近世文学

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中国近世叙事文学死亡叙事研究

中国近世叙事文学死亡叙事研究

中国近世叙事文学死亡叙事研究一、本文概述《中国近世叙事文学死亡叙事研究》这篇文章旨在探讨中国近世叙事文学中对于死亡主题的描绘与阐述。

通过对一系列经典叙事文学作品进行深入剖析,本文试图揭示死亡在中国近世文学中的多重意义,以及它如何被用作一种叙事策略来深化作品的主题和情感表达。

死亡,作为人类生命的必然终结,一直是文学创作中的重要主题。

在中国近世叙事文学中,死亡被赋予了丰富的象征意义和情感色彩,它不仅是生命终结的描绘,更是一种精神超越、道德评判和社会反思的媒介。

通过对死亡叙事的研究,我们可以更好地理解中国近世社会的文化心理、价值观念以及审美取向。

本文将从多个角度对中国近世叙事文学中的死亡叙事进行系统的梳理和分析。

我们将探讨死亡叙事在文学作品中的类型与特点,包括直接的死亡描写、寓言式的死亡象征以及隐喻性的死亡表达等。

我们将分析死亡叙事与作品主题之间的关系,探究死亡如何作为一种叙事手法来深化作品的主题和意义。

我们将考察死亡叙事在中国近世社会文化背景中的影响和意义,探讨它如何反映了当时社会的文化心理和审美取向。

通过对中国近世叙事文学死亡叙事的研究,本文期望能够为读者提供一个全面而深入的理解视角,以更好地欣赏和理解中国近世叙事文学的魅力与价值。

本文也希望能够为文学研究和批评提供新的思路和方法,推动中国叙事文学研究的发展。

二、中国近世叙事文学概述中国近世叙事文学,通常指的是明清时期至近现代的叙事性文学作品,包括小说、戏曲、曲艺、评话等多种艺术形式。

在这一阶段,中国的叙事文学在继承古代传统的基础上,实现了空前的繁荣和创新。

随着商品经济的发展和市民阶层的壮大,叙事文学更加贴近现实生活,反映了社会的复杂多样和人民的喜怒哀乐。

在小说领域,明清时期的章回小说、拟话本小说、世情小说、历史演义小说、英雄传奇小说等种类繁多,其中《水浒传》《三国演义》《西游记》《金瓶梅》等作品更是影响深远,被誉为中国古典小说的四大名著。

这些作品不仅在叙事结构、人物形象塑造、情节安排等方面达到了较高的艺术水平,而且通过描绘社会生活的广阔画面,揭示了人性的复杂性和社会的矛盾冲突。

近世文学

近世文学

近世文学(一)概观(1)基礎概念近世:徳川家康(とくがわいえやす)によって江戸に幕府が開かれてから、大政奉還(たいせいほうかん)までの約二百七十年間を近世という。

