日本文学史--上代文学

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上代文学

上代文学
日本文学史的划分
歴史学のように政体の変遷に注目すること が必ずしも相応しいとは考えられないが、 目安にされることが多い。 又、以下のように、上代・中古・中世・近 世・近現代が行われているが、研究者に よって異論もあり、中古を設定しない場合 もある。近代と現代を分離するか否かにつ いても諸説あり、定まっていない。

日本文学史的划分



上代の文学 中古の文学 中世の文学 近世の文学 近代の文学 現代の文学
(794年まで) (1192年まで) (1603年まで) (1867年まで) (1926年まで):明治と大正 (1927年 -- 現在)
第一章 上代の文学
概観
1、上代とは 大和時代から794までの間 文学におい ては大和時代(約300―710)と奈良時代 (710-794)を含む。
第三期:
1、時間:平城遷都(710)--聖武天皇(しょうむ)(724-729)の大平5年 (733)までの約20年間 2、歌風:中国の思想文化の摂取、個性的な読みぶりが重じられて、私的な 感情を詠んだ。抒情歌にすぐれる歌人が登場した。
3、歌人:山上憶良(やまのうえのおくら)、大伴旅人(おおとものたび
東国は地域的に遠江(とおとうみ)(静岡県)から陸奥(むつ)(東北
地方)にまで及んでいる。
防人歌:
「万葉集」の13、14、20巻に収められる防人たちの歌で、約百
首ある。
(当時の防人はほとんど東国から徴発され、九州地方に派遣する)
特に20巻にある九十三首の歌は大伴家持が採録したもので有名であ
る。 防人歌は徴発された兵士たちの歌で、東国の方言を交えて別離の 悲しみや苦痛を素直に歌っている。
ち)が全体に関与した。

日本文学史考试重点(上代-近世)

日本文学史考试重点(上代-近世)

