综合日语4课文原文
综日第四册第11课

~そばから
接续:动词辞书形/动词た形+そばから、~てしまう/てくる。 说明:表示不断出现同样的情况。即使重复前项动作也会无效或者徒劳,有一种 “事情难以进展,很伤脑筋,”的感觉,“刚一……就……”。 息子はこづかいをやったそばから使ってしまう。/刚给的零用钱他就立马花掉。 最近、人の名前を聞いたそばから、どんどん忘れてしまう。年を取ったせいかな。
うま
埋まる ◎ 【自动・一类】
(1)(被)埋上,埋着。(穴などくぼんだところに物が詰まって平らにな る。) 線路が土砂に埋まる。/铁路被土砂埋上。 くずれた建物の下に埋まった人は助からないかもしれない。/被埋 在倒塌的建筑物下面的人,可能救不出来了。 (2)填满。(物に覆われて姿が見えなくなる。うずまる。) 穴が埋まる。/窟窿堵住了。 空席が埋まった。/坐无虚席;坐满了。 プラットホームが乗客で埋まる。/月台上挤满乘客。 (3)填补,弥补。(それまであいていたところに何らかの補いがつく。う ずまる。) 赤字が埋まる。/赤字弥补上。 欠員が埋まる。/空缺补齐。 欠損もやっと埋まった。/亏损好歹填补上了。
かた
固まる ◎
【自动・一类】 (1)变硬;凝结,凝固;成块儿。(固くなる。凝結する。) コンクリートが固まる。/混凝土凝固了。 雨降って地固まる。/雨后地面变硬;不打不相识;纠纷之后反更加平静;坏 事变好事。 (2)固定,稳固,成形;(天气等)安定,稳定;不再发展。 よく相談し合ったが意見が固まらなかった。/多方商洽意见未能一致。 ひと晩考えてみたがまだ決心が固まらない。/考虑了一夜还没下定决心。 縁談が固まった。/亲事说定了。 証拠が固まる。/证据确凿。 (3)集在一起,成群,成块儿。 寒いので,みんなストーブのまわりにかたまっている。/因为天冷,大家都聚 集到火炉的周围。 固まらずにもっと散らばれ。/不要聚在一块,再分散些! (4)热衷于,笃信(宗教)。 排外思想に固まっている。/热中于排外思想。
新编日语课文第4课第四课 食事

e.g:日本人はお酒が好きで、仕事が終わってからよく一緒にお酒を飲むと聞いています。
e.g:中国では、ふつうお米をご飯にして食べるのです。
在中国,一般是用米做成饭来吃。
子供を医者にしたいのです。
想把孩子培养成医生。
二、体言を+体言とする
该语法的形式和上面很类似,但是含义却由于に变成了と而有所细微的变化。
我们在新编日语第一册里面学到过体言とする的含义是表示“作为”,那么,我们也可以看出该用法的意思是:把……作为……,把……当做……。
うまい(形)② 美味的
ご馳走様(ごちそうさま)(組) 承蒙款待
勘定(かんじょう)(名 他サ)③ 结账
伝票(でんぴょう)(名)〇 发票
(感谢 xzbaszy 输入课文和单词)
一、体言を+体言にする 该用法与我们在第二课所学的……を……く(に)する是一样的,不过那个是专门针对于形容词和形容动词,这里是体言。含义均是表示人为促使某事物发生变化,把什么进行怎么样的变化。
寿司(すし)(名)② 寿司
召し上がる(めしあがる)(他五)〇 「飲む、食べる、吸う」の尊敬語
簡単(かんたん)(形動)〇 简单
米(こめ)(名)② 大米
主食(しゅしょく)(名)② 主食
好み(このみ)(名)③ 爱好
合わせる(あわせる)(他一)③ 合并
清酒(せいしゅ)(名)〇 清酒
七、たら表示完了的条件
该语法主要用于口语,假定该事项实现以后,就怎么样。类似于动词的假定形ば、と、なら的用法。但是也是有区别的,たら主要是表现了若前面一个动作发生完了,则怎么怎么样,有种接续的感觉。
たら接在动词、助动词连用形后面,形容词则是かったら、形容动词和体言为だったら,这和我在新编日语第19课讲到たり的变化是一样的,在那里我讲的比较详细,大家可以去看看,这里就不再具体去说了。
