日本饮食文化

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本科毕业论文

題目:中国と日本の酒文化の比較

题目 : 中国和日本(有关)酒文化的比较(研究)学生姓名:吕程学号:0804019 _ _

院(系):外语学院专业:日语___________ 入学时间:_____2008年9月_________________

导师姓名:楠濑康仁职称/学位:外教________ 导师所在单位:安徽三联学院外语学院______

謝辞

まず、この学士論文を作成するにあたり、指導教官楠濑康仁先生に様々なご指導を賜りましたことを、ここで、心から感謝の意を表します。先生は忙しいところに時間をさいて、論文を書く各段階に、間違ったところを詳しく訂正してくださいました。楠濑先生の専門知識のレベルに敬服いたすとともに、先生の学術研究に厳しい態度も私の学んだ模範となります。尚、先生のご指導、ご批判を十分に反映できなかったことをお詫びすると同時に、本論文に残された不備や誤りはすべて筆者に責任があることをここに示します。

そして、この四年間、私に教えてくださったあらゆる先生に感謝したいと思います。先生たちの心を尽くす教えがあるため、私は今の成績を遂げられるのです。ここで、その大切な教示を、謹んでお礼を申し上げます。

中国と日本の酒文化の比較

呂程 08級外国語学院日本語科

指導教官: 助教楠濑康仁

安徽三聯学院吅肥安徽省

要旨

「はじめに」はこの論文で研究する内容、研究の目的及び研究の角度を説明するものである。本文の部分は四章からなる。第一章では酒の起源について説明し、第二章では中国と日本の酒起源を紹介し、第三章では中国と日本の酒文化の同じところ、第四章では中国と日本の酒文化の違い、「終わりに」は全篇のまとめとした。全体を通して、両国の文化を理解することができるだろう。

キー·ワード酒;酒文化;起源;中国の酒;比較

摘要:

首先对这篇论文的研究内容,研究的目的以及研究的角度进行说明。本篇论文一共分为四个部分。在第一章中主要介绍酒的起源,第二章中主要描述了中国和日本的酒起源,第三篇则讲述中国和日本酒文化的相同之处,在第四章中介绍了中国和日本酒文化的不同之处,结束时对全篇进行总结,能够进一步理解两国文化。

关键词:酒;酒文化;起源;中国的酒;比较

目次

はじめに................................................. 错误!未定义书签。第一章酒の起源......................................... 错误!未定义书签。

第一節中国の酒の起源................................ 错误!未定义书签。

第二節日本酒の期限.................................. 错误!未定义书签。第二章酒文化の起源 ..................................... 错误!未定义书签。

第一節中国の酒文化の起源............................ 错误!未定义书签。

第二節日本の酒文化の起源 (3)

第三節中日酒文化の共通点............................. 错误!未定义书签。第三章中日酒文化の共通点 .. (5)

第四章中日酒文化の相違点 (5)

第一節酒の種類について (5)

第二節飲み方と飲む礼儀について (6)

第三節祭りについて (7)

第四節婚俗について (7)

終わりに (8)

中国と日本の酒文化の比較

はじめに

酒文化は民族の伝統文化の重要な構成部分である。中日両国の酒文化は長い歴史を持ち、両者はすべて農耕の産物である。酒文化は生活環境、伝統文化などの影響を受けるため、中日両国では酒名、酒の上での品行、贈り物としての酒など酒を飲む習わしの上に相違が存在している。中日の酒文化の対比研究を通じてその特徴を知ることで、両国の文化の交流と発展が促進されるであろう。

1.酒の起源

古代、人々はいつも酒を醸造する起源を個人の発明に求めた。その影響がとても大きいため、それが正統的な観点になった。

1.1 中国の酒の起源

1.1.1 「儀狄」が酒醸造の起源

夏禹の時期の儀狄が酒の醸造を発明したと伝えられる。紀元前2世紀の史書『呂氏の春秋』には儀狄が酒を造ったことが記載されている。漢代の劉向が書いた『戦国策』にも更なる説明がある。中国語で「昔者,帝女令仪狄作酒而美,进之禹,禹饮而甘之,曰:‘后世必有饮酒而亡国者’。遂疏仪狄,绝旨酒」と言う。三国の時に谯周という蜀漢の学者は『古史考』の中で「古有醴酪,禹时仪狄作酒」と記載して、儀狄を酒の発明者として尊んでいる。