近世は日本の封建制度が完成を見た時代である。

特徴:①幕府は大名を全国各地に配置。

②士農工商(しのうこうしょう)という身分制度を敷く(しく)。

③忠孝ちょうこう・礼儀を説く儒学を官学とする文治政策。

(2)文学理念①さび:蕉風俳諧しょうふうかいの根本的理念。

自然と一体となったときにあらわれる閑寂(かんじゃく)・枯淡(こたん)の境地きょうちの美。

②しおり:蕉風俳諧の理念の一つ。

優しく細かくしなやかな感じ。

対象に対する愛憐あいれんの情が自然に外に現れるものを表す。

③細み:蕉風俳諧の理念の一つ。

繊細(せんさい)な感情によって対象をとらえたところに生ずるもので、内的な深みに食い入った状態。

④軽み:芭蕉晩年の理念。

表現の重さを脱し、平俗(へいぞく)な事をも詩的な美へと昇華(しょうか)させる境地。

⑤粋:浮世草子(うきよぞうし)や浄瑠璃(じょうるり)で見られる精神。

社交的に洗練(せんれん)された享楽(きょうらく)精神をもっていることを理想とする考え。

⑥通:遊里(ゆうり)の事情・趣味的生活など遊びの方面をよく知っていること。

粋(わく)が上方で、通が江戸でもてはやされた。

⑦勧善懲悪(かんぜんちょうあく):善を勧め、悪をこらしめようとする道徳的な考え。

儒教(じゅきょう)思想を背景に、人々の間に浸透していった。

(4)近世文学の主な内容について①俳諧の流行②国学の隆盛③小説の普遍④浄瑠璃と歌舞伎の発達俳諧の流行(1)俳諧の発展①貞門俳諧松永貞徳俳諧の決まりや用語を定め、卑俗(ひぞく)な俳諧を高めた先駆せんく俳風:保守的・古典的・生気に乏しい②談林俳諧西山宗因題材、用語、表現を自由大胆に唱えた俳風:奔放で、笑いを誘う③蕉風俳諧池西言水・上島鬼貫・山口素堂俳風:幽玄の美を求め、閑寂枯淡を重んじる蕉門俳諧松尾芭蕉:正保元年(1644)生まれ。

日本文学史考试重点(上代-近世)

日本文学史考试重点(上代-近世)

一、上代文学1、上代文学:平安京迁都(794)以前的文学,发生在“大和地区”,也称为“奈良时代文学”。

2、先土器时代→绳文时代→采集生活→弥生时代→共同体社会3、“祭”→神圣的词章→歌谣和神话→口承文学(咒语、原始歌谣、神话传说)4、大和朝廷+百济→汉字传入:口头传承→文字记载(歌谣定型化、神话散文化)5、圣德太子+苏我马子:“宪法十七条”,大化改新→律令制度6、推古朝→万叶假名7、佛教→飞鸟文化、白凤文化、天平文化8、【古事记(日本最早书籍)】【日本书纪(第一部敕撰正史)】【风土记】【万叶集(最早和歌集)】【怀风藻(最古汉诗集)】(1)古事记A、天武天皇、稗田阿礼、天明天皇、太安万侣B、上中下三卷:上卷→神代(神话、传说),中卷→神武天皇(第1代)~应神天皇(第15代),下卷→仁德天皇(第16代)~推古天皇(第33代)(帝记)a、上卷:高天原神话、出云神话、天孙降临神话、筑紫神话b、伊邪那岐命+伊邪那美命=大八洲c、三贵子=天照大神+月读尊+须佐之男命C、和汉混淆文体:古汉语、变体汉文、假名注音相杂(2)日本书纪A、舍人亲王B、神代卷+帝记(神武天皇~持统天皇)C、正文→唐代风格的古汉文,仿照中国正史编写的编年体史书D、目的:宣扬国威、实现对外宣传(3)记纪歌谣A、形成于“万叶集”之前,不是独立编撰成书的歌谣集,是最早的和歌群B、歌体自由,无固定格律(五、七句为主,四、六句为次)C、长歌、短歌、片歌、旋头歌D、三类:恋歌(最多)、战争歌和事变歌(叙事性强)、酒歌和欢乐歌(4)风土记A、天明天皇、地方志B、五国风土记:常陆风土记、播磨风土记、出云风土记(最完整)、肥前风土记、丰后风土记C、古代汉语或变体汉文写作D、五项内容:郡乡地名、郡内物产、土地情况、山川原野名称由来、旧闻轶事(5)万叶集A、日本最早诗歌总集,抒情诗的源头B、仁德天皇的皇后~淳仁天皇C、万叶:万言叶;万世;万叶D、编者:橘诸兄、大伴家持E、作者:柿本人麻吕、高市黑人、山上忆良、高桥虫麻吕、山部赤人、大伴旅人、大伴家持、大伴坂上郎女、额田王F、歌体:定型歌,大部分是短歌;长歌、反歌、旋头歌、佛足石歌G、万叶假名=男假名=真假名:借汉字的音或义记录日本文字的音H、内容:三大类→杂歌、相闻、挽歌;其他→譬喻歌、东歌、防人歌、问答歌I、四时期a、舒明天皇~壬申之乱* 记纪歌谣从叙事性向抒情性发展;* 定型和歌形成期;* 歌风:雄浑、朴素、明快,感情真挚自然* 代表歌人:舒明天皇(天皇登香具山之时御制歌)、额田王(女歌人)、天智天皇、天武天皇b、壬申之乱~迁都平城京* 和歌逐渐进入文学领域* 代表歌人:柿本人麻吕(与山部赤人并称“歌圣”,擅长长歌)、高市黑人(短歌)、大津皇子、大伯皇女、志贵皇子c、迁都平城京~天平5年* 多元化* 代表歌人:山上忆良(贫穷问答歌、思子等歌一首并序)、大伴旅人、山部赤人(“歌圣”、富士山“千古绝唱”)* 山部赤人之后短歌迎来全盛期d、天平6年~天平宝字3年* 和歌出现明显的游戏文章的倾向,歌风专注于技巧* 代表歌人:大伴家持* 万叶和歌进入衰退期:和歌形式固定,内容走向个人世界,歌风柔美,缺乏独创性(6)怀风藻A、歌→日本诗歌→倭歌→歌人;诗→汉诗→诗人B、淡海三船C、最早的汉诗集(第一部在纯文学领域接受中国文化及汉诗影响的诗集)D、体裁多为五言体,均为题咏作E、大津皇子、藤原不比等F、前后两期:受六朝影响;受初唐影响G、影响平安初期三大敕撰汉诗集【凌云集】【文华秀丽集】【经国集】9、祝词及宣命(“言灵信仰“的产物)(1)宣命:奉天皇敕令向臣民宣布政令时用的语言A、宣命体(汉文记录的成为“诏敕”)B、【续日本书纪】收录宣命最多(2)祝词:祭祀神祗时向神上奏所用的语言A、【延喜式】保存祝词最完全的法典B、结构:序(神话传说,重叙事)+结(祈愿,重抒情)二、中古文学1、中古文学:平安迁都~镰仓幕府建立,中心是平安京(京都),创作核心是藤原氏为主的贵族,也称为“平安时代文学”。