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第十课孩子的生活方式本文上星期天,我乘上了早上八点半左右的电车,前面的座位上坐着三个大约小学二年级的孩子,正把课本搁在膝盖上认真地看着。
曾经听说有孩子为了进有名的小学、中学,休息日也不玩,去补课的。
我想那些孩子也是连星期天也去补习的吧。
我也有个4岁的孩子。
翻开育儿杂志,“0岁开始的英语教育”、“为了培养出聪明的小孩”、“平假名从3岁开始”等广告铺天盖地。
在日本,孩子所占的比例越来越少,现在独身子女家庭也很多,因为孩子少了,对宝贝孩子的期望就越来越大,所以才有那么多育儿杂志上登的那样的广告。
但是对于小孩子来说,玩和学习究竟哪一个更重要呢?小时候开始让他学习很多东西,是不是真的就能变聪明呢?学习好的孩子就是好孩子吗?从名校毕业就真的能幸福吗?有了孩子以后,我开始这样考虑孩子的问题。
日本历来是学历社会,现在也是如此。
许多人认为:“学历高就能过好日子。
”但是到这一代孩子成人的时候会是怎么样呢?如今约有40%的人上大学或大专,已经不能说“只要大学毕业就能过好日子”这样的话了。
实际上,在大型企业中出现了面试时不问毕业大学名字的企业,这可能是他们意识到比起毕业于哪个大学来说,那个人的能力和是否有干劲更重要吧。
像这样社会正在慢慢改变,但仍有许多父母认为“只要让孩子上好大学,就不用担心他的未来了。
”他们似乎相信,那样做的话,孩子就一定能幸福,在电车上看到的那些孩子的父母也是其中的一员吧。
但是,在养育孩子的过程中,我发现了一些事情,那就是如果是孩子自己感兴趣的东西,就会很快学会。
我的孩子也是因为很喜欢读连环画,才很快学会平假名的。
某天听到孩子一个人朗读连环画时,我真的大吃一惊。
不是父母强迫孩子学习,而是让孩子自由地做他感兴趣的事情,孩子的能力会不断地发挥出来吧!我认为是可以相信孩子所拥有的能力。
考场得意,进入一流的公司工作,然后在那个世界里竞争着生活,有的人这样生活。
但也有人,不管学历,靠着自己的知识和技术,带给别人欢乐。
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第十三课旅行必不可少的是礼物本文旅行少不了礼物。
一到旅游旺季,各地的礼品店会挤满游客和修学旅行的学生。
出去旅行就一定要买礼物回来——这对我们日本人来说是铁的原则。
不仅是大人,就连小孩子到了修学旅行地也要再三思量买什么礼物好,因为不仅要买给家人,还要考虑近邻们。
而且这不仅适用于长途旅行,公司上班族,一天工作结束,傍晚回家时,孩子们如同等待已久般一下子打开门,齐声扯着嗓子喊:“爸爸,礼物!”这究竟是为什么呢?跨出家门一步,肯定会经历一些与日常生活中不同的新鲜事。
即使不是什么大事,但是既然出了门,人们就会期待你经历一些新奇的事情回来。
这些道理在买礼物和收礼物的人之间已经是一种默契了。
所以一旦出了家门,哪怕是去每天上班的公司,也需要买礼物回来,如果是长途旅行,那就更不用说了。
也就是说,礼物是想要把在外的体验和在家等待的人一起分享的证明,通过把礼物带回家,分给大家,就如同大家也一起参加了这次体验。
礼物是为了共享经历,以及此经历带来的喜悦而买的虚设。
而西欧所谓的旅游纪念品,与此不同。
那是为了纪念自己的出游或是保留旅游的那份回忆而买的东西,可以说是自我中心的。
但是日本旅行时买的礼物,是共享精神的一种表现,是为了和家人、朋友、近邻们一起分享旅行的气氛和气息而买的。
此种礼物的哲学,可以说是平等主义,其主旨不是独占,而是和大家一起分享旅途中的经历。
这也有填补经历了新奇的人和没有经历新奇的人之间落差的心理社会作用。