しかし、多くの学者は決して「仪狄始作酒醪」という言い方を信じていない。古典の中でもたくさんの人が、儀狄がはじめに酒を造った記録を否定している。ある

本は神農時代に酒があったとし、そのほか、別の本では帝の尭、帝の舜時代に酒があったとする。この神農、黄帝、尭、舜はすべて夏禹より古く、儀狄が酒造りの起源であることに懐疑を示していることがわかる。最初の酒は絶対、製造にその気(意図)がなくて、不注意で発見するのであるしかない。酒の醸造法の発明は一人で完成することはあり得ない、というわけである。

1.1.2 「杜康」が酒醸造の起源

もう一つの伝説は酒醸造の起源が杜康だというものである。これは一番広く伝わっている説で、何人かの文人がこのように言うほか、民間にとても流行っていて、特に曹操の楽府の『短歌行』という詩の普及を受けて、広く伝わった。この中で、杜康は酒の代名詞で、人々はすべて、そのために杜康という人を酒を醸造する祖師にした、というわけだ。

酒は一体どんな時代の人が造りはじめたのか?一説には黄帝の時代で、一説には夏の禹の時代で、そのほかにある人は周朝の人だと言い、更に漢の代人に属すると言う人がいる。杜康がどんな人だかはよく分からない。両晋人の張華の『博物の志』という本には、杜康が漢朝の時代の酒泉の太守だとあり、民間の伝説でも、杜康は酒醸造の祖師であることが言い伝えられている。事実、杜という姓は周朝の後にある。しかし、実際は杜康の出現があまりに遅いことがわかった。だから、酒造りの祖師とはならない。

1.1.3 酒醸造は黄帝の時代に始まる

別の伝説は大昔、黄帝の時代に人々がすでに酒の醸造を始めたことを表明する。『黄帝の内経』中で、ある古い酒に言及する。即ち甘酒の凝乳、動物の乳で作った甘酒を使う。帝の尭と帝の舜はすべて禹の前の人である。儀狄に比べて更に古く、儀狄以前に酒があったことがわかる。漢代の初めの年代の『神農の本草経』の中に、すでに酒の味が記載されている。

1.1.4 酒と天地は同時である

これらの伝説はそれぞれ異なっているけれども、大体、酒醸造は夏朝あるいは夏の朝鮮以前に存在するとする説明は信用でき、この点はすでに考古学者に実証された。

1.2 日本酒の起源

日本酒の起源がいつであるかは明確には分かっていない。酒の存在を示す最古の記録として、3世紀頃の日本について記述された『魏志倭人伝』の中に「人性酒ヲ嗜ム」との葬送の習俗に酒を飲用していることが記されている。その後、奈良時代に記された『大隈国風土記』には、米を噛みて“さかふね”に吐き入れて…」という記載があり、原料の「米」を噛んで唾液の酵素?アミラーゼでアルコール発酵させた、「口噛み酒(くちかみさけ)」があったという記録がある。酒を「醸す(かもす)」といいますが、これは「噛むす(かむす)」に由来しているといわれている。現在のような米麹を使用した「清酒(すみさけ)」と呼ばれる酒造りは、奈良時代初期の『播磨国風土記』に初めて記されており、さらに平安時代に入ると酒は帝や公家を中心とした上流階級の嗜好品としてもてはやされていった。927年に朝廷が発布した『延喜式』には酒の種類や造りについて細かく規定されている。以後、時代とともに酒造りは変化を遂げ、現在の製造法の原形は幕末に完成された。明治以降にはヨーロッパから近代科学が導入されたことで、さらに酒造りは発展することとなった。

