日语作文
日语作文30篇

私の梦かつて、ナポレオンが「将军になる考えがない兵士はいい兵士じゃない」と言いました。
そのとおり、梦がない人生は人生ではありません。
子供の时から、亲や先生や友达などいろいろな人が「あなたの梦はなんですが」と闻きました。
理の当然で、人々がさめざまの梦想を持っています。
私も梦がたくさんあります。
小学生制になった时、クラス担任はとても优しくて、若い女性でした。
みんなだいすきでした。
彼女は数学を教えてくださったので、私は一生悬命顽张りました。
长い时间を使って、ひとつの难问に回答した後の気持ちはとても高扬していました。
心から数学の教师にならたいと思いました。
両亲も喜んで応援してくれました。
12歳、中学校に入りました。
その顷田舎の家の近くで伝统的な芝居がはやっていました.祖母も好きで、周末一绪に见に行きました。
そして、私はだんだん、その芝居に梦中になりました。
时々、真似たり、一人で歌ったりしました。
何时でも。
何処でも、音楽が闻こえると、特别な感铭がありました。
いつの间にか、俳优になりたいという考えが出てきました。
私は音痴ですから、両亲に知らせると、「白昼梦を见るじゃないよ」と言われました。
今思えば、当时は思春期だったからなのか、悲しいことに自分の考えに固执しました。
时间がはやくたちました。
瞬く间にもう大学生になりました。
今、専门が日本语の私はまた一つの梦があります。
その梦とは外资企业に勤めることです。
通訳でも翻訳でもいい出です。
そうすると「将来はなにをする?数学を教える?それに俳优になる?あゆいわ日本语に関して仕事をやる?」といろいろな问题が思い出されました。
あれこれと思いを巡らすと、难しいですね。
答えはなかなか出てきませんでした。
ところが、そんな梦がたくさんあるので、生活が面白い、目标に向かってまい进する力が强いです。
梦は多ければ多いほど実现する机会も増えると思います。
一つの梦が破れても、また别の梦を追うチャンスがあるからです。
日语作文18篇(范文)

「私が住んでいる部屋」日本は土地の値段が非常に高い。
そのため、家を建てるにも部屋を借りるにも、かなり費用がかかる。
私がいま住んでいる部屋も、私の国と比べると、かなり高い。
6畳の部屋に2畳くらいの台所トイレが付いて3万円である。
風呂付きの部屋がほしかったが、高すぎて借りることができなかった。
今でも少し残念に思っているが、しかたがない。
風呂は近くの銭湯で我慢している。
だが、私の部屋は二階の南向きで日当たりがよく、また、向かいは公園なので、環境はとてもいい。
地下鉄の駅は歩いて10分位である。
学校にも40分位で行けるので、だいたい満足している。
「私の国の季節」日本では1年は3か月ずつ四つの季節に分かれています。
1年を通じて気候は温暖で暑さ寒さもあまりきびしくありません。
山脈【さんみゃく】が本州を縦【じゅう】に走っているので太平洋側(表日本)と日本海側(裏日本)では気候の差が大きいです。
表日本では、夏はむし暑く、冬は湿気が少なくて晴天が多いです。
裏日本では冬は雪がたくさん降ります。
いわゆる雪国では雪が4~5メートルもつもることがあるそうです。
北海道を除く各地は6月上旬【じょうじゅん】から7月中旬【ちゅうじゅん】にかけて高温.多湿のシーズンになります。
8月から10月にかけては日本列島【れっとう】の南西部は台風の影響を受けることが少なくありません。
京都のような盆地【ぼんち】では降雨量は少ないですが、気温の上下【うえした】差が大きく、夏は暑く冬は寒いです。
日本の大部分の地方で最もよい季節は春と秋です。
桜の美しい4月や緑の美しい5月は海外の観光客も多く、また10月頃の紅葉も魅力的【みりょくてき】です。
「アルバイト」「アルバイト」はもともとドイツ語で「仕事」という意味であるが、日本では40年ほど前から、学生の副業の意味として使われるようになった。
現在、日本の大学生の90%以上がアルバイトを経験しているという。
そしてアルバイトのために学校を休む学生も多いそうである。
日本语作文教室_15 今までで一番がんばったこと

15今までで一番がんばったこと私が一番がんばったのは、小学校二年生のときから高校の二年のときまで、ずっと続けた新聞配達だ。
10年間、僕は一日も休まなかった。
僕の家はお父さんがいなくて貧しかったので、お母さんを助けるために新聞配達をした。
朝刊はいいのだが、夕刊配達のときは学校の友達と会うので、それがとても恥ずかしかった。