只有自己去了异乡,却无法和大家一起分享那里的经历和种种趣闻是很可耻的。
必须保持在未出门前,家庭、城内、职场等小团体内一直保持的相互平衡。
礼物是小团体内平等精神的表现,这是一直在局限、狭小环境里生活的日本人所想出的文化发明吧。
☆本文问题的参考答案1.旅に出ればお土産を買って帰らねばならぬというのは日本人とっての鉄則です。
2.何をお土産にすればいいか、家族だけではなく、隣り近所の人の分も思案しなければなりません。
新实用日本语综合教程学生用书4--第13课

第13課 表と裏
New Horizon College English
本文1 おもてとうら(一) 会話1 外見と中身 本文2 おもてとうら(二) 会話2 科学技術の進歩 豆知識と練習問題
2
本文1 おもてとうら(一) 背景紹介:「顔」と「目」 新出単語の確認と解釈 意味の理解と文型の運用(翻訳)練習
左右する:知恵者は他人の言葉に左右されないで、自分 の信念を信じる。
13
新出単語の確認と解釈
動詞・連語
つぶす
⓪
担う(になう)
②
繰る(あやつる)
③
障る(さわる)
②
細める(ほそめる)
③
飛び出る(とびでる) ③
肥やす(こやす)
②
探る(さぐる)
⓪
本文1
[五他] [五他] [五他] [五自] [一他] [一自] [五他] [五他]
夏休みは海に行こう。
・ ②好热啊!喝一杯冰凉的啤酒吧。
練
超暑いなぁ。冷たい生ビールを飲もう。
習 ③还是又很多不明白的地方,好好查查资料吧。
2012日语专四听力文字稿

1.空港から市内までどれぐらいかかりますか遠い空港までわざわざ出迎えに来ていただき、本当にありがとうございます。
ここから市内までどのぐらいかかりますか?うまくいけば、一時間十分ぐらいです。
このバスを降りたら、また乗換えが必要ですか?はい、地下鉄に乗り換えます。
607080902.その日は何の日ですか?由美ちゃん、もうケーキを食べたし、ジュースを飲んだから、早く寝なさいよ。
いやだ、サンタさんを待っているの。
でも、早く寝てよい子にしないと、サンタさんは来てくれないよ。
ほんとに?じゃあ、サンタさんはどこから来るの?サンタさんはね、プレゼントをたくさんを積んで、煙突から現れるんだよ。
お正月の初日(しょにち)成人の日クリスマスイブ大晦日3.経費の大半(たいはん)どこから出ていますか?経費はどこから出ているのですか?文科省から補助金を少しもらいましたが、大幅に不足しますので、私個人が出しています。
というと、金持ちのようにと思われるでしょうが、金持ちではないので、生活のすべてを切り詰めて、?をつぎ込んでいます、妻からも援助してもらい、さらに、銀行から一部借りています。
私個人奥さん文科省銀行4.何の休みですか?もうそろそろ休みですね。
そうだね。
で、中国に帰るの?まだ迷っているんだけど、おんさんは?正直に言って、帰りたい。
梅雨明け以来、ぐんぐん暑くなっているし。
じゃあ、一緒に帰ろうよ。
半年振りに、おふくろの味を味わってみたいなあ。
今から入館へ再入国の手続きにいこうよ。
春休み夏休み明け休み冬休み5.花見酒はどういう酒でしょうか?花見酒って何でしょうか?お花見をしながら飲むお酒を花見酒というんですよ。
なるほど。
私は何か特別に上場された酒の一種かと思いました。
確かに、桜を見ながら、お酒を飲んだり、歌ったりするのは本当に楽しいですね。
それは、中国大陸から、稲作(いなさく)農業がもたらせたところから始まったそうです。
ええ?それじゃ、桜の下でお酒を飲むのは何か意味があるんですか?昔は、神様が宿ると考えられた桜にお神酒(みき)をささげ、桜の散り具合によって、その年の実りを占っていた(うらなう)そうですよ。
2004年日语专业四级考试 「読解」译文