一、上代文学1、上代文学:平安京迁都(794)以前的文学,发生在“大和地区”,也称为“奈良时代文学”。

2、先土器时代→绳文时代→采集生活→弥生时代→共同体社会3、“祭”→神圣的词章→歌谣和神话→口承文学(咒语、原始歌谣、神话传说)4、大和朝廷+百济→汉字传入:口头传承→文字记载(歌谣定型化、神话散文化)5、圣德太子+苏我马子:“宪法十七条”,大化改新→律令制度6、推古朝→万叶假名7、佛教→飞鸟文化、白凤文化、天平文化8、【古事记(日本最早书籍)】【日本书纪(第一部敕撰正史)】【风土记】【万叶集(最早和歌集)】【怀风藻(最古汉诗集)】(1)古事记A、天武天皇、稗田阿礼、天明天皇、太安万侣B、上中下三卷:上卷→神代(神话、传说),中卷→神武天皇(第1代)~应神天皇(第15代),下卷→仁德天皇(第16代)~推古天皇(第33代)(帝记)a、上卷:高天原神话、出云神话、天孙降临神话、筑紫神话b、伊邪那岐命+伊邪那美命=大八洲c、三贵子=天照大神+月读尊+须佐之男命C、和汉混淆文体:古汉语、变体汉文、假名注音相杂(2)日本书纪A、舍人亲王B、神代卷+帝记(神武天皇~持统天皇)C、正文→唐代风格的古汉文,仿照中国正史编写的编年体史书D、目的:宣扬国威、实现对外宣传(3)记纪歌谣A、形成于“万叶集”之前,不是独立编撰成书的歌谣集,是最早的和歌群B、歌体自由,无固定格律(五、七句为主,四、六句为次)C、长歌、短歌、片歌、旋头歌D、三类:恋歌(最多)、战争歌和事变歌(叙事性强)、酒歌和欢乐歌(4)风土记A、天明天皇、地方志B、五国风土记:常陆风土记、播磨风土记、出云风土记(最完整)、肥前风土记、丰后风土记C、古代汉语或变体汉文写作D、五项内容:郡乡地名、郡内物产、土地情况、山川原野名称由来、旧闻轶事(5)万叶集A、日本最早诗歌总集,抒情诗的源头B、仁德天皇的皇后~淳仁天皇C、万叶:万言叶;万世;万叶D、编者:橘诸兄、大伴家持E、作者:柿本人麻吕、高市黑人、山上忆良、高桥虫麻吕、山部赤人、大伴旅人、大伴家持、大伴坂上郎女、额田王F、歌体:定型歌,大部分是短歌;长歌、反歌、旋头歌、佛足石歌G、万叶假名=男假名=真假名:借汉字的音或义记录日本文字的音H、内容:三大类→杂歌、相闻、挽歌;其他→譬喻歌、东歌、防人歌、问答歌I、四时期a、舒明天皇~壬申之乱* 记纪歌谣从叙事性向抒情性发展;* 定型和歌形成期;* 歌风:雄浑、朴素、明快,感情真挚自然* 代表歌人:舒明天皇(天皇登香具山之时御制歌)、额田王(女歌人)、天智天皇、天武天皇b、壬申之乱~迁都平城京* 和歌逐渐进入文学领域* 代表歌人:柿本人麻吕(与山部赤人并称“歌圣”,擅长长歌)、高市黑人(短歌)、大津皇子、大伯皇女、志贵皇子c、迁都平城京~天平5年* 多元化* 代表歌人:山上忆良(贫穷问答歌、思子等歌一首并序)、大伴旅人、山部赤人(“歌圣”、富士山“千古绝唱”)* 山部赤人之后短歌迎来全盛期d、天平6年~天平宝字3年* 和歌出现明显的游戏文章的倾向,歌风专注于技巧* 代表歌人:大伴家持* 万叶和歌进入衰退期:和歌形式固定,内容走向个人世界,歌风柔美,缺乏独创性(6)怀风藻A、歌→日本诗歌→倭歌→歌人;诗→汉诗→诗人B、淡海三船C、最早的汉诗集(第一部在纯文学领域接受中国文化及汉诗影响的诗集)D、体裁多为五言体,均为题咏作E、大津皇子、藤原不比等F、前后两期:受六朝影响;受初唐影响G、影响平安初期三大敕撰汉诗集【凌云集】【文华秀丽集】【经国集】9、祝词及宣命(“言灵信仰“的产物)(1)宣命:奉天皇敕令向臣民宣布政令时用的语言A、宣命体(汉文记录的成为“诏敕”)B、【续日本书纪】收录宣命最多(2)祝词:祭祀神祗时向神上奏所用的语言A、【延喜式】保存祝词最完全的法典B、结构:序(神话传说,重叙事)+结(祈愿,重抒情)二、中古文学1、中古文学:平安迁都~镰仓幕府建立,中心是平安京(京都),创作核心是藤原氏为主的贵族,也称为“平安时代文学”。

日本上代文学特点

日本上代文学特点

日本上代文学特点
日本上代文学也称为大和时代的文学,分为口承文学和记载文学。

五世纪时,汉字开始得到使用,汉传佛教传入日本。

另外在经历了大化改新和壬申之乱后,七世纪左右,大和朝廷改革为统一律令制国家,天皇权威得到保证。

这些都对日本人的思想产生了巨大的影响。

一、口承文学
从集体生活中诞生,宗教色彩浓厚,有很多的叙事要素。

历史背景:全面向中国学习颁布授受法三省六部
时代:古坟时代(367-592年)无文字器物
飞鸟时代(593-794年)
二、记载文学(710-794奈良时代)
随着汉字的传入,用文字携文学,文学的个性和艺术性逐渐增强,逐渐从叙事文学反转为抒情文学。

其中根据文字记载的形式形成的文学类型有:
《古事记》
现存日本最早的书神话传说
《日本书记》
日本流传最早的正史编年体史书
《万叶集》
日本最早的和歌集国家整理编纂
《怀风藻》
日本最古老的汉诗集。

日本文学史简述

日本文学史简述

中世文学

中世:源頼朝による鎌倉幕府創設から徳 川家康による江戸幕府まで 1192~1603 鎌倉(神奈川県東部)時代・室町(東京都 中央区北部)時代


中世時代

軍記物語:保元・平治の乱に始まり、平氏 の滅亡・承久の変などを経て、政権は武士 階級のものとなっていく。こうした時代相を 反映して『保元物語』『平治物語』『平家物 語』『源平盛衰記』などの軍記物語が生み 出されていく。
一一世紀後半になり