でも、そんなことにもだんだん慣れてきた。
新聞配達で一番嫌なのは雨の日だ。
新聞を濡らしてはいけないので、大変だ。
一番辛いのは冬の寒い日だ。
自転車のハンドルを握っている手が、まるで氷のように冷たくなり、動かなくなる。
一番うれしかったのは、中学三年生のとき、新聞少年として市長に表彰されたことだ。
今振り返ってみると、新聞配達をした10年間が、僕の自身になっているのだと思う。
少しぐらいことがあっても、負けない強さを作ってくれたと思う。
時間の流れは早い。
日本に来て、もう2年になった。
思えば、今までの人生で一番がんばったのが、この二年間だったように思う。
ずっと両親の下で育ってきた僕は、日本に来てはじめて一人暮らしを始めた。
炊事洗濯や掃除も、全部自分でしなかればならない。
アルバイトもしなければならない。
しかし、これは僕だけでなく、他の留学生も同じ境遇だ。
僕の初めてアルバイトは洗い場だった。
腰は痛くなるし、店長にうるさく言われるし、何度もやめようと思った。
だが、周りの留学生もがんばっているじゃないか。
僕は「負けないぞ」と自分に言い聞かせた。
アパートに帰って、疲れた身体に鞭打って机に向かった。
しかし、気がつくと、いつも寝てしまっている。
大学受験が近づくに連れて、焦りの気持ちも強くなった。
幸い大学に合格できた。
未来がどんな風景なのかわからないが、「一歩歩けば、一歩先が見える」(魯迅)と言う言葉を胸に、これからもがんばっていこうと思う。
(留学生Yのスピーチ原稿より)1.~てはいけない◆焦ってはいけません。
日语作文范例16篇

作文范例16篇問題1あなたは、外国の人があなたの国の母語で語りかけてきたとき、文法や言葉遣いが間違っていたら直してあげますか。
それとも失礼になると考えて言わないでおきますか。
解答直してあげる私は間違っていたら直してあげる。
なぜなら、言葉の誤用の中には、相手の誤解を生んだり心を傷つけるような言い回しがあり、その不用意な一言のせいでコミュニケーションに障害が生じるとしたら、本人にとっても不幸だと思うからだ。
例えば、日本語の「あなた」という言葉は目上の人に使うと失礼になるが、欧米の人たちは誰彼の区別なく「あなた」を使う。
それが初心者ならまだ許せるが、ぺらぺらしゃべる外国の人に「あなた」と言われたら、日本人は間違いなくむかっとするだろう。
それは母語と関係しているのであり、何の悪意もないのだが、言われた日本人はいい気持ちがしない。
こうした誤用は誰かが指摘してあげなければ、いつまでも直らない。
従って、異なる言語や文化を持った者同士のコミュニケーションが大切な時代には、自分が間違っていたら指摘してもらうし、相手が間違っていたら指摘してあげるといった率直さが美徳となると思う。
問題2ある外国の人は「日本人は『はい/いいえ』がはっきりしないから、理解しにくい。
日本人はもっとはっきり意思表示をするべきだ」と言います、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。
解答賛成する私はこの意見に賛成である。
確かに日本人は「はい/いいえ」をはっきり言わない傾向がある。
それは相手の気持ちを傷つけないとする「和」の文化と言われるものだろうが、私たち外国人には賛成なのか反対なのか、好きなのか嫌いなのか、とても判断しにくい。
例えば、以心伝心とか、言葉を使わずに察しあう習慣は、日本社会のような同質性の高い同一民族社会では可能かもしれないが、私の国中国のように文化が異なり、言語が異なる多民族が暮らす社会ではほとんど不可能だと思う。
きちんと意思表示しなければ、コミュニケーションが成立しないのである。
日语作文

1私の悩み悩み(なやみ)は誰でもあることである。
同時に時代によって悩みが違っている。
例えば高校時代にどのように努力して大学入れるか;大学に入ってから将来どのようにいい仕事を探すことができるかなどは私の以前の悩みであった。
私の今の悩みはどのようにもっと学歴(がくれき)を高くするのかということである。
それは、社会の発展、時代の進むにつれて、いろいろな分野(ぶんや)で人材への要求がだんだん高くなってくるからである。
つまり、もとの学歴はもう時代についていけなくなるのである。
だから、仕事をしながら知識を更新して、もっと学歴を高くすることは、私にとって目前のなやみである。
そのため、どのようにしてこの悩みを解消(かいしょう)できるか、私はいろいろ考えたあと、研究生の試験を受けることにした。