日本近世文学

日本近世文学

《南总里见八犬传》与《水浒传》的联系
比较《八犬传》的开篇和《水浒传》的开篇,可以看出两者 是极为相似的。
1.《八犬传》中的伏姬和《水浒传》中的洪太尉都是在深山老林之处 遇见骑在牛背上,吹着笛子的童子。 2.两人见到童子之后发问的语气也极为相似,伏姬问;“知道我是谁 吗?”,洪太尉问:“认得我吗?”。 3.而且这两部作品中的童子也都并非凡人,《水浒传》中的童子是天 师的化身,《八犬传》中的童子是现役者显灵。
• 近世文学产生背景
1.历史背景 封建制度下,社会长期处于比较安稳的状态。尤其是在江户幕府建 立后的百年间,随着商业的迅速发展,城市和市民阶层不断发展壮大, 交通也愈发便利。但18世纪中后期开始,经济发展陷入困境,社会动荡 不安,幕府加强了对经济社会各方面的控制。市民阶层开始追求享乐的 生活。
2.文化背景
日本近世文学
——曲亭马琴
万子君
• 日本近世文学概况 • 曲亭马琴简介
• 曲亭马琴代表作品《南总里见八犬传》 • 《南总里见八犬传》与《水浒传》的联系 • 总结
日本近世文学概况
• 近世文学的范围
近世文学又被称为江户时代文学,从1603年江户幕府建立到1868年 明治维新为止的260年间的文学被称为近世文学。
• 曲亭马琴是一个勤奋、多产的作家。60余年的创作生涯中 ,写作了 300多部小说,共1000余卷。这些小说可分为复 仇小说、巷谈小说、传记小说和历史小说等。 • 处女作:《尽用而二分狂言》
( 黄表纸:是一种连环画册,有点像在我国曾经风靡一时的“小人书”,内容上则是 一些夹杂着讽刺气息的通俗文学)。
• 复仇小说:《月冰奇缘》、《稚枝鸠》、《石言遗响》、 《三国一夜物语》、《云妙间雨月夜》 • 巷谈小说:《三七全传南柯梦》、《丝樱春蝶奇缘》 • 传记小说:《劝善常世物语》、《新累解脱物语》和《墨 田川梅柳新书》

