日本文学作品读后感
人间失格读后感范文(三篇)

人间失格读后感范文《人间失格》是日本作家太宰治的代表作之一,也是一部极具影响力的文学作品。
下面是一篇____字的读后感范文供参考。
《人间失格》是太宰治创作的一部小说,以第一人称的叙事方式呈现主人公红叶的内心世界和发展经历。
小说通过揭示红叶的自卑、自虐和自杀倾向,反映了现代人的精神困境和社会现实。
该作品以其深刻的主题、生动的叙事和真实的情感而广受赞誉,并成为太宰治最具代表性的作品之一。
小说以红叶的日记形式展开,通过红叶的自述,读者可以深入了解他内心的痛苦和困惑。
红叶是一个典型的现代人,有着普遍性的痛苦和困惑。
他常常感到孤独、无助和自卑,他对自己的价值和存在感产生了严重的怀疑。
在他的眼中,自己是一个失败的人,是一个无法融入社会的人。
他对自己没有信心,没有勇气,常常自我怀疑、自我谴责和自我厌恶。
在他看来,人间就是一个失格的地方,一个他无法适应和融入的地方。
小说通过红叶的经历揭示了现代人的精神困境和社会现实。
红叶身处的时代是个动荡不安的时局,社会的不稳定和道德的缺失使他感到无从依靠。
他在这个混乱的世界中努力寻找真实和正义,但往往被现实和社会规则所限制。
他渴望真诚地生活,渴望与他人建立真正的联系,但往往被外界的冷漠和自己的固执所阻碍。
他在寻找自我和他人之间的平衡中陷入了困境,最终决定以自杀的方式结束自己的生命。
小说通过红叶的自述和思考,表达了太宰治对人性的思考和对现实的反思。
他通过红叶讲述自己的故事,揭示了人性的复杂性和人类的痛苦。
他通过红叶的经历和内心矛盾,探讨了人生的意义和真理。
小说中的红叶被现实和社会体制束缚,他试图反叛和逃避这种束缚,但最终无法逃脱悲剧的命运。
太宰治通过红叶的遭遇,以及他对自己和他人的思考,提出了一系列深刻的哲学问题,引发了对人生和人性的深入思考。
《人间失格》以其深刻的主题、真实的情感和独特的叙事风格,给读者带来了强烈的震撼和共鸣。
小说中的红叶是一个特殊的人物,他虽然在现实中失败了,但他的内心世界让人感到深深的触动。
渡边淳一失乐园读后感

渡边淳一失乐园读后感《失乐园》是日本作家渡边淳一的代表作之一,也是一部备受争议的小说。
这部小说以其深刻的思想和对人性的探索而闻名,读后让人不禁深思人生和社会的种种问题。
小说的主要情节围绕着一个名叫柏原的男子展开。
柏原是一个有着复杂内心世界的人,他对于现实生活中的种种不满逐渐积累,最终导致了他的精神崩溃。
在小说中,柏原逐渐沉迷于自己创造的“失乐园”,这个“失乐园”成为了他的精神避难所,也是他逃避现实的方式。
然而,随着故事的发展,柏原渐渐发现自己无法逃避现实,他最终选择了面对自己的内心世界,接受现实,并试图寻找自己的出路。
小说中对于现实生活和内心世界的探讨让人深感震撼。
作者通过柏原的故事,揭示了人在现实生活中所面临的困境和挑战,以及人们对于内心世界的探索和追求。
柏原的“失乐园”不仅仅是他的幻想,也可以被视为每个人心中的一片净土,是对于理想生活的向往和追求。
然而,现实生活往往是残酷的,人们往往会在现实与理想之间产生矛盾和挣扎。
小说通过柏原的故事,让人深刻反思了人与现实之间的关系,以及人们对于内心世界的探索和追求。
除了对于现实生活和内心世界的探讨,小说还涉及了一些社会问题。
在柏原的故事中,读者可以看到现代社会中的一些普遍问题,比如人际关系的复杂性、社会的压力和焦虑、个人的困惑和迷茫等。
这些问题在柏原的故事中得到了生动的展现,让人深感触动。
通过柏原的故事,读者可以看到现代社会中的一些普遍问题,也可以从中得到一些启示和思考。
值得一提的是,小说的文学价值也是不可忽视的。
