ることができます。人工衛星からとった写真などを組み合わせ、最新の技術を使って作られた画像。まるで鳥になって空を飛んで見ているようです。一方、江戸時代に作られた地図。人工衛星からの写真に重ねてみると、ほぼぴたりと重なります。この日本列島の地図を作ったのは伊能忠敬(いのう?ただたか)です。飛行機も人工衛星もない江戸時代、どうやってこんなに正確な地図を作ったのでしょうか。

scene 02 50歳の決心
今から200年以上前、江戸時代の中ごろ、伊能忠敬は現在の千葉県で、酒づくりや米の売り買いなどはば広く商売をしていました。忠敬は小さいころから学問が好きで、たくさんの本を読んでいました。忠敬が読んでいた本が今ものこっています。天文や暦(こよみ)に関係する本です。50歳(さい)のとき、忠敬はある決心をします。商売を息子にゆずり、江戸に出ることにしたのです。好きな学問に打ちこむためでした。

scene 03 地球1周の長さを計算する
江戸に出た忠敬は、天文などを研究する幕府の学者の弟子になります。自分の家に星を観測する道具をそろえるほど熱心に学問に打ちこみました。そのころ忠敬自身が書き残した記録がのこっています。たくさんの地名や数字です。一体何を調べていたのでしょうか。それは、当時の日本ではわかっていなかった、地球1周の長さでした。忠敬の家と先生の天文台のあいだの角度ときょりから、地球1周分の長さが計算できると考えました。そこで行ったのが、きょりの測量と星の観測です。

scene 04 もっと広く測量したい
忠敬が始めたのは、歩くこと。自分の一歩の長さを決めて、きょりを測りました。歩いて測った結果、家から天文台までのきょりはおよそ2.5km。忠敬はさっそく地球1周の長さを計算し、先生に報告しました。しかし先生はその結果を認めません。江戸の中を測量した程度ではきょりがあまりに短く、正確な計算にはならないと言われたのです。もっと広く測量したい忠敬。しかし江戸時代はいろいろ決まりがあり、勝手にあちこち測量をするわけにはいきません。そこで忠敬はあることを幕府に願い出ました。

scene 05 蝦夷地の地図を作る
伊能忠敬が幕府に願い出たこと。それは蝦夷地(えぞち)、今の北海道を測量して地図を

作るということでした。そうすれば、蝦夷地に向かうとちゅうの長いきょりを測量できます。一方幕府は、当時蝦夷地にたびたびやってくるロシアなどの外国船の対応に頭をなやませていました。当時の地図を見ると、幕府は北海道の正確な形さえつかんでいなかったことがわかります。それでは外国船に十分に備えることはできません。幕府は蝦夷地の地図を作りたいという忠敬の願いを受け入れます。1800年、測量の旅が始まりました。

scene 06 すべて歩いてきょりを測る
忠敬はどうやって測量をしていったのでしょうか。まず目標を決め、そこまで歩いてきょりを測ります。「歩測(ほそく)」です。目標に着いたら、歩いてきた方角を記録します。忠敬はこれを何度もくりかえしました。ときには行く手をはばまれることもありました。沼地(ぬまち)のようなところでは歩いてきょりを測ることができません。そのような場所を忠敬はどう記録したのでしょうか。忠敬は正直に「不測量」と書きました。正確に記録を残そうという熱意が感じられます。忠敬の蝦夷地(えぞち)測量の旅は180日間におよびました。

scene 07 より正確な地図作りを
蝦夷地(えぞち)から帰ってわずか半年後、忠敬は次の測量を幕府に願い出、出発しました。このとき忠敬は、より正確な測量をするためにさまざまな道具を用意しました。なわに一定の間隔(かんかく)で印が付いている「間縄(けんなわ)」。「鉄鎖(てっさ)」とよばれる鉄の鎖(くさり)。鉄鎖を使うと、なわに比べてのび縮みが少ないため、より正確なきょりを測ることができました。こうした道具を使った測量の様子が絵にのこっています。測量に関わる人の数も増え、早く、正確な地図作りが可能になりました。

scene 08 測量の正確さへの熱意
忠敬の地図をよく見ると、実際に測ったところには赤い線が引かれています。岩場が続き、歩いて測量できない海岸線では、地図の海の中に赤い線が引いてあります。こうした場所では船を使ってなわを張り、測量したのです。「不測量」の場所をできるだけ少なくするためです。正確さへの熱意は、富士山でも見られます。忠敬の地図で富士山山頂に集中する赤い線。いろいろな場所から富士山が見える方向を測量しています。その数およそ300ヵ所にもおよびました。忠敬は、自分の測量に誤りがないか確認していたのです。

scene 09 地図にある星のマークは?
ここらでちょっと、「とびマ

ル」タイム! 今日のクイズを出すよ。伊能忠敬の地図をよく見ると、地名や記号が書いてある。船のような形は「港」のマーク。鳥居の形は「神社」。では、星のようなマークは何でしょう。1.測量がうまくいくようにお祈(いの)りをした場所。2.天気を調べた場所。3.天体観測をした場所。答えは…、「天体観測をした場所」だよ。忠敬は測量の旅のあいだ、夜は星を調べて、今いる位置を確かめたんだ。正確な地図を作るために、ねる間もおしんだんだね。わかった?

scene 10 夢をかなえた忠敬
1821年、ついに日本列島の地図が完成し、幕府に提出されました。「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」。この地図を作るために忠敬が歩いたきょりはおよそ4万km。地球1周分にもなりました。忠敬は正確な日本地図を作っただけではありません。知りたかった地球1周の長さもちゃんと調べています。忠敬の計算では、地球1周の長さは39,852km。現在、地球1周の長さとされている39,925kmとほとんど同じです。忠敬は地道に測量を続け、夢をかなえたのです。

scene 11 伊能忠敬の歩いた日本全図
忠敬が作った最もくわしい地図、「大図(だいず)」。奈良をえがいた大図には、法隆寺(ほうりゅうじ)や大名の城などがえがかれ、この時代の様子が伝わってきます。この大図を、野球場にすべて並べてみました。大図一枚の大きさは、およそたたみ一畳(いちじょう)分です。214枚が並んで、伊能忠敬の歩いた日本がうかび上がりました。

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