《世界文学发展史》日本文学之七:近世文学1

《世界文学发展史》日本文学之七:近世文学1

《世界文学发展史》日本文学之七:近世文学1日本文学之七:近世文学1日本文学,这时被称为近世文学,也称江户文学时期。

中世前期社会动荡,到了这一时期由于德川幕府的建立,中央集权统治再一次成为政治统治形式。

武士成为统治者,建立一套更为完备的统治形式:首先是建立森严的等级制度,把人分为四等,士、农、工、商。

在等级结构中,将军是金字塔的顶点。

虽然武士成为统治者,但由于他们从各自的领地集中到城市,因此经济上不断被削弱。

在经济上异军突起的是町人阶级。

社会稳定,城市商业经济繁荣发达,使町人阶级在物质上较为丰富。

可是他们处于社会的最底层,政治上不可能有所作为,于是他们的人生哲学就是尽情享乐,因为这样可以弥补社会地位低下造成的心理自卑和不满。

他们的人生哲学直接影响到当时的町人文化。

这一时期与文学发展密切相关的是印刷术的飞速发展,这使文学作品大量出版发行,使文学有可能不再是上层少数贵族僧侣的专有领域,成为社会各种阶层的共同精神世界。

诗歌方面,这一时期主要是俳谐的发展阶段。

谈林派是俳谐的主要流派,谈林派得名于俳谐集《谈林十百韵》。

谈林派风格清新泼辣,滑稽诙谐,自由奔放,摒弃贞门俳谐的种种教条,但后期因流于卑俗,渐次冷落。

主要代表作家有西山宗因、田代松意、井原西鹤等。

西山宗因(1605~1682年)著有《西翁十百韵》(1673年)。

以后又和田代松意等人共同创作《谈林十百韵》,成为谈林派最重要的作品。

西山俳句注重艺术内容,如:" 疑是荷兰字,侯雁书长空。

" 谈林派衰落以后,迎来了俳句的黄金时代,这一时期被称为元禄文学,是江户町人文学的鼎盛时期,时间上大致是17世纪80年代到18世纪的最初10年。

这一时期,诗、小说、戏剧都取得了辉煌的成就,从各个角度反映了町人阶级的生活,传达了他们对生活的要求,再现了町人阶级遭受的封建压迫。

元禄文学主要在日本的大城市,如京都、大阪、江户,以反映城市生活为主。

" 俳圣" 松尾芭蕉就是元禄文学诗歌创作的代表性作家,他把市民阶级带有游戏性的俳谐,提高到真正艺术性的创作层次,他为俳句做出了空前绝后的贡献。

近代世界文学

近代世界文学

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幽默大师果戈里
代表作: 《钦差大臣》
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代表作: 《战争与和 平》 《安娜.卡 列尼娜》 《复活》
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印度文学大师泰戈尔
代表作: 《戈拉》
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代表作: 《哈克贝里. 费恩历险记》
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中央电教馆资源中心制作
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歌德与《浮士德》
欧洲四大文 学名著: 《荷马史诗》 《神曲》 《哈姆雷特》 《浮士德》
欧洲四大文 化名人:荷 马、但丁、 莎士比亚、 歌德
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德国诗人席勒
代表作: 《阴谋与 爱情》、 《欢乐颂》
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法国大文豪雨果 莫里哀、笛福、歌德和席勒