渡边淳一以其细腻的笔触和深刻的思想,刻画出了一个个生动的人物形象,展现了丰富的内心世界和复杂的情感。
小说的语言优美,情节跌宕起伏,让人读后回味无穷。
小说通过对于人性的探索和对于现实生活的反思,展现了深厚的文学底蕴,让人深感震撼。
总的来说,渡边淳一的《失乐园》是一部充满思想深度和文学价值的作品。
通过柏原的故事,小说探讨了人与现实生活之间的关系,对于内心世界的探索和追求,以及现代社会中的一些普遍问题。
《万叶集》读后感

《万叶集》读后感《万叶集》是日本古代文学的珍品,是日本文学史上最重要的诗集之一。
这部作品收录了从公元4至8世纪间的约4500首和歌,反映了当时的社会风貌、人们的生活和情感。
读完《万叶集》,让我感受到了日本古代文化的博大精深,也让我对人生、情感、自然等问题有了更深刻的思考。
在《万叶集》中,我深深感受到了日本人对自然的热爱和敬畏。
诗人们用细腻的笔触描绘了四季变化中的风景,表达了对自然的感慨和赞美。
他们将自然景色与人的情感融为一体,让人感受到了大自然的神秘和力量。
这让我想起了中国古代诗人们对自然的赞美,感受到了东方文化中对自然的共同敬畏和热爱。
除了自然,人情也是《万叶集》中的重要主题。
诗人们用简洁而深刻的语言描绘了人们之间的情感纠葛,表达了对爱情、友情、亲情的思考和感悟。
他们将自己的心情、情感融入到诗歌中,展现出了人性的复杂和多样性。
读着这些古老的诗歌,我仿佛能够感受到古代人们的情感和心思,让我对人际关系和情感问题有了更深刻的认识。
此外,《万叶集》中还包含了许多关于生活、人生的思考。
诗人们在诗歌中表达了对生活的感悟和对人生的思考,让我不禁思考起自己的生活和人生。
他们用简洁而深刻的语言描绘了人生的苦乐、悲欢,让我感受到了生命的脆弱和宝贵。
读完《万叶集》,我对生活有了更深刻的理解,也对自己的生活和人生有了更深入的思考。
总的来说,《万叶集》是一部充满智慧和情感的作品,它不仅反映了古代日本人的生活和情感,也让我们对人类的情感、生活和自然有了更深刻的认识。
通过阅读这部作品,我不仅感受到了古代日本文学的魅力,也对自己的生活和人生有了更深刻的思考。
希望更多的人能够读到《万叶集》,感受到其中蕴含的智慧和情感,让我们在阅读中感悟生活,思考人生。
《源氏物语》读后感

《源氏物语》是日本平安时代作家紫式部创作的一部长篇小说,被誉为日本文学的巅峰之作,也是世界上最早的长篇小说之一。
作品以日本平安时代的宫廷为背景,讲述了主人公源氏的一生经历。
读完这部小说,我被其细腻的情感描写和深刻的人性思考所打动。
作品中,紫式部以独特的女性视角,对人物的情感和心理进行了深刻的挖掘。
源氏作为一个贵族子弟,他的感情生活丰富多彩,但他内心却充满了矛盾和挣扎。
他对爱情的追求既充满了激情,又充满了无奈。
这种对情感和人性的细腻描绘,让我对人的情感世界的复杂性有了更深的理解。
《源氏物语》还以其对日本平安时代的社会生活的描绘而著称。
作品通过对宫廷生活的细致描写,展现了当时社会的风貌和人们的生活状态。
这让我对日本古代社会的等级制度和人们的生活方式有了更深的了解。
此外,作品中的自然描写也给我留下了深刻的印象。
紫式部通过对四季变化的描绘,展现了自然与人物命运的紧密联系。
这种对自然的细腻感受和对人物命运的深刻思考,让我对人与自然的关系有了更多的思考。
挪威的森林读后感范例(6篇)

挪威的森林读后感范例用了连天的时间读完日本作家村上春树的长篇小说《挪威的森林》,有一些不得不记下的感受,又担心记下的东西过于肤浅,然而怕又没有耐心,更多是怕没有时间继续读完第二遍,所以索性还是把自己可能尚未成熟的种种感受写落纸上。