2004年日语专业四级考试「読解」译文Ⅲ.読解五、译文【文章1】译文:青春时代与我谈论过文学的男友打来电话,说想与我再见一面。
我慌了手脚。
不管怎样,我们有半个多世纪没有见过面了。
女性容颜易老。
他虽不是我的初恋情人却也让人茫然不知所措。
下定决心去见他的话,关于各自如何度过同一时代的话题会极其丰富。
如果这次相见他会讨厌我,那就让他讨厌我好了。
我突然想法一变,决定在最近的车站与他见面。
要打扮入时的话,就容易因穿着单薄而感冒,所以我没有换掉裤子,只把宽松夹克衫换成了风衣。
在约好的时间,我在车站检票口处等待了片刻。
最终我们会辨认出各自的长相吗?对方也一定怀有同样的心情吧。
要是认不出来可怎么办?没辙,听天由命吧,我这样想着抬头看着钟表的指针。
电车到站了,乘客一涌而出。
也许是心灵感应吧,看似像他的一个人一直注视着我向这边走来。
我把手微微举到耳边,走过来的那个人的视线很快与之呼应。
在那呼应的笑脸中,浮现出了半个世纪的容颜。
【文章2】译文:作为语言形态的文字有含义和印象两个方面。
然而我们读报纸时只读取文字的含义,而很少在意文字给人的印象。
但是,我们应该意识到即使“地震”这个正文中用到的小号文字,一旦把它扩大成标题“地震!”,我们在读到它的含义时,可以同时读出它加上感叹号后给人的印象。
【文章3】译文:话说回来,什么是保险呢?人可能会因事故或疾病,不知什么时候就会死去。
(中略)这样的不幸也许会偶然发生,也许不会发生。
只是,遭遇不幸的人非常少这一事实是确信无疑的。
如果众多认为“或许会遭遇不幸”的人们集合起来各自拿出少许钱款以备一时不测的话,那会是个不小的数额。
“聚沙成塔,集腋成裘”。
因为大部分人不会遭遇不幸,因此遭遇不幸的极少数人就能得到其他人支付的一笔钱款,这就是保险的基本理念。
【文章4】译文:日本人的生活习惯也随着时代的变化而发生着改变。
就在不久前,一到春天或秋天,随处可以看到人们为了让榻榻米干燥,把榻榻米从家里拿到外面的光景。
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第五课读书的方法本文人称读书为“学习”,正如所说,书是由杰出之士所写,阅读当然不会简单到手到擒来。
时常要竭思枯虑,勉为其难。
这才是学习。
商人在打折之时会说“勉勉强强吧”。
这正表明其忍痛减价,勉强之意。
我们在读书时也需绞尽脑汁,全力以赴,劳思伤神,倍觉辛苦。
所以,要读一本好书,不吃苦是不行的。
然而,如果吃很大的苦头,才能受到很大教益的话,也许反而会对读书产生厌倦、逃避的心理。
读书不是维持生计的必需品,所以如果感到太痛苦,一般人都会选择敬而远之。
但是,读书对于一个人的教养起着很大的作用,在不感觉痛苦的同时养成读书的习惯是明智之举。
而读书最好采取爬楼梯的形式。
突然读一本很深奥的书是不现实的。
要像爬楼梯一样,从不太难、水平稍低一些的书开始。
在低水平的书里,避免那些不感兴趣、不合性情的书,选择那些能让你因为读后有收获而感到开心的书。
读书和食物多少有些类似之处。
如果是不爱吃的东西,无论从科学角度看它多么富有营养,都不能被吸收,勉强下咽还会导致消化不良,反而对身体有害。
同理,将书本中头脑怎么也不愿意接受的内容硬塞进去,只会使大脑疲倦不堪,根本成为不了精神食粮。
也许有人会提出质疑:读书的偏好会不会和偏食一样难以矫正,思想从而变得片面、偏激呢?确实存在此种担心。
我所认识的人中,有人因为托尔斯泰的东西不合口味完全不屑一顾,而只热衷于陀思妥耶夫斯基。
我生来就很柔弱,又骄生惯养,不是一般的挑食。
为维持这个幼小虚弱的生命,奶娘拼命矫正我偏食的习惯。
以我的经验而言,对读书的偏好比对食物的偏好更容易矫正。
所以我认为没必要因为担心偏食而不读自己喜欢的书。
我的意见是,尽情地读你喜欢地书,由此爱上读书这件事。