代表作:《阴谋与爱情》、《欢乐颂》 早年著文作诗反对封建专制,主张发展资本主义工商业,为此曾多次被判刑。 莫里哀、笛福、歌德和席勒 欧洲四大文学名著:《荷马史诗》《神曲》《哈姆雷特》《浮士德》 代表作:《高老头》、《欧叶妮. 笛福 (1660~1731) 英国小说家。 早年著文作诗反对封建专制,主张发展资本主义工商业,为此曾多次被判刑。 欧洲四大文学名著:《荷马史诗》《神曲》《哈姆雷特》《浮士德》 欧洲四大文化名人:荷马、但丁、莎士比亚、歌德 还著有《辛格顿船长》、《摩尔·弗兰德斯》、《大疫年日记》等。 还著有《辛格顿船长》、《摩尔·弗兰德斯》、《大疫年日记》等。 欧洲四大文学名著:《荷马史诗》《神曲》《哈姆雷特》《浮士德》 雨果、巴尔扎克、狄更斯、哈代、普希金、果戈里、、泰戈尔、 代表作:《阴谋与爱情》、《欢乐颂》 代表作《鲁滨逊漂流记》,歌颂资本原始积累时期资产阶级的冒险进取精神。 代表作:《高老头》、《欧叶妮. 法国戏剧大师——莫里哀 雨果、巴尔扎克、狄更斯、哈代、普希金、果戈里、、泰戈尔、 欧洲四大文学名著:《荷马史诗》《神曲》《哈姆雷特》《浮士德》 欧洲四大文学名著:《荷马史诗》《神曲》《哈姆雷特》《浮士德》 哈代和《德伯家的苔丝》 莫里哀、笛福、歌德和席勒 笛福 (1660~1731) 英国小说家。 欧洲四大文学名著:《荷马史诗》《神曲》《哈姆雷特》《浮士德》 代表作:《阴谋与爱情》、《欢乐颂》 笛福 (1660~1731) 英国小说家。 笛福 (1660~1731) 英国小说家。 晚年以写海上冒险小说、流浪汉小说和 小说著称。 法国戏剧大师——莫里哀

日本文学史近世1

日本文学史近世1

大政奉還
• 慶応2年(1866)、徳川第15代将軍慶喜が幕 府の内憂外患に直面して、翌年(1867)遂に 征夷大将軍の職を辞し、政権を朝廷に奉還し た。これにより、江戸幕府としては265年、鎌 倉幕府から数えて682年をもって武家政治は 終末を告げ、所謂王政復古となった。
文運東漸
• 近世の文学は一般的に前期と後期に分けら れる。前期においては、文化や文学の中心 は京阪を中心とした上方にあったが、宝暦 (1751-1763)・明和(1763-1771)あたりを境として、 文化の中心が江戸に移っていく。この現象を 文運東漸と呼ぶ。
参勤交代
• 江戸幕府の大名統制策の一つであり、原則 として、一年交代で諸大名を江戸と領地と住 居させた制度である。1635年の武家諸法度 改定により制度化された。往復や江戸屋敷の 経費は大名財政を圧迫したが、交通の発達 や文化の全国的交流を促すなど各方面に影 響を与えた。
近世の身分制度
• 近世は宗教が支配した中世社会と違って、儒 教の道徳が支配した社会である。長い戦乱 後に社会を安定にするため、幕府は儒教を 政治の指導原理として選択し、士・農・工・商・ 穢多・非人という厳しい身分制度で人々を縛 り、それに世襲制によって固定化した。
浮世草子と好色
• 浮世:仏教的な生活感情から出た「憂き世」と漢語 「浮世(ふせい)」との混交した語。「無情の世」「この 世の中」「享楽の世界」などの意。 • 浮世草子とは、元禄時代(1688-1704)を出発点とし て、明和(1764-1772)のころまで約百年間、上方を 中心として当代の享楽生活や好色風俗などを積極 的に取り上げる写実的な風俗小説である。 • 好色:平安時代に定着した文学理念、特に『源氏物 語』が爛熟に達せられたが、中世になると、儒学的 な武士道精神と対立する間に、さらに発展された。 時代や道徳などを超越し、純粋な精神を主とした人 文精神となり、即ち、「粋」と「通」によって表現された 哀れや風雅で、人間の愛や自由への追求を表す。