特徴:摂関政治は無力化し、藤原氏も力を失って いく。特に白河法皇によって成された院政は摂関 政治も行われなくなる。この公家社会の内部分 裂によって、武士階級が実力を持つようになって いく。この時期に、物語に関しては、『夜中の寝 覚』『浜松中納言物語』、短編集『堤中納言物語』、 歴史物語『大鏡』、日記に関しては、『更級日記』 が注目されよう。こうした公家的な文学に対して、 庶民の事も記した『今昔物語』、庶民の間で歌わ れた歌謡の集成『梁塵秘抄』も生み出されている。

中世文学
代表作品: 1361年頃 曽我物語(真名本) 軍記 1376年以前 増鏡 軍記 1400年 風姿花伝 世阿弥 能 1411年頃 義経記 軍記 1463年 ささめごと 心敬 連歌 1467年 吾妻問答 宗祇 連歌 1472年 花鳥余情 一条兼良 注釈 1476年 竹林抄 宗祇 連歌 1488年 水無瀬三吟百韻 宗祇・肖柏・宋長 連歌 1495年 新撰莵玖波集 一条冬良・宗祇 准勅撰連歌撰集 1499年 竹馬狂吟集 俳諧 1518年 閑吟集 歌謡
中世文学

なお、この時代は政権が武士階級に移っ たとはいえ、まだ文学の担い手は『新古今 集』を編纂するなどした貴族にあった。

日本文学简史重点纲要

日本文学简史重点纲要

日本文学简史重点纲要 Revised by BLUE on the afternoon of December 12,2020.第一章上代文学1、当时,日本没有独自的文字表达方式,所以歌谣、神话基本上都是依靠口头传承的。

这被称为“口承文学”。

2、在口承文学时代,要用异国的文字忠实的记录下日本本土的歌谣、神话,是极为困难的。

尽管如此,还是产生了所谓的万叶仮名,用以记录诗歌文学。

3、日本最早的和歌集是万叶集。

4、日本最古老的汉诗集是懐风藻。

5、日本现存最早的书籍是古事记。

6、《古事记》由上中下三卷构成。

上卷记录神代之事,也就是神话和传说;中卷记录了从第一代天皇神武天皇到第十五代天皇应神天皇之间发生的事情;既有神话,也有史实,不完全属于帝记;下卷记录了第十六代天皇仁德天皇到第三十三代天皇推古天皇之间发生的事情,基本上属于帝记。

7、《古事记》采用古汉语、变体汉文和假名注音相杂的“和汉混淆体”。

8、仿照中国历代正史而编写的编年体史书,被称为日本第一部敕撰正史的是日本书纪。

9、《古事记》和《日本书纪》中收录了不少古代歌谣,这些古代歌谣总称为记纪歌謡。

10、就在《古事记》编撰的第二年,天明天皇下诏撰修各国的地方志。

目前仅存的只有五国风土记,即常陆风土记、播磨风土记、出云风土记、肥前风土记和豊後风土记,其中只有出云风土记保存完好。

11、日本最早的诗歌总集万叶集才是真正意义上的文学史的开端。

关于其编者,有学者认为是大伴家持。

万叶集收录和歌约4500首,其中短歌约4200首。

12、万叶集的和歌按照内容可以分为三大类,即雑歌、相闻和挽歌。

第二章中古文学1、平安迁都以后,日本的传统诗歌“和歌”的地位逐渐降低,成为“私人空间”的文学。

此时编撰的三部敕撰集凌云集、文化秀丽集、経国集反映了当时汉诗文兴盛的时代特征。

日本文学史上又称这个时期为国风暗黒时代。

2、第一部皇帝下令编撰的敕撰和歌集是古今和歌集。

3、假名的普及使日常语的自由变现成为可能,带来了色彩斑斓的假名文字散文文学。

上代の文学

上代の文学

概 述1. の文学(「物の哀れ」―― が提出)2.真実の尊重(「まこと」)日本文学の特色3.陰翳礼賛(「幽玄」、 が提出した「 」、「 」、「しをり」、「ほそみ」)4.________5.自然との共存第一章 上代の文学上代とは: 文学の発生~ 遷都(794年)一、文学の発生 二、神話、伝説三、歴史物語と説話文学3『風土記』 4『日本霊異記』( ) 四、歌謡と詩歌<詩歌の展開>1万葉集2漢詩文練習問題(一)1.祝詞、宣命の最も大きな相違点は何か。