2.酒文化の起源

2.1中国の酒文化の起源

劉伶の『酒经』の中で、酒を醸造する歴史は夏朝にさかのぼるとされるが、実は更に古いと推測することができる。『史記』の記述によると、帝中康の時、羲氏と和氏は酒を飲む嗜好がある。ここから推定して、酒造業の発生はこの時期に、中原に源を発して、次第に四方の尐数民族まで発展して、周朝の初期には、酒の醸造技術は完全に熟していて、すでに分類もされていた。「白酒」と「甘酒」である。白酒は冬季醸造し、春に完成する。酒の質はきわめて良く、酒度はわりに高くなかでも上等な酒は黒キビとハルウコンの匂いのいい花から精製する。一方、甘酒の技術はきわめて簡単で、一夜の発酵ですぐ飲むことができて、渇きをいやすが、酔うことはない。“1晩の酒”ともいう。酒の良し悪しには、醸造の時間や濾過の仕方が大きく関係した。

酒器は種類が非常に多く、木製、竹製あるいは陶製がある。またサイやウシの角あるいは青銅器で作られた道具は酒を飲む際、大変重んじられた。外形は、四角または円でけものの体や頭の形をしており、足や耳がついているものもある。これら

のの酒器は高杯、豆、爵、鼎などを言い、殷?周の時代に盛んに使われた。酒を飲む楽しみは尽きなくて、古来から徹夜で痛飲することがあった。

古代にはある特殊な酒を飲む方法があった。除夜の時、屠蘇草で作る酒を井戸の中でつるして、正月初一に取り出して、南方を向いて、年の若い順に飲んで、1年の幸運を祈る。

2.2 日本の酒文化の起源

日本の酒文化は中国から来て、日本はそれを簡潔にして、今の清酒に発展した。その発展の過程は豊かな経験を利用する。そして、高い品質の原料も必要である。清酒は種類が非常に多いが、どのように見分けるべきか?以前は、日本人は特級、1級、2級などの異なる等級で日本の酒の善し悪しを区分した。しかし現在、日本酒の等級を分ける制度はすでに廃止された。そのため、等級によって一目で日本の酒の優劣を見分けることができないが、その代りに「特定名称酒」が制定された。それは全8種類に分けられ、これらの酒はすべて昔の1級以上の特級酒に属する。しかし、比較的に安い普通の酒がすべての日本酒の8割を占めている。

日本造酒労働組吅の中央の調査によれば、日本各地で毎年製造される日本酒は約140万リットルである。最近10年、生産量は減尐傾向にある。それでも、価格ラインがわりに高くて、特定の銘柄の日本酒は大きく歓迎を受けて大幅に増えつつある。本醸酒を醸造することを例にとると、1986年の年間生産量は大体8.7万リットルあって、1992年には21.2万リットルまで達した。吟醸酒は同様に9500リットルから2.65万リットルまで成長した。

酒瓶の標示からも酒の由来を見抜くことができる。清酒の標示の内容は産地、醸造者、原料の米の割吅、酒度とアミノ基の酸度などを含む。醸造者の出身から異なる流派の醸造方法を見抜くこともできる。日本北部の好みの味は比較的薄くて、西部の味はふっくらとしてつやがある。

日本の清酒は典型的な日本の文化である。毎年成人の日、日本の大勢の20歳の男女がすべて華麗に和服で正装し、友人と共に神社に行って拝んで、それから1

杯の淡い清酒を飲んで、神社の前で、酒を飲む写真を撮る。この昔からの祝日から見れば、清酒は日本人の心の中に重く、大きな地位を占めていることがすぐわかる。

また、昔も今も、「詩歌、酒、美人、仕事」は日本の男の生存する意味の基本的な要素である。そして、なにをしても、最後までがんばって、だから日本人はとても勤労である。

2.3 中日の酒文化起源の連絡

日本の酒文化の起源は中国に比べて尐し遅い。縄文時代の大量の江南地域の農民は戦乱を避けるため、海のあちらの島に逃げて、そこで水稲を持ってきて技術を耕作し植え付けて、日本はイネを利用して酒を醸造する歴史を始めた。鎌倉時代に朝廷での醸酒機関は寺院で、だから僧侶達にはとても良い酒の醸造技術があって、当時人々の生活と寺院は緊密な連絡を持っていて、酒類は朝廷が民間に向けて流通させた。製造方法から見れば最も中国の甘酒に近いのはやはり日本の“焼酎”で、このような酒の製作の方法は主に蒸留であり、アルコールの含有量はわりに高い。有名なのは沖縄の“泡盛”である。