日本文学史-近世

日本文学史-近世

近世文学キーワード:町人文学上方(かみがた・かみかた)は、江戸時代に大坂や京都を初めとする畿内(きない、きだい、うちつくに)を呼んだ名称である。

元禄(げんろく、旧字体では元祿)は、日本の元号(げんごう)の一つ。

貞享(じょうきょう)の後、宝永(ほうえい)の前。

1688年から1703年までの期間を指す。

この時代の天皇は東山天皇(ひがしやまてんのう)。

江戸幕府将軍は徳川綱吉(とくがわつなよし)。

山崎宗鑑(やまざきそうかん、寛正(かんしょう)6年(1465年)? - 天文(てんぶん、てんもん)22年10月2日(1553年)?)は、戦国時代の連歌師・俳諧作者。

本名を志那範重、通称を弥三郎と称し、近江国(おうみのくに、現在の滋賀県)の出身とされるが、本名・出自については諸説あり定かではない。

荒木田守武とともに、俳諧の祖と称される。

貞門派(ていもんは)は、江戸時代前期の歌人・俳人で連歌も行った松永貞徳(まつながていとく)(1571年-1654年)によって提唱された俳諧の流派。

貞徳は、俳諧が和歌・連歌を詠むにあたっての基礎であると考え、俗語や漢語などのいわゆる俳言(はいごん)を使うことを主唱した。

貞門派の俳風は言葉遊びの域を出ず、その後西山宗因(にしやまそういん)が主張した談林派俳諧に押されるようになるが、江戸時代後期まで影響力を有した。

談林派(だんりんは)は、西山宗因(にしやまそういん)らを中心にして江戸時代に栄えた俳諧の一派。

松永貞徳門下による貞門派に代わって俳壇の中心を占めた。

連歌師でもあった西山宗因のほか、浮世草子作者でもある井原西鶴(いはらさいかく)、京の菅野谷高政、江戸の田代松意らが活躍した。

後に衰えて松尾芭蕉による蕉風が盛んになる。

談林派の作風は「心付」と呼ばれた。

松尾芭蕉(まつおばしょう、寛永(かんえい)21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日))は現在の三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師である。

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1603年の江戸幕府の開設から1867年の大政奉還まで近世文学の時代背景•幕藩体制•鎖国政策•城下町と町人文化の発達•朱子学文学の特徴•商品化の文学•町人の文学•文運東漸文運東漸•近世の文学は一般的に前期と後期に分けられる。

前期においては、文化や文学の中心は京阪を中心とした上方にあったが、宝暦(1751-1763)・明和(1763-1771)あたりを境として、文化の中心が江戸に移っていく。

この現象を文運東漸と呼ぶ。

前期の上方文学•上方文学期は近世文学の最盛期である。

初期はまだ中世的精神を基盤としたものもあったが、次第に庶民を主体とするものへと発展していった。

俳諧では、京都の松永貞徳を中心として貞門俳諧が行われ、更に大阪の西山宗因が町人らしい自由奔放な談林俳諧を開いて民衆の心に浸透させていった。

この二つの影響を受けながらこれを超克した松尾芭蕉は、元禄のころ、平俗の中にも「さび」・「しをり」・「かるみ」といった美があることを提唱し、蕉風俳諧を確立した。

小説では、室町期の御伽草子、京都を中心に刊行された仮名草子の後を受け、談林俳諧から出た大阪の井原西鶴が、当時の町人の世相・生活を活写して、浮世草子と呼ばれる新しい小説の一体を開拓した。