可能是习惯使然吧。
这是一本很封闭的书,没有过多的去叙写那个时代的背景,而且,我对于日本的文化和历史又知之甚少,这就是我担心不能深入理解作品的一个原因。
我所说的封闭只是一个外界环境的封闭,而决非作品中典型人物心理上的封闭,相反,对人物的刻画上,它给了我很大的震撼力,不仅仅是身体上的震撼力,因为曾有人对我描述说这本书很黄,我感觉这失之偏颇,它更多的给我了心理上的震撼。
这震撼很强烈,而且是全方位的强烈。
爱情、友情和性交织在一起,融洽、冲突、此起彼伏。
从诞生到死亡的整个过程,充斥着忧郁、痛苦的挣扎和无所畏惧的解脱,畸形的性接触和近于病态的心理。
抽象而出的一个个不正常的人,不正常的心理,把活的部分拖进死亡,又把死亡拖进活的部分,终于是从不成熟走向成熟。
你爱不爱我?这不再是可以简单作答的问题。
女人往往会把爱和性搅和在一块儿,男人却会毫不犹豫的把他们分得很开。
所以渡边不止一次的把爱的程度描写成象在春天的绒绿里和可爱的小熊打滚,很纯真浪漫的情愫。
男人对于性的态度和女人往往大相径庭,永泽可以借以消遣,甚至近于病态的追求,渡边也一样,只不过他把性分的细化了,有爱的性和无爱的性,有性的爱和无性的爱,甚至更加可以细化到友情。
所以在文章开始处的伏笔更有意思,直子讲的那草皮掩过的让人毛骨悚然的井,男人会小心翼翼的去提防,而女人,包括直子,因为不怕,或者那怕只是潜意识的怕,所以终于掉进去,是偶然之中的必然。
爱,走的太近,付出的太全部,就可能变成相互的伤害。
这些与性无关。
玲子拥有的仅仅是友情和性,所以有一份不完整的幸福。
另外,玲子又是超凡脱俗的女性,她可以把性从爱中解脱出来,坦然面对美好的生活,这区别于一般,显得很不容易。
长日留痕读后感

长日留痕读后感《长日留痕》是一部由日本作家谷崎润一郎所著的小说,讲述了一段关于爱情、婚姻和人生的故事。
小说以其细腻的描写、深刻的情感和独特的叙事风格而备受读者喜爱。
在读完这部小说后,我深受感动,不禁有许多感慨和思考。
首先,小说中的人物形象给我留下了深刻的印象。
主人公夏目琴美是一个充满魅力和智慧的女性,她对生活充满热情,对爱情充满期待。
而她的丈夫夏目宗助则是一个典型的日本绅士,他对琴美充满爱意,却因为一些误解和隔阂而无法真正理解她。
在小说中,作者通过对这两个角色的描写,展现了他们之间复杂的情感纠葛,让人深思不已。
其次,小说中对爱情和婚姻的探讨让我深有感触。
夏目琴美和夏目宗助之间的爱情故事,充满了悲欢离合和人生的无常。
他们经历了青涩的初恋、婚姻的甜蜜和生活的磨难,最终却无法摆脱命运的安排。
在这个过程中,作者对爱情和婚姻的深刻思考让我感受到了人生的无常和命运的无情,让我对爱情和婚姻有了更深刻的理解。
最后,小说中的叙事风格和情感描写也让我深受感动。
作者以细腻的笔触描绘了琴美和宗助之间的情感纠葛,让人仿佛置身其中。
他对日本传统文化和风土人情的描写也让我对日本文化有了更深入的了解。
同时,作者对人物内心世界的深刻剖析和情感的真实表达,让我感受到了小说的魅力和力量。
总的来说,读完《长日留痕》让我深受感动,对爱情、婚姻和人生有了更深刻的思考。
小说中的人物形象、情感描写和叙事风格都让我深受感动,让我对这部小说留下了深刻的印象。
我相信,这部小说将会成为我人生中的一段珍贵的记忆,让我受益匪浅。
《人间失格》读后感

《人间失格》读后感
《人间失格》是日本作家太宰治的代表作之一,也是日本现代文学的经典之作。
这部小说以第一人称的形式,讲述了主人公太宰治横山的内心矛盾、思想挣扎和自我毁灭的过程。
通过主人公的荒诞、痛苦和绝望,展现了一个在现实与理想之间挣扎的灵魂,在社会中脱轨的人生导向。