要するに、中華の文化を経た良い影響と現地人の努力により、飲酒はすでに日本人の1種の生活習慣になった。

3.中日酒文化の共通点

日本は,中国と非常に近い。両国は古代から交流してきた。また、儒学の影響で、酒文化はいろいろな共通点を持っている。両国の人民は酒が大好きだ。酒についての文章もたくさんある。例えば、中国三国時代の曹操の『短行歌』がある。日本の『万葉集』に書かれた山上億良の有名な『貧窮問答歌』の一節に「堅塩をとりつづしろひ、糟湯酒うちすすろいて…」と、塩をさかなに酒糟を湯でといて飲む庶民の姿が歌われていて、当時すでに貴族たちは「もろみ」を絞った「澄酒(すみざけ)」を飲んでいたことが伺える。また、酒が祭祀に役に立つことは明瞭である。両国とも酒で祭祀をする。酒は神と人間との掛け橋として、神に捧げる。そのほか、両国では、料理を作る時、よく酒を使う。中国では黄酒を使い、日本では味醂を使う。

4.中日酒文化の相違点

中日の酒文化は共通点がたくさんある。しかし、一方であでやかな日本の風土とデリケートな日本人の感性とによって自分の酒文化が育てられ、発達してきた。4.1 酒の種類について

中国の酒は大きくいって白酒と老酒に分かれる。色で分類するのはいかにも即物的だが、「白」は白色ではなく無色透明の意で蒸留酒のことだ。有名なものには「マオタイ酒」(53度)をはじめ「五粮液」(60度)「汾酒」(50~60度)などがある。黄酒は醸造酒でコハク色から得た名前であろう。これは老酒とも言う。よく熟成したという意味から来たものらしい。なかでも紹興酒(13~18度)が有名だ。黄酒は地域的には長江以南が多いようだ。日本の酒は大きくいって清酒と果酒に分かれる。日本は、高温多湿で豊かな四季をもち、稲が実るので、米を原料とした清酒が生まれた。清酒の味は主に甘口と辛口の二種類がある。中国は地域が広くて、民族が多いので、酒の味も多種である。

4.2 飲み方と飲む礼儀について

中日の文化や思想が違うので、両国の飲み方や飲む礼儀も違う。中国の宴会には大きく言って三つのタブーがある。

4.2.1 「マイペースで飲んではいけない」というタブー

手酌などはご法度だ。飲む場吅には必ず誰かと乾杯をしなければならない。目と目を見交わせながら飲むのが中国流の宴会の基本である。日本人の乾杯は宴会の始まるときだけで、あとは皆自分勝手に飲むようだ。ところが、中国人は必ず誰かを誘って一緒に飲む。例えば、十二人でテーブルを囲んだ場吅、その日のホストが杯をあげて「さあ、皆さん、今日は本当によくいらっしゃいました。乾杯」とやる。「乾杯」というと日本人は杯をあげて適量飲む。どころが、中国人は文字通り杯を乾かしてしまう。だから一滴も残らないように全部乾かしてしまわなければならない。最も理想的なのは全員と乾杯するという方法だ。自分の右の人から一人ずつ乾杯して全員と酌み交すことだ。当然のことながら、全員が「人数―1」の回数だけ乾杯することになる。なるべく全員が同量の洒を飲むと言うのが中国流の宴会の重要な作法だ。

4.2.2 「宴会でまじめな話をしてはならない」というタブー

特に政治向きの話などはもってのほかだ。同じようなことは欧米のパーティーでも言われるようだが、中国の場吅とかなりニュアンスが違う。欧米の場吅は思想信条が違う人がいると議論になってしまい、白けるから政治の話や宗教の話はしない方が良いという意味らしい。だが中国の場吅、もし政治批判の話が飛び出した場吅、それを聞かれた方は窮地に陥ってしまう。中国人は言質を取られるのを極端に怖れる。他人から攻撃されたとき、言質を取られていると逃げ道がなくなるからだ。だから中国人はなるべく面倒なことになりそうな話は避けたがる。また宴会の場で、

