日本语作文教室_06 私の友だち
日本语作文教室_02 私の家族

2私の家族私の父は、○○○○という繊維関係の会社で、販売部長をしています。
今年57歳ですから、まもなく退職です。
父は毎朝私たちよりも早く会社に出かけ、家に帰るのも夜遅くなることが多いです。
母はそんな父の健康を心配していますが、父は「退職したら、のんびりするよ」と笑うだけです。
父は会社では責任感が強くて、恐い部長だと言われているそうです。
しかし、家庭ではともやさしい父で、子供のころ、休みの日にはよく私を公園地に連れて行ってくれました。
しかし、この数年、父の仕事が忙しく、いっしょに外出する機会も少なくなりました。
私はそれが少しさびしいです。
私は今年の10月に大学を卒業します。
これまで、私たちのために一生懸命働いてくれた父に心から感謝しています。
これからは、両親にも恩返したいと思っています。
ですから、父には体に気をつけて、ぜひ長生きしてほしいと思います。
私の母は主婦です。
しかし、私が生まれるまでは、父と同じ会社に勤めていました。
母の話によると、二人は恋愛結婚で、母は父の真面目な性格が好きで結婚したそうです。
母はいつも一番早く起きて、朝ご飯の支度をします。
そして、父には毎日、お弁当を作って上げます。
私が小さいころは、母は生まれたばかりの妹を抱えて、家事や育児できっと大変だったと思います。
それなのに、今まで母の口から不満の言葉一つ聞いたことがありません。
私はそんな母のことが大好きです。
しかし、中学校のころは何度も母と口げんかをしました。
それは、母から「しっかり勉強して、いい大学にいかないと、いい仕事に就けないわよ」と、毎日のように口うるさく言われたからです。
私も反抗期だったのだと思いますが、そんなときの母は大嫌いでした。
今、母の髪の毛には白いものがまだ目立ち始めましたが、そんな母の後姿を見る度に、「ありがとう」と心の中で言っています。
1.(~によると/~では)~どうだ◆木村さんのお父さんは大学の教授だそうです。
日语小作文

私の精神障害者の学生
私の学校の庭で、プライマリおよびセカンダリの学校、私は知的障害者の同级生があります。小さなバッグと彼は毎日、同じ学校、学校内の他の学生のように。クラス内でのみ、学生、彼はキャンパス内だけでプレイ散歩することができます。
彼女は、表彰台には、鼻をまっすぐに大きな目、深い黒の光沢宝石の辉きとなった顽固な文字を明らかにすういくつかの彼女の铅は激怒しましたが、彼女はすぐにガスの消失;彼女は、穏やかな人なつっこい优しい喜んでいた。しかし、时には彼女の声のレッスン以上の変数になりますしわがれた声だった。教师は、大喜びの笑颜、笑うことが大好きです。一言で言えば、彼女は笑って、爱彼の気性を失ったが、しましたまた私达に追加しました。彼女の気分は、人格が本当に"の音を闻いて、これらの人々知っている人になります。"
私の父
私には、尊敬する人がいる。その尊敬する人とは、私の父である。私の父は、とても努力家で、しかし努力している姿を人には决して见せない人だ。私は、そんな父がとても格好いいと思う。だから、私も真似しようと努力してみた。テスト前でもないのに、3时间も4时间も勉强してみたり、だけどそのことを人に自慢しなかったり色々顽张った。そのおかげで、すこし成绩が上がってうれしかった。私は、父を真似することで自分の利益をたくさんもらえた。この体験を通して、真似をするなら、自分の尊敬している人を真似るべきだと思った。
这么多差不多了吧最佳答案 我が家は 普通だが とても 幸せな家族です 我们家很普通 但是很幸福
家族は 母と 私 二人だけです 母は 医者で 仕事が 忙しくて 私と 一绪に い
日本语作文教室_15 今までで一番がんばったこと

15今までで一番がんばったこと私が一番がんばったのは、小学校二年生のときから高校の二年のときまで、ずっと続けた新聞配達だ。
10年間、僕は一日も休まなかった。