これは私にとって唯一(ゆいいつ)の道だと思っている。
それで、今研究生の予備班に入ってその試験に合格できるように頑張っているのである。
2私の夢人間は誰でも夢がある。
けれども、夢はいつまでも変わらないのではなく、時代によって変わるのだ。
私の父と二番目の兄は高校の先生なので、小さい時から私の夢は優れた先生になることだ。
この夢を持って、私は小学校、中学校、高校、大学で一生懸命勉強してきた。
最後にやっと先生になっている。
今、私は本当に優れた先生かどうかは分らないが、ずっとその夢のために頑張っている。
ところで、社会がコンピューター時代に入っているにつれて、国のいろいろ分野で優れた人材を希望するようになる。
したがって、もとの知識はもう時代の進歩についていけなくなっている。
つまり、優(すぐ)れた先生になるにはもっと多くの知識を身につけなければならないのだ。
それで、もっと優れた先生になるのは私の今の夢になっている。
しかし、この夢を本当に順調(じゅんちょう)に実現できるかどうか、私の努力次第だと分っている。
だから、今年の研究生試験を受けようと思って、一生懸命専門知識をはじめ、日本語と政治を勉強している。
日语作文-为什么学习日语

16なぜ日本語を勉強するのか作文例1私が日本に興味を持ったきっかけは、日本のテレビ・アニメです。
「一休さん」とか「クレヨンしんちゃん」とか「ドラえもん」とか、日本のアニメはとても人気があります。
それで日本に留学している友だちに、日本のコミックを買ってきてもらいました。
絵もすてきですし、主人公も個性的で、ほんとうに日本のコミックはおもしろいです。
しかし、残念なことは日本語が読めないことでした。
私は夜間の日本語教室に通うことにしました。
どうしても日本語でコミックを読みたかったのです。
今では、だいたい読めるようになりました。
日本語がわかるようになると、今度は自分でアニメを作りたいと言う夢が生まれてきました。
というのも、私は小さいときから絵を描くのが好きだったからです。
できるかどうか、わかりません。
でも、この夢を実現するために、来年日本に留学したいと思っています。
作文例2私の出身はモンゴルで、大学で日本語を勉強しました。
日本語をマスターすれば就職に有利だと思ったからです。
卒業の年に、能力試験の一級にも合格することができました。
もちろんうれしかったです。
それで、日本向けにカシミアを輸出している会社に就職したいと思って、入社試験を受けました。
しかし、面接試験のとき、うまく答えられなかったり、質問された内容がわからなかったり、さんざんでした。
面接官から、「もう少し、日本語の勉強をした方がいいですね」と言われました。
自分は日本語ができると思っていたのに、自慢の鼻がぽきっと折られてしまいました。
悔しくて、その日から日本語の猛勉強が始まりました。
とにかく日本語の本をたくさん読みました。
日本のビデオを繰り返しくり返し聞きました。
今、私は旅行会社で日本語通訳をしています。
「継続は力なり」です。
努力さえすれば、きっと夢は発見できます。
皆さんも日本語の勉強、がんばってくださいね。
使いましょう1.~ことにする◆いろいろ考えましたが、○○大学を受けることにしました。
日语作文细い点は胜ちを得ます(细节决定成败)

細かい点で勝利を得る今日、細かい点は成功と失敗を決めることは人々の共通認識です。
生活の中の多くの実例、この点を証明しました。
経済変化の中から細かい点を発見する。
大慶油田は1番早く採掘された時、中央指導者と現場の労働者を除いて、大慶の情報に関して知っている人がいませんでした。
しかし頭が良い日本人は知っていました、彼らは公開の報道の中から筋道を見出して、その中から利益を得ました。
《人民日報》の上で“鉄人”王進喜は大きい綿入れの上着を着いて、背景は雪片の写真を掲載しました。
日本人は大慶は中国東北にあるを推定しました。
だから、その時、ただ東北が雪が降っています。
その後、日本人は原油の列車の上でほこりの厚さによって、油田と北京の距離を測り出して、ハルビンとチチハルの間で油田を認定しました。
《人民日報》は王進喜が马家窑にきいた、“とても大きい油田を叫びますのことを報道して、日本人は、马家窑か大慶中心の部位を推定しました。
《人民日報》は大慶人が“苦しみを恐れないして、死も恐れない”の革命の精神を発揚して、各種の設備を肩で担ぐのことを報道しました。