2.僧景戒の説話文学の先駆とも言える説話集を何と言うか。

また、どんな説話を収めているか。

3.現存する日本の最古の漢詩文集を何と言うか。

4.和銅六年(713)中央政府が諸国に命じ、産物、地味、地名起源、古老の伝承などを報告、編集させた公文書は何と言うか。

5.神々の働きを語り伝えたものを何というか。

6.上・中・下の三巻から成る日本最古の歴史書は何か。

この歴史書の記録・編纂した人物はだれか。

7.舎人親王の手によって編年体で編纂された歴史書は何か。

8.古代の和歌を集代成した現存最古の歌集は何か。

その歌集を最終的にまとめたといわれる人物はだれか。

9.『万葉集』の「第一期」の歌人で、天智天皇や天武天皇の寵愛を受けた女流歌人はだれか。

10.『万葉集』の「第二期」の歌人で、雄大な長歌を得意とした専門歌人の第一者はだれか。

11.『万葉集』の「第三期」の歌人で、「貧窮問答歌」を詠んだ思想歌人はだれか。

12.『万葉集』に収められた、辺境防備の兵士の歌を何というか。

同じく東国の民衆の歌を何というか。

日本文学史_上代

日本文学史_上代

ぶ。
『天を詠む』
天を海に
柿本人麻呂 万葉集巻第七
雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ 現代語訳: 天の海に 雲の波が立ち 月の舟は 星の林に 漕ぎ入り隠れようとしている
天の海に
月の舟浮け 桂梶 掛けて漕ぐ 見ゆ 月人をとこ 現代語訳:天の海に 月の舟を浮べ 桂の梶 を 取り付けて漕いでいるよ 月の若者が
中西進
上昇型、下降型と分けると下降型である。 女性的。 非論理的、合理性がない。 感性的
時代区分
文学の誕生から、平安遷都(延暦十三年 七九四)(なく よ うぐいす)のころまでを上代とする。 大和地方(飛鳥・藤原京・平城京)を中心とする。
文学の誕生
先土器時代(旧石器時代)→縄文時代(土器、採集生活) →弥生時代(水稲耕作)→共同体的社会 祭りの場で語られる神聖な詞章(呪言・呪詞)が文学の原 型である。

古代歌謡 古代の人々の信仰と生産の生活に根ざした表現 歌垣・宮廷歌謡 祭りの場で人々は、神への祈りや感謝を歌に込めた。時に 簡素な楽器や舞踏を伴ってくり返しうたわれるうちに、集 団の労働や歌垣などの場でも民謡としてうたわれるように なり、統一国家形成の過程では、宮廷の儀礼に取り込まれ て宮廷歌謡としても伝承だれた。 このようにして定着した歌を総称して、古代歌謡と呼ぶ。 記紀歌謡 『古事記』『日本書紀』に収められている約百九十首の歌 謡である。 <内容>多方面にわたる生活感情がさまざまの歌体で豊か にうたわれている。
月舟移霧渚、楓檝泛霞浜。 台上澄流輝、酒中沈去輪。 水下斜陰砕、樹除秋光新。 独以星間鏡、還浮雲漢津。
読み下し文 『月を詠む』
月舟は霧の渚に移り、楓檝は霞の浜に泛かぶ。 台上は流耀澄み、酒中去輪に沈む。 水下りて斜陰砕け、樹除りて秋光新し。 独り星間の鏡を持ちて、還に雲漢の津に浮か

日本文学史-上代

日本文学史-上代

日本文学史上代文学(大和・奈良時代)特徴:口承文学から記載文学へ代表作:1、古事記古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば、和銅5年(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された日本最古の歴史書。

上・中・下の全3巻に分かれる。

『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文に天步天皇が撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉と詔していることから、勅撰と考えることも出来る構成『古事記』は、帝紀みかどおさむ的部分と旧辞きゅうじ的部分とから成り、天皇系譜が『帝紀』的部分の中心をなし、初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃こうひ・皇子・皇女の名、およびその子孫の氏族など、このほか皇居の名・治世ちせい年数・崩年干支・寿命・陵墓所在地、およびその治世の大事な出来事などについて記している。