僕の家はお父さんがいなくて貧しかったので、お母さんを助けるために新聞配達をした。
朝刊はいいのだが、夕刊配達のときは学校の友達と会うので、それがとても恥ずかしかった。
でも、そんなことにもだんだん慣れてきた。
新聞配達で一番嫌なのは雨の日だ。
新聞を濡らしてはいけないので、大変だ。
一番辛いのは冬の寒い日だ。
自転車のハンドルを握っている手が、まるで氷のように冷たくなり、動かなくなる。
一番うれしかったのは、中学三年生のとき、新聞少年として市長に表彰されたことだ。
今振り返ってみると、新聞配達をした10年間が、僕の自身になっているのだと思う。
少しぐらいことがあっても、負けない強さを作ってくれたと思う。
時間の流れは早い。
日本に来て、もう2年になった。
思えば、今までの人生で一番がんばったのが、この二年間だったように思う。
ずっと両親の下で育ってきた僕は、日本に来てはじめて一人暮らしを始めた。
炊事洗濯や掃除も、全部自分でしなかればならない。
アルバイトもしなければならない。
しかし、これは僕だけでなく、他の留学生も同じ境遇だ。
僕の初めてアルバイトは洗い場だった。
腰は痛くなるし、店長にうるさく言われるし、何度もやめようと思った。
だが、周りの留学生もがんばっているじゃないか。
僕は「負けないぞ」と自分に言い聞かせた。
アパートに帰って、疲れた身体に鞭打って机に向かった。
しかし、気がつくと、いつも寝てしまっている。
大学受験が近づくに連れて、焦りの気持ちも強くなった。
幸い大学に合格できた。
未来がどんな風景なのかわからないが、「一歩歩けば、一歩先が見える」(魯迅)と言う言葉を胸に、これからもがんばっていこうと思う。
(留学生Yのスピーチ原稿より)1.~てはいけない◆焦ってはいけません。
最新校园日语作文

私たちは、2008年に建てられた私たちの新しい学校、新しい学校は、市の南部に位置しています。
歴史は、これは市町村キー学校と私たちの街で有名な二年があった。
これは、学年ごとに24クラスを持っています。
エイト。
2,000人以上、生徒と教师の数を指定します。
建物のペースの背后にある高层ビルの前で、この学校の授业では実験室です。
私たちは、化学と生物学のコースの多くは、私たちの学校で三校舎を持っている。
私たちの新しいライブラリの间に二年前に建てられた。
多数の书籍。
昼食の后、多くの学生は、物事を见るのが好きです。
中文:我们的新学校我们的新学校,始建于2008年,位于这个城市的南部。
历史以来,有两年了这是市政重点中学和著名的在我们的城市。
它有24个班级每个年级。
8级。
学生的数目和教师到2,000多了。
在这所学校前面一座高大教学楼,后面则是一个实验室建设步伐。
我们有很多我们的化学和生物学课程有三座教学楼在我们学校上学。
我们的新图书馆之间的两年前修建的。
有大量的书。
午饭后,许多学生喜欢看的东西。
------------虽然4月的空气还是有些寒冷,但是春天,毕竟在眼前慢慢地舒展了。
粗略算起,来到大学已经近两年,这样的春天,应该是不陌生的了。
一个温暖的春日,我站在校园里的一棵大银杏树下,仿佛又回到了那个似曾相识的春天,又好像进入了季节的轮回……去年,也是在同样明媚的春日,我同样地走过这棵大银杏树,徘徊在大工的校园之中,寻找春天的温暖。
玉兰花悄悄地盛开了,它总是众花之中最先开放的,她甚至等不及叶子的长出。
白色的,如瓷如玉的花瓣,对着蓝得接近透明的天空尽情地舒展着,有着一种没有躲藏和顾忌的美丽。
那时的我,刚刚开始第二个学期的大学生活,心中的梦想点点的积累着,总觉得有太多的东西需要去实现,内心之中却是犹豫的。
玉兰花的绽放,蕴含了整个冬天的积累和期盼,就像一个人厚积薄发的过程;为了最美的那一刻,又不惜倾其所有。
等到校园中满是新绿和花香的时候,我也收获了满满的自信。
日语作文

友達は一人から自分へのプレゼント 私たちはよく言って 私はたくさんの友達がいます。
学習の生活の中で 私達はお互いに勉強し合い、助け もちろん、友達も区別がある