偏好总能纠正过来的。
☆本文问题的参考答案1. そんなに値引きするのは無理でつらいのですが、努めてお安くしておきましょう、という意味です。
2. 努め、無理する、ない知恵を絞るといった共通点を持っています。
3. 苦痛が大きければ、たいていの人は、読書を厭い、避けるようになる。
第11课コミュニケーション
• 仕事を変えたら、収入が増えた反面、自由な時間が 減ってしまった。 • 子育てというのは、手がかかる反面、楽しみも多い。
ユニット2
練習
• 都会、便利、自然、少ない
都会は便利な反面、自然が少ない。 • ペット、かわいい、世話、する、大変だ ペットはかわいい反面、世話をするのが大変だ。
3. ~かと思ったら
第11課 コミュニケーション
《综合日语》第四册
ユニット1
めったに (副)
(下に打消の語を伴って)まれにしかないさま。ほとん ど起こらないさま。ごくまれ。
“不常,不多,很少,稀少” • 「こんな事故は─にない」 • 「病院には─行かない」 • 「―客が来ない」 (搭配否定句)
ユニット1
1. Vる/Vたそばから
• 意味: ある人物や物事を話題として取り上げ、それ について話手の評価を述べる場合に使う。たいてい 非難や不満を表す表現が続く。話し言葉。 • “提到~的话;提起~;说起~”
例
• お宅の息子さんは外でよく遊んでいいです ね。うちの子ときたらテレビの前を離れない んですよ。 • 吉田さんときたら、毎日遅刻や居眠りばか りだ。どうしたんだろう。 • あ~あ、俺ときたら、どうしてこんなに馬鹿 なんだ。
• 今度の体験は忘れがたいものだ。
• あんなに元気だった山田さんが亡くなったとは信じがた いことだ。 • 彼らのミスは許しがたい。
5. ~ない限り<唯一否定性假定条件>
• 意味: 「その事柄が起こらない場合は」という意味で、条 件の範囲を表す。後ろにはその条件で成り立つ状態を述 べる表現が続く。もしその条件が変化したら、そこで成り立 つ状態も変化する可能性があるということを含意する。
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第十一课在压力社会顺利生存本文现代社会被称为压力社会已经由来已久。
或许只要继续实行现行的社会体制,无论人们如何努力,想要消除压力还是很困难的吧。
另外,即使社会形态急剧变化,在现存压力消失的同时,肯定会有新的压力诞生。
顺便说一下,根据H·薛利的“应激学说”,压力也分“良性压力”和“恶性压力”。
这里所谓的“良性压力”就是指可以帮忙增加工作完成量、提高工作效率的压力,举例来说“设定目标”就是一种。
相反,所谓的“恶性压力”就是指使自己的活动停滞的压力,举例来说“亲人去世”应该是其中之一。
看来,我们要努力去做的不是消除压力,而是可以概括为“如何变恶性压力为良性压力”。
当然,把所有的压力都完美转换为良性压力几乎是不可能的。
你要问我“如何将在满员电车里被挤得一塌糊涂而产生的压力和因寒冬腊月产生的压力转化为良性压力”我也无法给出满意的答案。
尽管如此,事实上凭借自身意识,变“恶性压力”为“良性压力”的可能性也是很大的。
比如说,对于在“考试地狱”中的学生来说,每天的学习会变成压力,但是对于把“考试”当作自己的目标或促进自己进步的手段的学生来说,就成了“良性压力”。
同样,加班本身也很容易成为压力,如果把它想成是自己被大家认同并受大家期待的证据的话,就不会那么痛苦了。
也就是说依靠自己的力量无法消除的压力,与其笨拙地掩饰,不如坦率地承认,这样更健康(比如说向朋友诉苦:“电车太挤,真不爽。
”也可以向周围的人寻求对不快的认同感,“今天真的很冷啊!”)。
如果自己能够改变的压力,谁都知道把它变成“良性压力”的好处吧。