日本人はここから推定して、大慶の近くは鉄道、道路があります、さもなくと、人は長距離で何千斤の重い設備を担ぐの可能性はありません。
そこで、彼らは、大慶は安達駅の近くになるを推定しました。
1966年、王進喜は人民代表として全国人民代表大会に参加しました。
日本人は推定して、大慶は油を産出しました。
《人民日報》は1枚の石油ボーリング・タワーの写真を掲載した、日本人が見た後に、油井の直径を推計してきた、そしてこの油井の生産量を推計しました。
《政府活動報告》は大慶のすこし資料を公表して、日本人は大慶油田生産規模と生産量を推計しだしました。
すぐ、日本人は大慶油田に合うの石油設備を設計しました。
中国がちょうど国際上で石油の設備を買うことを公表します時、その他の国家はまだ設計しません、日本人は図面を中国にあげました。
日语小作文

アルバイトの艱苦私はもう22歳で、家のためにお金が欲しいで、何時までも両親のお金を使わない気がしない。
私のこの夏休みより子供の頃ように家で寝るしてゲームをするのは違っていた。
今学生なので、アルバイトを探すのは大変になかった。
たとえこんな状况でも、とうとう努力の末にスーパーのアルバイトを见つけた。
最終、私はスーパーでレジ係りを担任した。
毎日に朝八時から午後五時まで、八時間でずっと立った。
とても疲れたと思う。
アルバイトが始めたばかり、なかなか慣れないだ。
しかし、給料をもらうことができると、強靱になった。
店員のみんなも私にとても気にかけてくれ、それからだんだん慣れた。
初めてのアルバイトによって、私は4000元をもらった。
それはとても嬉しいと思っていた。
同時に仕事をするのは楽ではないと分かった。
この先、節約が必要だ。
アルバイトの艱苦私はもう22歳で、家のためにお金が欲しいで、何時までも両親のお金を使わない気がしない。
私のこの夏休みより子供の頃ように家で寝るしてゲームをするのは違います。
今学生なので、アルバイトを探すのは大変になかった。
たとえこんな状况でも、とうとう努力の末にスーパーのアルバイトを见つけました。
最終、私はスーパーでレジ係りを担任しました。
毎日に朝八時から午後五時まで、八時間でずっと立きました。
とても疲れたと思います。
アルバイトが始めたばかり、なかなか慣れないです。
しかし、給料をもらうことができると、強靱になりました。
店員のみんなも私にとても気にかけてくれ、それからだんだん慣れました。
初めてのアルバイトによって、私は4000元をもらいました。
それはとても嬉しいと思っています。
同時に仕事をするのは楽ではないと分かります。
この先、節約が必要です。
アルバイトの艱苦私はもう22歳で、家のためにお金が欲しいで、何時までも両親のお金を使わない気がしない。
私のこの夏休みより子供の頃ように家で寝るしてゲームをするのは違っていた。
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1.我叫XX,今年19岁,是日语专业的一年级学生。
我的性格文静,平时不喜欢跟很多人吵闹,喜欢在安静的地方看书,学习。
但是学校和者班级里面有活动的时候,我也会跟别人一样积极参加。
在朋友面前,我会变得很开朗,说笑话,做各种有趣的事情。
朋友说我有两种性格。
我有很多各种各样的兴趣。
比如我喜欢看书,看漫画。
书籍是我的粮食,我从小就阅读了很多世界名著。
我最喜欢的书是《简爱》。
漫画也是我的兴趣之一。
我最喜欢看的动漫是《银魂》,很搞笑,很轻松。
我喜欢的运动是网球,我会跟年长的人一起打网球,因为他们注重技巧。
我还喜欢下棋,经常和我男朋友一起下象棋。
以上就是我,一个有两种个性,爱好丰富的女孩。
あたし(女)はxxと申します。
日本语専门の1级生です。
あたしの性格はおとなしいです。
あまりにぎやかなところは行きません。
静かな场所で読书と勉强が好きです。
でも学校とクラスで一杯の活动がある时も外の人と同じように参加します。
友达と一绪にいるときは别人みたい外向てきに変わります。
一绪に冗谈するとかいろいろな面白いことをするとか。
友达はあたしのことが二重性格と言います。
あたしはいろいろな趣味があります。
例えば読书と漫画が好きです。
本はあたしの精神食料です。
小さいからたくさんの世界有名な小说を见ました。
この中一番すきのは《简爱》(懒的查了)です。
漫画もすきです。
一番すきのは《银魂》です。
面白くていいまんがです。
运动ならテニスです。
将棋もよくと彼氏とします。
2.