いい友達と普通の友達の区別 今日、私は言いたいの私の良い友達 私が高校生の時
私が出会った友人 彼女の前で 私は何も言うことができる 私が泣き笑い
彼は友達に対して特別誠実 だから私たちは彼女が好き 私達が付き合うのもいい
我的家人 私の家族
私の家族は四人で 父、母、弟と私 お父さんは今年48歳 母は今年50歳になった
弟は今年22歳になった 私は今年24歳になった 父と母は農家 だが私の付き合いやすい 弟は腕白でいたずらをした
私は静かな性格 父も母も勤労 弟はいたずらっ子だけどとても物事をわきまえてい
私は幸せな家庭 私の愛の私の父、母、弟 私の愛の私の父、母、弟
私は私の家族は永遠に健康で、楽しい
弟と私も大学生です 弟の専門は造船 私の専門は英語です 弟は省の大学 私は省内大学
また 家のすべての人はすべて自分の趣味 お父さんは紅茶を飲むことが好きで、新聞を読む
母が好き、ジャスミン茶、テレビを見て 弟の飲み物を飲むことが好きで、パソコンで遊んで
私はコーヒーが好きで、音楽を聞いて このように 父は無口な性格
私たちは何も言わないだけいている 私はいつも彼女を呼んだ赤ん坊 今 彼女はもう卒業した
1家の幼稚園の仕事 私はとても懐かしく高校のあの日 ただ、彼女と一緒にいて、私は気持ちよく
たとえひと言も言わない その時 私の気持ちがよくない時 いつも彼女に訴える 誕生日の時
彼はプレゼント 祝日の時 彼女に祝福を 彼女は特に善良 いつも私を助ける 彼女は私に教えて損は福
私の子供时代 日本语作文

私の子供時代皆さん、おはようございいます。
今日私は発表のテイマは私の子供時代です。
私の子供の記憶は、私の故郷の山の中から始まりました。
生活は非常に貧しでした。
でも、貧しさそのものを痛感に感じるにはまだ幼すぎので、豊かさを身近で目にするにはあまりにも水田でした。
豊かな自然以外にほとんど何もない。
あの時、山の中は私の全世界で有りした。
しかし、あの時、冷蔵庫がいなくて、毎日町で声を張り上げてアイスクリームを売り上げたのおじさんを待っていることは一番幸せことでした。
あの時、山の向こう側に何があったことを知らなっかた私は、小さい頭でひたすら「自己」について悩む子供でした。
「私は何なんだろう」「私はいなくなったら、この世界はまだ存在するか」といったことをきいていて、姉と周囲の子供たちが「なんでばかな問題だろう」と、笑っていたような嫌らしいでありました。
また、周りの子供達の中で酷くスポーツが苦手で、体を動かすことに関しては何をやっても最低でした。
あの時は劣等感を感じました。
でも、母と担当の先生はそんな私の良い所をほとんど無理やり見つけだしいつも褒めてくれました。
母は、今考えても笑ってしまうほど盲目的私に愛し、その先生は「笑顔がとでも素敵」など全くもって主観的で根拠のないことで私を褒めました。
多分、この経験により、私は今まで自分を好きでいるの原因でした。
これを除いて、いろいろ面白いことや友達は子供時代の不可欠の部分、私達が遊んで秘密基地を作ったり、わが町の唯一の白黒テレビを我先にと見たり、ままごとをしたりしました。
光陰の矢の如く、子供時代は人生の流れの中で段の美しい記憶でした。
取り返すすべき無くでも、永遠懐かしいです。
06 私の友だち

6私の友だち私には「日本語フォーラム」というウェッブ・サイトで知り合った、Hさんという友だちがいます。
彼は大手の建設会社で、部長も務めたエリートで、一昨年退職しました。
今、二人が中心になって、「日本語駆け込むみ寺」という日本語学習者を支援するホームページを作っています。
彼はもともと理工系出身の技術者なので、自分でいろいろなソフトの開発もしています。
そんな彼にとって、ホームページを作ることなど朝飯前で、彼がホームページの管理責任者をしてくれています。
この数年間、彼と協力しあって、「日本語駆け込み寺」を運営しているのですが、一人の力ではできないことでも、仲間の力があればできます。