读完《人间失格》,我深深陷入了主人公横山的内心世界。
他在表面上是一个充满社交能力和幽默风度的人,但内心却充满了孤独、自我厌恶和无助感。
他对自己的懦弱和堕落感到深深的愧疚和无奈,但又无力摆脱自我毁灭的循环。
这种内心的矛盾和挣扎,让我深深感受到了现代社会中许多人内心的焦虑和困惑。
同时,小说中对人性、人际关系和社会现实的揭示也引起了我的深思。
主人公与他身边的人之间交织着复杂的情感和关系,表露出人们内心深处的脆弱和真实。
在现实社会中,人们往往会面临着无尽的压力与挑战,而每个人都在努力找寻自己的存在方式和精神寄托。
作家通过主人公的故事,向读者展现了现代人对于生存、自我认知和人际交往之间的挣扎与矛盾。
我认为《《人间失格》是一部探讨人性、社会现实与自我认知的深刻之作。
作家太宰治通过主人公的内心矛盾和自我毁灭,揭示了现代社会中人们内心的焦虑、孤独和迷茫。
这部小说引发了我对于现代社会中人与人之间关系、生存困境以及存在意义的思考,让我更深刻地认识到了人类内心的脆弱和真实。
《人间失格》虽然写尽了主人公的挣扎与沦陷,但却表达了深刻的人性关怀和对人生的悲悯。
《雪国》读后感

《雪国》读后感《雪国》是一部充满虚无之美的日本文学作品,作者川端康成以细腻的笔触描绘了一个令人怦然心动却又惆怅不已的世界。
作为川端康成的代表作之一,这部小说不仅展现了他对美的不懈追求,还深入探讨了人生、命运和存在的意义。
在《雪国》中,虚无之美被提升到了极致。
作者通过人物情感的表达和唯美的意象描写,让我们感受到生活中那些转瞬即逝的美好。
而这些美好往往是淡淡的、朦胧的,如同雪花在空中飘舞,稍纵即逝。
与此同时,作品中还流露出一种淡淡的哀思,使得整部小说弥漫着一种物哀思想。
小说中的主人公岛村是一个富有而又无所事事的男子,他多次来到雪国,与当地的艺妓驹子相会。
驹子是一位美丽、纯洁而又命运多舛的女子,她对岛村抱有深深的感情,但岛村却始终未能全心全意地爱她。
在岛村的眼中,驹子只是他生命中的一个过客,而真正令他心动的是那个永远无法拥有的叶子。
叶子是驹子的好友,她在一次意外中不幸身亡,使得岛村对她的思念越发浓烈。
读到这里,我不禁对岛村的命运产生了深深的同情。
他身处一个虚无的世界中,无论怎样努力追求美好的事物,最终都只能眼睁睁地看着它们消逝。
他的无奈与彷徨让我思考起人生的意义。
人生究竟是为了什么?我们在这个世界上努力追求的一切是否真的值得?此外,《雪国》还让我对人与人之间的关系有了更深入的认识。
岛村与驹子、叶子之间的关系是复杂而微妙的。
他们之间的感情纠葛、悲欢离合都让我思考起人与人之间的联系和情感纽带。
在现实生活中,我们是否也应该珍惜与身边人的每一次相遇和离别?除了情感纠葛之外,《雪国》还探讨了生命与死亡的主题。
驹子和叶子都是美丽而短暂的存在,她们的命运如同雪花般脆弱。
而岛村则是一个看似强大、实则脆弱的男子,他在面对生死离别时显得无能为力。
这种对生死的思考让我更加深刻地意识到生命的珍贵和脆弱。
综上所述,《雪国》是一部充满哲理的小说。
它不仅让我感受到了虚无之美和物哀思想,还让我对人生、命运和人与人之间的关系有了更深入的思考。
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日本文学作品读后感「人は身に病があると、この病がなかったらと思う。
その日その日の食がないと、食べて行かれたらと思う。
万一の時に備える蓄えがないと、少しでも蓄えがあったらと思う。
蓄えがあっても、またその蓄えがもっと多かったらと思う。