我们虽说生活在压力社会,但我们出生并不是为了忍受压力,如果谁都能好好把握自己(不要被动)发挥主体性的话,就能理解“压力是外界施加的”这个道理了。
我们有权利把周围带给我们的“恶性压力”转化为“良性压力”。
为此,我们首先必须意识到压力是可以自发性调节、控制的,而不应认为压力是必须承受的。
毋庸置疑的是,这个社会有不断施加压力的趋势,但要想顺利在这个压力社会谋生,自发性是最重要的。
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明けましておめでとう!新年快乐!今年もよろしくねこちらこそ!この間、雪祭り、行ってきたんだ札幌の?そう。
三好さんたちと行ったんだけど、超きれいだった!いいなぁでも、寒かった~長春ほどじゃないけどスキー、トライした?うん。
でも、滑るそばから大転倒!3分で雪まみれだよ見たかったなあ私も1月にハルピンに行ったじゃない冻死了!だから、ハルピンは寒いよって言ったじゃないでも、人気のスポットだし、ほんとにきれいで、もう感激!そうなんだあれ?やっぱり行ったことあるんじゃないさすが、長春出身!え?ないよ。
ほとんど地元なのに?うんそうそう、鈴木さんが氷のパンダに激突した!パンダ、かわいそう…私もハデに転んじゃって。
それなのに美咲ときたら、心配するのは鈴木さんのことばっかりえっ、そうなの最近ね、あの二人、すっごく仲良しなのよへえご両親から春節のカードをいただいたよ高橋さんのも来たよすごくセンスよくて感動!でしょそうだ、空手部の合宿、どこになった?沖縄!沖縄?那覇国際大と練習試合もするんだ。
マイクなんか毎日猛練習してるよ王さんも試合に出るの?さあ、どうでしょう…あ、ポップカルチャーの専門家に、沖縄は最高かもなんで?行けば分かるよ!教えて~沖縄って夜にはよく誰かの家に集まって、歌ったり踊ったりするんだっておもしろうそう!若い人も?そう!こういう習慣から沖縄のポップカルチャーが生まれたんじゃないかなああ、向こうの学生と、コンパ、することになってた!チャーンス!なんか、すっごく楽しみになってきたパフォーマンス、両方とも頑張ってね両方?そう、試合も、歌や踊りも無理だよ秧歌じゃないんだからあ、もう行かなくちゃ。
ごめん、またね!うん、バイバイ!!クレジットカードは本当に必要か(会社員23歳)クレジットカードは、今や私たちの生活にすっかり定着しています。
一人で5枚も6枚もカードを持っている人も珍しくないようです。
カードがあれば、現金を持ち歩かなくても、必要な時に必要な物を簡単に購入することができます。
また、デパートなどのクレジットカードでは、購入の額に応じてたまるポイントで商品券がもらえたり、割引料金で買い物ができたりするというメリットもあります。
しかし、便利である反面、それほど必要のない物や高額な物を値段を意識しないで買ってしまうということが起こりがちです。
実は、私は、家族や同僚からは時代遅れと言われていますが、カードを持たない、つまり現金主義者なのです。
カードを使うと借金をして買ったような気になり、支払いが済むまではなんだか落ち着かない気になるのです。
現に多くなりすぎたカードの支払いのために、サラ金などの金融業から借金をし、さらにその借金のために犯罪に走る人もあることが報道されています。
カードをめぐるトラブルは今後も絶えないでしょう。
クレジットカードが使えなくなるとしたら、不便を感じる人は多いでしょう。
しかし、カード利用者は、借金をしていることだという自覚を持ちつつ、カードを利用すべきではないかと思います。
教室でもっと発言を(大学生19歳)大学に入って、1年が経った。
今日も教室は後ろの方から埋まっていく。
この1年を振り返ってみると、いつもそうだった。