一日本語教師でしかない私に、そんなすばらしい仲間との出会いの機械を作ってくれたのが、インターネットだったのです。
私には大切な中国の友だちがいます。
その人に名前は陳国輝と言います。
彼は私より20歳ほど年下の工場労働者です。
彼と知り合ったのは、今から20年前、朝の虹口公園です。
当時の私は留学生でした。
ある朝、公園を散歩していた私は、彼の太極拳の美しい動きにうっとりしていました。
すると、彼は手招きして、「一緒にしよう」と言いました。
留学したばかりの私は中国語がわかりませんから、手振り身振りでコミュニケーションしたのですが、その日から私は彼の太極拳の弟子になったのです。
毎朝、夜明け前から、二人の練習は始まります。
それは私が日本に帰るまでの一年間続きました。
ある日、私は風邪で練習を休みました。
そのとき、彼はわざわざ漢方薬を持って留学生寮を訪ねてきてくれました。
そして私のために、風邪にいいという温かいスープを作ってくれたのです。
私は涙が出るほど感動しました。
それ以来、私と彼との間には、変わらぬ友情が生まれたのでした。
1.~ので◆熱がひどかったので、病院にいった。
◆うちの娘がいつまでも結婚しないので、心配しています。
◆もう病気も治ったので、安心してください。
日本语作文のテクニック

日本語作文のテクニック<作文づくりの予備知識>作文の基本1、文体を揃えよう文体の中で、「・・・である」「・・・だ」という言い方を常態といいます。
これに対して、「・・・です」「・・・ます」の言い方はていねいな気持ちが込められていて、これを敬体といいます。
文を書くときは、「この文は敬体で書こう」とか、「常体で書こう」とか決めて書く。
そして、文体を決めたら一つの文は、その文体で書き通す。
例えば、「母にお小遣いをもらいました。
それで本を買ったのです。
(買ったのだ×)」のように書きましょう。
○会話で上記の意味を補足説明する(図でも示す)先生:ていねい組の子集合。
子ども:はい。
(でも、「である」ちゃん、「がある」君らも列に入った。
)先生:ほかのクラスの子が混じってるぞ。
1、简体与礼貌体(点击内容)→文体を統一する「文体」とは・・・、簡単に言ってしまえば「文の終わりの部分」である「~です・ます」(敬体/礼貌体)で終わるのか?「~だ・である」(常態/简体)で終わるのか?文末を意識しないで文章を書くのは駄目だ。
「です・ます」(礼貌体)と「だ・である」(简体)の使い分け文章を書くとき、まずは一つの選択をする必要がある。
敬体(です・ます)を用いるか、それとも常体(だ・である)を用いるかだ。
特定の人に呼びかけるときには敬体を用い、不特定の人物に対して公的に書くときには常体を用いるというのが原則だ。
したがって、手紙などは敬体で書き、エッセイや小論文などは常体で書くのが一般的だ。
常体文昔々、あるところに男と女がいた。
男は山に行った。
女は里に行った。
男が山道を歩いていると、向こうから見知らぬ老人が歩いてきた。
男は老人にどこから来て、どこに行くのかをたずねた。
だが、老人は何も答えず、ただ首を振るだけで歩きつづけた。
男は不思議に思ったが、そのまま山に向かった。
敬体文昔々、あるところに男と女がいました。
男は山に行きました。
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6私の友だち
私には「日本語フォーラム」というウェッブ・サイトで知り合った、Hさんという友だちがいます。
彼は大手の建設会社で、部長も務めたエリートで、一昨年退職しました。
今、二人が中心になって、「日本語駆け込むみ寺」という日本語学習者を支援するホームページを作っています。
彼はもともと理工系出身の技術者なので、自分でいろいろなソフトの開発もしています。
そんな彼にとって、ホームページを作ることなど朝飯前で、彼がホームページの管理責任者をしてくれています。
この数年間、彼と協力しあって、「日本語駆け込み寺」を運営しているのですが、一人の力ではできないことでも、仲間の力があればできます。