これらは朝廷の語部(かたりべ)などが暗誦して、天皇の大葬の殯(もがり)の祭儀などで誦み上げるならいであった。

それが6世紀半ばになると文字によって書き表わされた。

『旧辞』は宮廷内の物語、天皇家や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものである。

『帝紀』や『旧辞』は、6世紀前半ないし中葉頃までに、天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、朝廷の貴族によって述作されたものであり、それらをもとにして作成されたものである以上、民族に伝わった歴史の伝承ではないとの主張もある。

一方、広く民衆に受け入れられる必要もあったはずで、特に上巻部分は、それらを反映したものが『古事記』ではなかったかとの主張もある。

構成は、1. 上かつ巻まき(序・神話)2. 中なかつ巻まき(初代から十五代天皇まで)3. 下しもつ巻まき(第十六代から三十三代天皇まで)の3巻より成っている。

内容は、神代における天地(アメツチと読まれる)の始まりから推古天皇の時代に至るまでのさまざまな出来事(神話や伝説等を含む)を収録している。

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上代文学の時代背景:皇室中心の時代①一世紀ごろには、多くの小国家が分かれて国土のあちこちに存在していた。

②四世紀頃になると、大和朝廷【やまとちょうてい】(日本最初の統一政権。

大和を中心とする畿内地方の諸豪族が連合して皇室から出る君主を大王、後に天皇として擁立し、4-5世紀までに東北地方以遠を除く日本本土の大半を統一した。

統一時代の君主は軍事的英雄であったと見る説もあるが、6世紀には世襲的王制が確立し、諸豪族は臣/連などの姓によって階層的に秩序づけられて、氏姓制度が成立した。

飛鳥時代から氏姓より個人の才能/努力を重んずる官司制度が発達し、7世紀半ばの大化改新後、律令制の朝廷に変質した。

大和政権。

)による国家統一がなされた。

③四世紀後半の朝鮮半島との交渉による帰化人の渡来するにつれて、六世紀頃には漢字も使われ始めた。

④六世紀半ばには仏教も伝来した。

⑤七世紀に入ると、聖徳太子は遣隋使を派遣し、飛鳥文化が栄えた。

⑥七世紀の半ばには、唐の律令国家体制のもとで、大化の改新が行われ、天武天皇の時代に至って律令国家が完成した。

⑦初唐の様式の影響を受けた白鳳文化が生まれた。

⑧奈良時代には、天平文化が栄えた。

一神話・伝説・説話二祝詞と宣命三詩歌四詩歌ー「万葉集」五文学理念一神話・伝説・説話神話とは、古代の人々は、自然界や人間界に起こった様々な出来事を、神々の働きを中心に解釈し、説明しようとした語り伝えである。

・伝説とは、古代の人々は、自然界を克服した祖先たちの姿から作り上げた多くの英雄たちの物語である。

・説話とは、古代の人々は、自分たちの身の回りのあらゆることを興味深くまとめたものである。

(神や英雄の話に中心があるのではなく、話の展開そのものに興味の中心を置いた物に説話がある。

)1「古事記」712年成立現存する最古の歴史書天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)(生没年未詳天武天皇時代の語り部の舎人記憶が特に優れていたと記録にある)に読み習わせた帝記と本辞を、元明天皇の勅命によって太安万侶(おおのやすまろ)(生年未詳ーー723年奈良時代の学者)が記録した。

上巻:天地創造から神武天皇の誕生まで、神話の記された神代の巻である。

中巻:神武天皇から応神天皇まで、人の世の巻で、ほとんど伝説で占められた。

下巻:仁徳天皇から推古天皇まで、人の世の巻で、僅かに歴史的叙述が見られるに過ぎない。

評価:「古事記」は、天皇が国内的に思想の統一を図り、皇室の威信を国民に示そうとして作ったものである。

天皇中心の国家建設という政治的意図によって編集されたものであるが、神話いぇ伝説の中に描かれた古代人の、豊かな空想力や、素朴で明るい生活感情を知ることができる。

表記:漢字の音と訓を適当に交えた変体の漢文体で、歌謡は一字一音式の漢字で表記されている。

2「日本書紀」720年成立編年体三十巻元正天皇の命令により、舎人親王らが編纂。

巻二までは神代巻三以下は神武天皇から持統天皇までその記事の内容:①天皇の名・年齢・治世年数・皇居の所在地を列記したの帝記②歴代の諸説話・伝説などの旧辞③諸家の記録④各地に伝えられたの物語⑤詔勅⑥壬申の乱に戦場に行った時の日記などの私的記録⑦寺院の起こりの言い伝え⑧朝鮮・中国の史書の類評価:天皇を中心とする中央集権国家の確立にあたっての、理論的・精神的な支柱とすることを目的とし、対外的に国威を示すことにも気を使っている。