それには二つの大きな理由があるのではないだろうか。
まず、大学の教師が、学生に発言を求めることがあまりにも少ないということである。
そして、学生の方も、教師に指名されるのを恐れているのか、目立たない場所にいたいという気持ちがあるのか、いつも後ろの方の席にかたまりがちであることだ。
私は、父の仕事の関係で、高校の2年間を海外で過ごした。
そこでは一クラスの生徒数は少なく、授業はあくまで生徒中心だった。
私たち生徒は、常に授業に真剣に取り組まねばならず、教室では自分の考えや意見をためらわずに述べていた。
ところが、日本の高校では教師が一人で授業を進めている。
例えば、英語の授業では教師が教科書を読み、日本語に訳して重要な表現を説明するだけで終わってしまう。
英語の授業なのに、生徒は一言も英語を話すことがない。
さすがに大学ではこんな授業は見られないかと思ったら、信じがたいに大学も高校の延長にすぎなかった。
授業中、寝ている人や授業とは関係のない本を広げている人がいても、周りの人に迷惑になるような声で話していない限り、注意されることもない。
たしかに、日本の学校は一クラスの人数が多いので、皆が積極的に自分の意見を述べることは難しいだろう。
しかし、そういう状況の中でも、自分の意見を持ち、それを発表する勇気が必要ではないだろうか。
自分という独立した人間が、自分だけの意見を持つことで、社会の中での自分の存在を再確認できるはずだ。
自分という存在を自覚するためにも、少し勇気を出して、積極的に発言していこうではないか。
ここが日本の最南端、沖縄かあ。
あったかいなあ!海の青さといい、空気といい、同じ日本とは思えないなあ。
あ、比嘉先生!お久しぶりです。
やあ、小川君。
皆さん、めんそーれ!今年もよろしくお願いします。
那覇国際さんは、去年にも増してますます強くなったと聞いてますよ。
いやいや、東西さんこそ。
強い1年生が入ったそうじゃありませんか。
うちの大学はこのところ負けっぱなしでね。
今度の試合はお手柔らかにお願いしますよ。
じゃあ、まず腹ごしらえにこの近くの市場にご案内します。
1階で好きな食材を買ったら2階で料理してくれますから、向こうに着いたら各自食材を選んでください。
おす!お兄さん、何がいい?んー、魚、食べたいんですけど、よく分からなくて…それなら、いろんな種類をちょっとずつ選んだらどう?これとこれと…。
あ、そうだ。
それから、あと、このイラブーも。
えっ、こ、これ、食べられるんですか。
もちろん!これ、海蛇ね。
イラブー汁にするとおいしいんだよ。
海蛇?!いやあ、いいっす…。
じゃあ、これは?ハリセンボン。
こうなる前の姿がこれね。
ぎゃああ!お客さんたち、どちらから?よかったら、これ、味見してってよ。
それから、ゴーヤーチャンプルーの作り方教えてあげるから、こっちいらっしゃい。
わーい、ゴーヤーチャンプルーだあ!はい、材料は、ゴーヤー、卵、鰹節、島豆腐、ポーク缶詰、それと調味料。
ゴーヤーって、「苦瓜」とも言いますよね。
中国では発音は違いますけど、同じ漢字を使うんですよ。
へえ。
それに、島豆腐って中国の豆腐に似てますねえ。
きっと両方とも中国から伝わったんだろうな。
ああ、そうかもね。
じゃあ、炒める前に下ごしらえね。
ゴーヤーは縦二つに切って、中の種を取ったら、薄切りにする。
そして、島豆腐は手で大きくちぎっておく。
ポークは厚さ5ミリぐらいに切って、と。
うん!これ、懐かしい味!こらこら!卵は器に割ってよく混ぜておく。
はい、下ごしらえは終わり!さあ、ここからは自分たちでやってみる?はい!まず、熱したフライパンに豆腐を入れて、よく火を通して…はい。
最初に豆腐を炒めるんですね。