一日本語教師でしかない私に、そんなすばらしい仲間との出会いの機械を作ってくれたのが、インターネットだったのです。
私には大切な中国の友だちがいます。
その人に名前は陳国輝と言います。
彼は私より20歳ほど年下の工場労働者です。
彼と知り合ったのは、今から20年前、朝の虹口公園です。
当時の私は留学生でした。
ある朝、公園を散歩していた私は、彼の太極拳の美しい動きにうっとりしていました。
すると、彼は手招きして、「一緒にしよう」と言いました。
留学したばかりの私は中国語がわかりませんから、手振り身振りでコミュニケーションしたのですが、その日から私は彼の太極拳の弟子になったのです。
毎朝、夜明け前から、二人の練習は始まります。
それは私が日本に帰るまでの一年間続きました。
ある日、私は風邪で練習を休みました。
そのとき、彼はわざわざ漢方薬を持って留学生寮を訪ねてきてくれました。
そして私のために、風邪にいいという温かいスープを作ってくれたのです。
私は涙が出るほど感動しました。
それ以来、私と彼との間には、変わらぬ友情が生まれたのでした。
1.~ので
◆熱がひどかったので、病院にいった。
◆うちの娘がいつまでも結婚しないので、心配しています。
◆もう病気も治ったので、安心してください。
2.~など
◆お寿司や天ぷらなどが、日本料理を代表するものです。
◆高校入学のお祝いには、図書券などがいいんじゃないですか。
◆あんな男の言うことなど、信じない方がいいですよ。
3.~でも/~ても
◆人は誰でも、一つや二つの欠点は持っています。
◆この店は、いつ来ても、お客がいっぱいですね。
◆どんなに辛くても、がんばるんですよ。
4.~ために(目的)
◆大学に入るために、勉強しています。
◆生活するためには、働かなければなりません。
◆何のために、あなたは日本に留学したのですか。
5.~ほど(程度)
◆これほど言っても、わかってくれないのですか。
◆あのときは、穴があったら入りたいほど恥ずかしかったです。
◆その景色は、言葉では表せないほど美しかった。
木村:劉さん、もう日本人の友達はできましたか。
劉:ええ、田中君という友だちがいます。
木村:その人とは、どこで知り合いましたか。
劉:大学のゼミで知り合いました。
木村:初めてその人と会ったとき、どんな印象の人でしたか。
劉:最初は冷たい感じで、つきあいにくい人だと思いました。
しかし、この夏のゼミの合宿で、たまたま彼と同じ部屋でした。
それで話す機会があったんですが、実際に話してみると、とてもおもしろくて、楽しい人でした。
木村:人は外見だけではわからないことが多いですからね。
劉:ほんとうにそうですね。
田中君とは、今では、何でも話し合える友だちになりました。
今回のゼミの合宿は、一生の思い出になりそうです。
木村:それはよかったですね。
1.あなたの一番親しい友だちは誰ですか。
→です。
2.その人とは、いつ、どこで知り合いましたか。
→私は、で知り合いました。
3.その人とあなたは、年齢が同じですか、それとも離れていますか。
→と私は、年齢が。
4.その人にはじめてあったときの第一印象はどうでしたか。
→とても、人だと思いました。
5.実際につきあってみて、その人はどんな人でしたか。
→第一印象と(同じで/違って)人でした。
6.その人とあなたは、いっしょにどんなことをしましたか。
→よくたり、たりしました。
7.その人との思い出の中で、一番強く覚えていることは何ですか。
→ことです。
8.その人は、今、どこで、何をしていますか。
→で、。
9.あなたは親友とは、どんな人のことだと思いますか。
→親友とはと思います。
10.あなたは日本人の友だちがいますか。
(いる場合)その人はどんな人ですか。
→。
その人は。
11.日本の人とのつきあいで、難しいと思うことがあれば話してください。
→と思います。
12.言葉や文化が違う人と人が理解しあうために、大切なことは何だと思いますか。
→と思います。