私の友達
私の一番仲がいい友達は劉という人です。
今年23歳で、青島の出身です。
目が大きくて、髪が長いです。
性格が明るくて、付き合いやすい人です。
今北京大学で勉強しています。
専攻は日本語です。
小学校から高校まで同じ学校でした。
子供の時、毎日一緒に遊んだりしました。
本当に懐かしいです。
彼女は大学を卒業してから、日本へ留学に行く夢があります。
夢が叶えるために、今一生懸命勉強しているそうです。
大学に入ってから、ずっと会っていません。
今月北京へ行く予定があるので、一緒に食事をする約束をしました。
楽しみにしています。
以上です。
3. の寝室
僕の寝室は**構内一角の学生宿舎ビル*号館4階にある。
僕のいる大学は僕が入学する前の年に学生宿舎4棟を完工させたと聞いた、お陰で先輩たちより何倍もの便利さと快適さを手に入れたのだ。
まずは交通の便、宿舎は割と教室に近いため、どんな授業があっても5分以内で歩いていける。
朝一番の授業でも八時までゆっくりと寝れる幸せな生活、大満足だ。
昔の宿舎は一棟だけで、男女を階別に住まわされたと聞いた。
不便も不便だが、今の棟別方式と比べれば、女子学生と距離が近かったに違いない、どちらがいいだろうか。
僕の寝室には他に三人のルームメートがいる。
二段ベット四つが窓を挟んで二列並んでいる。
四人が性格というか、生活習慣によって自然と二組と分かれている。
スポーツ組と僕ら二人だらしな族。
彼らは毎朝六時前に起床し外に行ってジョギングしたり体操したりするらしい。
貴重な睡眠時間がどうして有効利用しないのか理解に苦しむ!でも僕ら二人は
神経が太いというか多分地震が起きても平然と寝れるタイプだから、ガヤガヤベッドが揺すられてもグーグー熟睡。
良いコンビと思うね、そうだろう。
卒業までこの部屋にいたい。
そして色んな思い出を一杯作れる学校生活をこの部屋に刻んで行きたい
4.この青い空はどこまで続いているのだろうか──無謀にも宇宙と世界の真理を考え始めてしまった著者の思索と論理の一冊。
日本の政治・経済・社会そして文化のありかたから個人のイデオロギーまで、さらに論理の原点としての数学にまで思考はおよび有限の点と無限の線まで著者の思想はどこまでも徹底する。
「私たちには、考えて分ることと、考えても分らないこともある。
宇宙の仕組みというものは、人間にとって、分る部分と分らない部分とがある。
分らない部分の内、やがては解明されることになるであろう部分と、いかに科学の力を持ってしても解明は不可能な部分はある。
ようするに、人知の力ではどうしようもない部分というものがあるのである。
そして、その、分らない部分に対しても、分らないままで放っておけないのが人間であるらしい。
」(「あとがき」より)
本書を通じての著者の理想は、時空を超え、考える楽しさ、議論する喜びを多くの人と共有することである。
この青い空はどこまで続いているのだろうか──無謀にも宇宙と世界の真理を考え始めてしまった著者の思索と論理の一冊。
日本の政治・経済・社会そして文化のありかたから個人のイデオロギーまで、さらに論理の原点としての数学にまで思考はおよび有限の点と無限の線まで著者の思想はどこまでも徹底する。
「私たちには、考えて分ることと、考えても分らないこともある。
宇宙の仕組みというものは、人間にとって、分る部分と分らない部分とがある。
分らない部分の内、やがては解明されることになるであろう部分と、いかに科学の力を持ってしても解明は不可能な部分はある。
ようするに、人知の力ではどうしようもない部分というものがあるのである。
そして、その、分らない部分に対しても、分らないままで放っておけないのが人間であるらしい。
」(「あとがき」より)
本書を通じての著者の理想は、時空を超え、考える楽しさ、議論する喜びを多くの人と共有することである。