(当時の先進国、中国に対して、日本国の優勢さを占めそうというねらいで編纂されたものである。

)客観的史実に基づく歴史書としての性格が強く、「古事記」に比べて、文学性が乏しい。

表記:歌謡など一部を除いて、徹底的な漢文表記をしている。

「古事記」と「日本書紀」の比較(详见ppt)3「風土記」713年朝廷の命令により、各地の地名整理、物産品目、土地の良い悪い・作物のできぐあい、地名の起こりの言い伝え、その他古くからの言い伝えについて、地方の役所が報告した公文書(諸国に命じて、国々の産物、参禅原野の地名の由来などを報告させた地理書)現存するのは、完本の出雲の国(島根県)と、省略や欠けた部分のある常陸(茨城県)・播磨(兵庫県)・豊後(大分県)・肥前(長崎県と佐賀県の一部)の国の五か国のもの。

評価:城代の地理・文化が知られ、「古事記」「日本書紀」にない、地方独自の神話・伝説・説話が見られる。

4他のもの①奈良時代末期の「高橋氏文」②平安時代初期の「古語拾遺」両方とも一氏族の祖先以来の事跡や系譜を示したもので、古来の神話・伝説の資料として重要である。

③「日本霊異記」日本最古の仏教説話集822年ごろ成立薬師寺の僧景戒の編仏教が伝わってから後に発生した仏教説話を集めたもので、奈良朝の話が多く、主として仏教における因果応報の教えを説いている。

二祝詞と宣命祝詞・宣命古代日本人は神を恐れ敬って祭りを行った。

一方、彼らは、言語に神秘的な霊が宿っていると信じ、よいことばや美しいことばを使えば幸いが来、悪いことばを使えば災いが来るという言霊信仰を持っていた。

祝詞祝詞とは神々の徳を褒め称え、神に種々のものを奉ることを述べ、神の恵み(生活の安泰・多収穫・罪のはらえ)を得たいことを願う神聖なことばである。

現存するもの:「延喜式」に載っている二十七編「台記」に載っている一編だけである。

宣命とは天皇が命を宣る(命令を告げ知らせる)意で、天皇が臣下に下すことばである。

現存するもの:「続日本紀」に収められている六十二編がある。

祝詞と宣命の比較内容特色表記祝詞神を祭り、皇室の安泰や国民の繁栄を祈ることば厳粛で美しい表現が工夫され、文学的要素を持つ宣命書き宣命天皇が即位などの重要な儀式のある時、神の命令を受けて、人々に告げることば類型的な内容を形式的な表現方法で荘重に表わしている(この点などは祝詞に似ている)。

仏教思想など時代思想の影響も見られている宣命書き三詩歌上代歌謡「うた」の始まりは、人々の感情のたかまりが、短い叫びのことばやかけ声として発せられたものであったろう。

それらが変化成長して、一連のことばとなり、労働や信仰などの集団生活の中で、神に対する祈りや感謝として舞楽や楽器を伴って、繰り返し歌われた。

このような「うた」が上代歌謡である。

上代歌謡は、長い伝承の期間を経た後、和歌の成立に強い影響を及ぼした。

その多くは文字に記録されないままに失われていったが、いくつかは「古事記」「日本書紀」「風土記」「古語拾遺」「万葉集」「琴歌譜」「仏足石歌碑」などに収められている。

記紀歌謡記紀歌謡とは「古事記」「日本書紀」に載っている上代歌謡の総称である。

多くは宮廷に集められていたり、各地に伝わっていたりした歌謡が、神話や伝説に結びつけられたものと思われる。

内容は、自然を歌ったものは少なく、戦い・狩り・恋愛・祭り・酒宴・哀しみなど、広く古代の人々の生活全般にわたっており、当時の人々の、生き生きとした感情を汲み取ることができる。