」『高瀬舟』を読み終わり、一番印象的な部分はこれである。
この描写によって、作者は人間の欲望というものを生き生きと、徹底的に表してみせたからだ。
私は思わず自分のことを振り返ってみた。
毎年五月になると、住まいの近くにある湖のハスは盛りとなる。
そこを通るたびに、「美しいなぁ」と思っていながら、ちらりと見ただけでまた急いでいく。
しかし、知らず知らずのうちに増水期が訪れ、水面上にあった何もかもが水没してしまい、あっというまにハスが消えてしまう気がする。
すると、かつての美しさの感嘆が、残念の気持ちに変わってしまう。
「早くその美しさを味わえばよかったのに」と思い、落ち込んでやまない。
私はハスがずっとこのままで咲いていく、あるいは、せめてもう少し私を待ってくれるように希望していたのだ。
それに、もうハスが戻れないことを知っていても、自分の気持ちが抑えられない。
これは、踏み止ることを知らないということだ。
なるほど、あまりの欲望に伴い、後悔も常についてくる。
もっと考えてみれば、後悔どころか、嫉妬?苦痛?絶望などのマイナスな感情ももたらされ、甚だしきに至っては戦争も勃発してしまう。
欲望は人間の生れつきであろうか、この世の中の人々は、誰でも思わず何かを追い求めている。
確かに、ほしいものを適切に追い求めるのは生活の向上心と言え、当たり前とされているが、欲望の渦に巻き込まれ、一生それに駆り立てられて行くのは人間の悲劇であると思う。
踏み止ることが分かり、現在持っているものを大切にし、幸せを味わうことこそ、人生の大事なことではないかと思っている。
作者自身が「失業したら悪事を働くしかない」という下人の発想に近いものを持って描いたのではないかと私には感じられる。
つまり、下人のような状況に置かれた場合は、誰もが「飢え死に」か「悪」かというような命題にぶつかり、誰もが下人のような悩み方をするものだというように、芥川は下人の迷いを一般化して捉えていたのではないかと思われる。
芥川はここでの下人の迷いを下人に特有の個性を反映したものとしてではなく、人類の普遍的な命題として描こうとしているという印象を受ける。
周囲の事情というのは、つまり相手が簡単に盗みのできる老婆であること、周囲に人がおらず失敗する可能性がないこと、老婆自身が「悪事も仕方がない」と言っていることから、下人の盗みを老婆の理屈によって正当化できること、等々である。
このような状況が少しでも変化すると「飢え死にしないためには悪事も仕方がない」という理屈はたちまち成り立たなくなる。
しかし『羅生門』に描かれる小さな、閉鎖された世界には現実社会の要素が入り込む可能性はなく、状況が変化することはあり得ない。
そういう意味で、「悪事も仕方がない」という下人の結論は、この世界においては必然的な流れになっていると同時に、この閉鎖された世界でしか成り立たない理屈であると思う。
「飢え死にしないためには盗人になるしかない」とか「飢え死にしないためだから悪事も仕方がない」という単純な理屈は、現実社会の複雑な状況の中ではたちまち維持できなくなる。
これを無理に維持させようとすれば、現実との妙な衝突が生じるだろう。
この単純な理屈を成り立たせなくするような現実の様々な要素をすべて排除した、小さな、特殊な世界を描いたのが『羅生門』である。
高瀬舟一つは財産と云ふものの觀念である。
錢を持つたことのない人の錢を持つた喜は、錢の多少には關せない。
人の欲には限がないから、錢を持つて見ると、いくらあればよいといふ限界は見出されないのである。
二百文を財産として喜んだのが面白い。