劇作文学では、歌舞伎が度々幕府の禁令を受けながら、この期にその基礎を確立した。

一方、浄瑠璃では近松門左衛門の手により、目覚しい成長を遂げた。

後期の江戸文学•文運東漸は単に作者及び出版の中心の地域的移動というだけでなく、近世小説の質的転換、或いは新ジャンルの形成を伴っているところに大きな意味がある。

新ジャンルというのは、仮名草紙・浮世草紙、読本などの戯作と称する一群の小説である。

商業の繁栄した江戸では町人好みの戯作文学がはやり、文学の質が低俗化していく傾向が著しかった。

こうした雰囲気の中で、与謝蕪村らが蕉風復興に努力したが、世態・風俗をとらえる風刺・滑稽な川柳と滑稽な趣を読み込んだ諧謔の狂歌が大いに流行した。

幕藩体制•幕藩体制とは、近世日本の社会体制のあり方である。

江戸幕府を全ての武士の頂点とし、最高の統治機関としながらも、各大名がそれぞれの領地においてある程度独立した統治機構(藩)を形成していることと、米などを現物で納めさせて年貢とする石高制をその基礎においていることが特徴である。

諸大名を親藩、譜代、外様に分け、参勤交代や改易によってこれを統制した。

また、士農工商などといわれる身分制度によって武士を支配階級に位置づけた。

城下町と町人文化の発達•城下町とは、戦国時代から江戸時代にかけて、大名の居城を中心に発達した市街。

•戦乱が終わって平和な世の中となったために、全国的に交通網が整備され、各藩も自給自足的な経済にとどまることはできず、商業が目覚しく発展した。

それとともに、武士の保守的な伝統文化の枠内には求められない自らの文化的欲求を持つようになった。

文学を生み出す力が、貴族や武士の手を離れて民衆の側に移ったことは、近世の文学をそれ以前の文学と区別する最も大きな特色である。

鎖国政策•江戸幕府が封建体制を強化するためにキリスト教禁止を名目として日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した対外政策である。

ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。

実際には孤立しているわけではなく、朝鮮、琉球王国、中国とオランダとは交流があった。

近世主要文学ジャンルの代表作品1、仮名草子2、浮世草子:井原西鶴『好色一代男』3、俳諧・紀行:松尾芭蕉『芭蕉七部集』『奥の細道』4、川柳:柄井川柳『俳風柳多留』5、前期読本:上田秋成『雨月物語』後期読本:滝沢馬琴『南総里見八犬伝』6、劇文学(浄瑠璃):近松門左衛門『曽根崎心中』7、国学:本居宣長『古事記伝』『源氏物語玉の小櫛』大政奉還•慶応2年(1866)、徳川第15代将軍慶喜が幕府の内憂外患に直面して、翌年(1867)遂に征夷大将軍の職を辞し、政権を朝廷に奉還した。

これにより、江戸幕府としては265年、鎌倉幕府から数えて682年をもって武家政治は終末を告げ、所謂王政復古となった。

参勤交代•江戸幕府の大名統制策の一つであり、原則として、一年交代で諸大名を江戸と領地と住居させた制度である。

1635年の武家諸法度改定により制度化された。

往復や江戸屋敷の経費は大名財政を圧迫したが、交通の発達や文化の全国的交流を促すなど各方面に影響を与えた。

近世の身分制度•近世は宗教が支配した中世社会と違って、儒教の道徳が支配した社会である。

長い戦乱後に社会を安定にするため、幕府は儒教を政治の指導原理として選択し、士・農・工・商・穢多・非人という厳しい身分制度で人々を縛り、それに世襲制によって固定化した。

朱子学•平和が回復すると、幕府は幕藩体制を維持・強化するため、君臣の名分を強調する朱子学が武家政治の基礎理念として再興され、江戸幕府の正学とされた。

儒学は現実的な学問であったから、来世に対する信仰の薄くなった江戸時代にはよく適し、現実に即した生き方や、日常生活に基づく物の考え方が成熟し、仏教の思想にかわって思想界の王者となった。

町人の文学•近世文学では、商品経済と印刷技術の著しい発達によって、文学作品が商品として広範囲に流通するようになり、写本の時代に貴族しか読めなかった本は多量に出版され、支配層の専有物ではなく、庶民のものとなっていく。