で、豆腐に火が通ったら、それを皿に取り出しておいて、それから、フライパンをそのまま強火にかけて、ポークを入れて、炒める。
豆腐を炒めたあとはポーク、と。
はい。
それから、ゴーヤーを入れて、よく炒まったら軽く塩を振って、味付けね。
砂糖は入れないんですか。
そう。
やまとの料理には何でも砂糖を入れちゃうんでしょ。
砂糖が入っていないのが沖縄料理の特徴なんだよ。
へえ、それも中華料理とちょっと似てますね。
中華料理と日本料理が混じったのが沖縄料理なのかなあ。
それとアメリカ料理もね!最後に鰹節と卵を入れて混ぜて、火が通ったらできあがり。
わあ!あいしそう!冷めないうちに食べよう!お待ちどおさま!あれ、大山さんは?さっき青い顔して戻ってきて、先にホテルに行ってるって。
えっ、そうですか。
どうしたのかなあ…結婚して二年目くらいのことだったと思うけれど、僕は半年くらい「主夫=ハウスハズバンド」をやっていたことがある。
そのときはなんということもなくごく普通に毎日を送っていたのだが、今になってみるとあの半年は僕の人生の最良の一ページ出会ったような気がする。
もっともその当時はとくに「主夫」をやろうと志していたわけではなく、たまたまちょっとしためぐりあわせて、女房が仕事に出て僕が家に残ることになったのだ。
もうかれこれ十二、三年前、ジョン・レノンが「主夫」をやって話題になる以前の話である。
「主夫」の日常は「主婦」の日常と同じくらい平穏である。
まず朝七時に起きて食事を作り、女房を仕事に送りだし、かたづけものをする。
流しの中にある食器はすぐに洗ってしまうというのが家事の鉄則のひとつである。
それから普通なら新聞を読むか、TVを観るか、ラジオをつけるかというところだが、僕はそういうことはやらない。
何故ならその当時我々は無形文化財的に貧乏で、ラジオもTVも買えず、新聞をとる金さえなかったからだ。
だから家の中には何もない。
金がないと生活というのはおどろくくらいどシンプルになる。
世の中には「シンプル・ライフ」というブランドの洋服があるが「シンプル・ライフ」のことなら僕の方がずっと詳しい。
朝食のかたづけが済むと洗濯をする。
とはいっても洗濯機がないから、風呂場でぐしゃぐしゃと足と踏んで洗っちゃうわけである。
これは時間はかかるけれど、なかなか良い運動になる。
そして干す。
洗濯が終わると食事の買い物に行く。
買い物とはいっても冷蔵庫がないから(それにしても貧乏だなあ)余分なものは買えない。
その日使うものだけを余りの出ないように買うわけだ。
だからその日の夕食が大根の味噌汁と大根の煮物としらすおろしなんていう状況もかなりの頻度で現出し得るわけである。
こういうのを「シンプル・ライフ」と呼ばずしていったい何と呼べばいいのだろう?買い物のついでに「国分寺書店」に寄って本を売ったり、安い古本を買ったりした。
それから家にかえって簡単に昼食をとり、アイロンをかけ、ざっと掃除をし(僕は掃除が苦手なのであまり丁寧にをやらない)、夕方まで縁側に座って猫と遊んだり本を読んだりしてのんびりと過ごす。
なにしろ暇なものだから、僕はこの時期だけで、「講談社・少年少女世界名作全集」を読破したし、『細雪』なんて三回も読んだ。
あたりが暗くなってくるとそろそろ夕食の仕度である。
米を洗って炊き、味噌汁を作り、煮物を作り、魚を焼く用意をして女房が仕事から帰ってくるのを待つ。
帰ってくるのはだいたい7時前だが、時々残業なんかで遅くなることもある。
でも――今さらことわるまでもないだろうが――家には電話がないので、連絡はつかない。
だから僕は魚を網の上にのせたまま、女房の帰りを、「……」という感じでじっと待っているわけである。
この、「……」というのはたぶん日常的に経験したことのない方には分からないだろうけど、かなり微妙な種類の感興である。