今一つは死に掛かつてゐて死なれずに苦んでゐる人を、死なせて遣ると云ふ事である。
人を死なせて遣れば、即ち殺すと云ふことになる。
どんな場合にも人を殺してはならない。
翁草にも、教のない民だから、惡意がないのに人殺しになつたと云ふやうな、批評の詞があつたやうに記憶する。
しかしこれはさう容易に杓子定木で決してしまはれる問題ではない。
こゝに病人があつて死に瀕して苦んでゐる。
それを救ふ手段は全くない。
傍からその苦むのを見てゐる人はどう思ふであらうか。
縱令教のある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦みを長くさせて置かずに、早く死なせて遣りたいと云ふ情は必ず起る。
こゝに麻醉藥を與へて好いか惡いかと云ふ疑が生ずるのである。
其藥は致死量でないにしても、藥を與へれば、多少死期を早くするかも知れない。
それゆゑ遣らずに置いて苦ませてゐなくてはならない。
從來の道徳は苦ませて置けと命じてゐる。
しかし醫學社會には、これを非とする論がある。
即ち死に瀕して苦むものがあつたら、樂に死なせて、其苦を救つて遣るが好いと云ふのである。
これをユウタナジイといふ。
樂に死なせると云ふ意味である。
高瀬舟の罪人は、丁度それと同じ場合にゐたやうに思はれる。
私にはそれがひどく面白い。
かう思つて私は「高瀬舟」と云ふ話を書いた。
中央公論で公にしたのがそれである。
森鴎外の『高瀬舟』この小説は「兄弟の感情は深い」、「足ることを知れば常に楽しい」、「安楽死」という三つの主題をめぐり、歴史人物に頼って作者の思想や感情を表現する。
安楽死について、自分を解脱させるためと言うより、他人を解脱させるため、あるいは家族を解脱させるためと言うほうがいいと思う。
すなわち、これは患者が世俗の生活を超越するために、家族の負担を軽くするために、積極的な意識に従って決定することだ。
喜助と弟の二人がご飯さえも食べられなかった。
それに、弟が重い病気にかかって、兄の喜助の負担はますます重くなった。
兄を巻き添えしないために、強い意志で運命と戦って死亡を選んだ。
喜助の弟の考え方はまったく社会の基本の倫理道徳の要求に即して、人間が文明的な生活と文明的な死亡のような社会へ移り変わるということを表す。
だから、社会学の立場から見ると、安楽死は合理だと思う。
わが国の刑法によって、犯罪の本質は社会に危害を引き起こすということだ。
しかし、安楽死は社会の危害性を備えていなくて、人道的な行為に属する。
しかも、人間は生と死を選ぶ権利を持っている。
喜助も彼の弟も当時の封建社会の最下層の代表として、封建制度の圧迫を被って、肉体と精神が深く傷つけられている。
彼らは生が死よりもっと苦しいと思うのは当たり前だろう。
喜助の弟は本当の自由を実現するために、苦から解脱されるように、死亡を選んだ。
これは人間の選択権にぴったり合うと思う。
この小説『高瀬舟』を読んだ後、筆者は安楽死の合理性がはっきりわかってきて、賛成する。
安楽死は人間の生死にかかわる問題だけでなく、道徳、倫理、法律などの問題に及んでいるものであろう。
森鴎外の作品は倫理道徳観を重視するということが思われている。
この小説『高瀬舟』の中には、作者はたくさんの細かいところを詳しく描いて、庄兵衛の人物を通して、安楽死についての疑問を打ち出す。
今になっても、喜助の犯罪行為が相変わらず人々に論議されている。
筆者は安楽死の本質、概念及び特徴の調べによって、『高瀬舟』の中の「安楽死」に賛成する観点を明らかに論述してみた。
『高瀬舟』を読んだ後、人間性についても、安楽死についても、思わず深く考えてくる。