作者層・読者層が町人まで拡大したことは、近世文学の性格に大きく影響している。

近世文学の主流は、浮世草子、俳諧・狂歌などの俗文学であり、現世肯定的な享楽性に富んだ庶民的な文学である。

•この時代の文芸思想は義理人情と勧善懲悪などで、追求した美的な理念は、市民社会が自ら求めたわび・さび・軽み・いき(粋・通)などであった。

思想や論理道徳は為政者の意に沿う形で鼓吹された場合もあるが、この時代の文学は庶民の感覚に根づくものであった。

浮世草子•浮世:仏教的な生活感情から出た「憂き世」と漢語「浮世(ふせい)」との混交した語。

「無情の世」「享楽の世界」などの意。

•浮世草子とは、元禄時代(1688-1704)を出発点として、明和(1764-1772)のころまで約百年間、上方を中心として当代の享楽生活や好色風俗などを積極的に取り上げる写実的な風俗小説である。

•①川柳と俳句の違い•②俳句松尾芭蕉(1644-1694)与謝蕪村(1716-1784)小林一茶(1763-1827)加賀千代(1703-1775)•③『奥の細道』の冒頭文①川柳と俳句の違い•<形式的違い>俳句には、<季語>が必用だが、川柳では特にこだわらない。

俳句には、<切れ字>が必用だが、川柳では特にこだわらない。

俳句は、主に<文語>表現だが、川柳は<口語>が普通である。

•<内容的違い>俳句は、主に自然を対象に詠むことが中心だが、川柳では、人事を対象に切り取ることが中心である。

•<歴史的な分岐>俳句も川柳も、同じ俳諧の中から生れた。

しかし、俳句は、俳諧の<発句>が独立したもので、季語、切れ字等の発句にとっての約束事がそのまま引き継がれ、さらに、題材も発句としての格調が保てるものに限られる。

川柳は、俳諧の<平句>が独立して文芸となったもので、発句として必用な約束事がない。

題材の制約はなく、人事や人情までも扱われる。

②俳句•俳句の由来:連歌の発句•俳句の特色:俳諧そのものはいわば省略の文学であり、ごく平明で簡素な表現や描写の中に、より以上に深い象徴性や余情を持たせることがその特性であると考えられる。

季語•季語は、俳句に用いられる季節を表わす言葉である。

俳句にとって「季語」は大きな役割を果たす。

季語は詩情の象徴となるイメージを読むものに与える。

これを連想力といってもいい。

また、時間と空間を一つのものとして表現することができる。

切れ字•連歌・俳句の発句において、1句として意味を完結させるため、修辞的な言い切り。

特定の助詞や助動詞の命令形・終止形などが使われる。

感動の所在を明示しながら、余韻、余情を添える。

•切れ字:(助詞)や、かな、よ、ぞ。

(助動詞):けり、らむ、つ、ぬ、ず、じ。

•古池や蛙飛込む水の音•夏草や兵どもがゆめの跡•閑かさや岩にしみ入る蝉の声•菜の花や月は東に日は西に•鍋物や心は里へ身はここに•痩蛙まけるな一茶是にあり•朝顔に釣瓶とられてもらひ水③『奥の細道』•1702年刊行。

松尾芭蕉が元禄時代に著した俳諧紀行本。

旅の行程は1689年3月末から9月半ばごろまで、門人の河合曾良(かわいそら)を伴って江戸を出発し、東北・北陸を巡り、行程約600里の旅をした(2400キロメートル)。

「月日は百代の過客にして」に始まる冒頭など、よく知られた箇所が多く、日本の古典紀行作品における最高的存在である。

芭蕉にとって人生と詩心を磨き上げる試練である旅は蕉風の樹立・発展にも大きく刺激を与えた。

『奥の細道』の冒頭文•月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。

古人も多く旅に死せるあり。

予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず。

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