明るく素朴な歌風の中に、古代の人々の野性に満ちた情熱がみなぎっている。

表現は、対句・繰り返し・枕詞・序詞などが使用され、力強く美しい調子を持っている。

歌の形式はまだ定型のものは少ないが、中に片歌・旋頭歌・長歌・短歌などの定型に近いものが見られ、後に和歌の形式に発展していったことを示している。

上代歌謡の形式は初めは一句の音数の一定していないものが多いが、やがて、五音・七音に整えられてくる。

また、一首の構成も一定していないが、だいたい、右のような歌体にあたるものが見られる。

片歌五七七。

二つに分かれて唱和する歌謡の一方旋頭歌五七七、五七七。

片歌二首を重ねた形式長歌五七、五七…五七七。

短形式の歌に対する短歌五七、五七、七。

長歌の末の反歌が独立したものか。

仏足石の歌原則として五七、五七、七、七。

一字一音の万葉仮名で記す例愛(はし)けやし我家(わぎへ)の方(かた)よ雲居(くもゐ)立(た)ち来(く)も――片歌「古事記」訳:懐かしいよ。

自分の家の方から、曇が立ち上ってくるよ2仏足石歌奈良薬師寺の仏足石歌碑に刻まれている二十一首の上代歌謡のことである。

内容は仏の徳をたたえたものが多い。

歌体は五七、五七、七、七の形式で、仏足石歌体と呼ばれる。

3琴歌譜 981年に写された和琴の譜本である。

万葉仮名で記された歌詞二十一首が載せられているが、記紀のものと同じ歌謡があり、記紀の時代の歌謡と思われる。

4万葉集 759年(奈良時代の末期)に、古代の歌を広く集めて出来上がったものである。

現存する最古の和歌集長い期間にわたって幾人かの編者の手が加えられ、最後に大伴家持が全体編纂を行ったと考えられる。

仁徳天皇の后、磐姫の作と伝えられるもの(347年)を最初として、759年の大伴家持の歌まで、約450年間の歌を20巻に纏めている。

歌の総数は4500首部立は巻によって異なるが、多くは雑歌・相聞歌・挽歌の三つに分類し、ほぼ年代順に並べてある。

歌体は、短歌が4200首で圧倒的に多く、長歌約260首、旋頭歌約60首、仏足石歌1首。

用字法は「万葉がな」と呼ばれる特有なものである。

作者は、天皇・官吏・庶民と各階層にわたり、地域も全国各地に広がっている。

歌は荒けずりな面もあるが、雄大で勢いがよく、はっきりとしていて力強く、また、生活に密着していて素朴で生き生きとしている。

作品は歌風の変遷によって四期に分けることができる。

第四期はやや例外としても、「万葉集」を通じて流れる歌風の特徴は、「ますらをぶり」と言われ、後に成立する和歌集や、後世の歌人たちに大きな影響を与えた。

「万葉集」歌風の変遷第一期壬申の乱(672)まで万葉の夜明け短歌の形式が一応完成し、みずみずしい情感、素朴な明るさが見られる歌人に舒明天皇、額田王らがいる。

①額田王は「万葉集」初期の女流代表歌人であり、歌風は情熱で力強く華麗である第二期壬申の乱後から平城京遷都まで(710)律令制の完成した繁栄の時期で、皇室賛歌や皇族の挽歌が多く、長歌、短歌の形式が整い、長歌の発展は著しい。

歌人に柿本人麻呂、高市黒人らがいる。

①柿本人麻呂は「万葉集」中第一の歌人で、後世、歌聖と仰がれて、宮廷を讃える歌をよみ、長歌に優れ、歌は雄大な構想、荘重な調べを持ち、枕詞・序詞・対句・繰り返しなどを巧みに使っている。

②高市黒人は客観的な態度で自然をよみ、旅情を歌った歌が優れている。

第三期平城京遷都後、733年ごろまで仏教・儒教・老荘思想が広まり、個性的な歌人が多く現れ、独自な歌の境地を作り出した。

歌人に山部赤人、山上憶良、大伴旅人、高橋虫麻呂らがいる。

①山部赤人は天皇の行幸の時をよんだ、皇室を讃える作が多い。

清澄な自然をよんだ、代表的自然歌人である。

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