いわゆる「安楽死」の問題をテーマにした作品だ。
医療技術の進歩によって、患者の死期を極限まで延ばすことが可能となり?ときには植物人間として生き長らえることもできるようになった今の時代?誰もが直面しかねない大きな難しい問題だ?しかし、この作品が書かれた時代に「安楽死」が社会問題として広く認識されていたとは思えず?かなりセンセーショナルな作品だったのではないだろうか。
あるいは、当時の多くの人にはピンと来なかったかもしれない。
「安楽死」の典型例は?不治の病にもだえ苦しむ肉親の姿にいたたまれず、懇願に応えてやむなく命を絶つというものだろう。
わが国の裁判では、これまで無罪とされた「安楽死」の例はない。
最近の判例では、安楽死が許される場合の4つの要件が示されている?第一に患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいること、第二に患者の死が避けられずその末期がせまっていること、第三に患者の肉体的苦痛を除去?緩和するために方法を尽くし他に手段がないこと、そして第四に生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があることとされている。
これらの要件のうち、どれか一つ欠いても安楽死とは認められない。
しかし、自分の肉親が激しい苦痛にもだえ苦しむ姿を目の当たりにして、冷静でいられる人間は希有だろう。
むしろ患者以上の苦悶を味わい、うろたえるのではないか。
そうした場合に?いちいち4つの要件を満たしているかどうかなどと考えて安楽死を施すなどできるわけがない。
そういうことを慮ってか、当該裁判所も「これらの要件について、安楽死が許容されるための現段階における一考察である」とし、「将来の状況を見通しつつ確立された普遍のものとしての安楽死の許容要件を示すことは困難である」とのコメントを残している?人間の心と行動を単純に類型化することの難しさの所以だろう。
ところで、弟殺しの罪人?喜助に対する罪状認否と量刑はいかなる過程をたどってなされたのか。
詳しくは書かれていないが?「高瀬舟に乗る罪人の過半は、いわゆる心得違いのために、おもわぬ科を犯した人であった。
ありふれた例をあげてみれば、当時相対死といった情死をはかって、相手の女を殺して、自分だけ生き残った男というような類である」との記述から?喜助は罪一等減ぜられた気配がある?喜助のとった行動と、自殺を図って息も絶え絶えとなった弟の状態をつぶさに読んでいくと?何と前掲の裁判所が示した4つの要件をみごとにクリアしている。
そうして作者は?高瀬舟に同乗した同心の庄衛兵に「オオトリテエにしたがうほかない」と言わしめ、きわめて高度な問題提起をしている。
江戸時代が過ぎて間もないあの時代にだ。
まことに驚くほかない? 夏目漱石の『坊っちゃん』作者自身の松山中学時代の体験をもとに書かれたという。
全篇を通して一人称で書かれていることもあり?氏名すらうかがい知ることのできない「坊っちゃん」。
そして、これが江戸っ子の気風というのか、下女の清が「真っすぐで好いご気性だ」と言うとおり、竹を割ったような性格と徹底的な無欲恬淡さには驚かされる?一般には、痛快な正義漢の活躍として評価されるものの?一方ではあまりの傍若無人、直情径行、思慮や情愛のなさに、暗鬱な思いがしないではない?とくに親子の間、そして兄弟間の情愛などはみじんも感じられず、坊っちゃんの性格がああいうふうだったからそうなったのか、家族間がそうだったからああなったのかは分からないが、とても寒々とした思いがする。