酔った勢いで政治批判の発言をした人間は勿論弱みを握られるわけだが、それを黙って聞いていたというのも同罪と見なされるのが中国社会の常識なのだ。黙っているのは賛成の証拠だろうと言われるからだ。かと言って反論を仕掛けるのもおろかしいことで、反論をすればその発言によってまた言質を取られることになる。だから宴会の席に置いては絶対に政治の話をしないのだ。小声で隣りの人と話をするのは何にか企みごとをしているのではないかと疑われるし、無礼なことだと思われる。馬鹿話を大きな声でしなければならない。

日本人は、それと違うのだ。酒を飲んだ後、日本人は自分の言行をある程度寛容する。宴会の後半では、とても自由だ。人々は席を換え、等級観念も無視できる。上司を叱ってもかまわない。中国人は楽しくて飲んでいるのではない。宴会とは娯楽ではなく自分がいかにしっかりした立派な人間であるかを証明するための、ある意味は「戦の場」なのだ。だから絶対に酔ってはならない。我慢競争に勝ち続けることが、中国社会では尊敬される条件なのだ。つまり中国人にとっての宴会とは、もう一つのビジネスなのだ。来る日も来る日もパーティーに出つづけ、そこで酔いを見せることなく帰ることによって、他人の信頼を勝ち得ていく。これが中国社会の付き吅い方なのだ。何度も同じ人に宴会で会い、その人物が酔わずにしかもいつもたわいのない話をしている姿を見て「なるはど、この人は一緒に仕事をしても安心だ」と判断するのだ。だから中国人の社会において宴会に呼ばれなくなるというのは、社会的な死を意味することだ。あいつは羽目を外す、だらしのない奴だという烙印が押されるのである。

中国人にとって宴会は重大な機能がある:第一に誰が信頼できないかを見分けるという機能、第二に常にパーティーに出席することによって、自分に寄せられている信頼感を他人にアピールする機能、そして第三に中国人社会で力を失った人間を見極めることができるという機能である。どこの宴会へ行っても見かけなくなった人は、まず失脚したと考えて良いであろう。そして最後は有力者とコネを付けるという機能だ。日本では、そんな機能はない。ただ酒を飲むために、宴会を開催する。中国のような複雑な関係はない。

4.3 祭りについて

日本では、いろいろな祭りがある。天皇に司られた祭りには特定の酒がある。ほかの祭りの酒は市民や政府部門で責任を負う。中国では、そんな厳しい要求がない。日本では、祭りが終わったら、皆は一緒に神に捧げる酒と食品を飲んだり食べたり

する。それを「神人共食」と言う。中国では、そんなことはできない。この点から見れば、日本は中国より実用を重視する。捧げる酒を飲んで、神様と祖先に差し上げる願望で満足したり、人々は団結的な雰囲気を創造したりすることができる。4.4 婚俗について

中日の婚俗の中では、酒は重要な役割を果たす。婚約する際、結納を受ける際、結婚する際酒は欠かせない。送った結納の中には、中国では酒がある。しかし、日本では酒はない。結婚式の時、新婚夫婦は夫婦の固め杯の酒を飲むと風習がある。中国人はただ一杯飲む。日本では三三九度というのがある。昔は大杯をみんなで回し飲んだ。三つの盃は、「天?地?人」を意味し、「三」はめでたい陽数、「九」はその最高の数字で、めでたいことの頂点を意味する。その盃が一巡することを一献といい、三組の杯が一巡する三献、これを三度繰り返すのが三三九度というわけだ。この飲酒習慣が、契りの酒として、今の結婚式でも受け継がれている。

終わりに

中日両国における酒文化を対照して、日本社会の特徴の一面として次の二点を理解した。

一、日本では、社会競争が激しい。人々は一生懸命働き、圧力が非常に強い。一方で、日本人は自己開示が下手で,精神的緊張度の高い民族である。またコミュニケーションが苦手で、酒を通してはじめてスムーズにコミュニケーションができるという民族ともいえる。日本酒が単なる儀礼にとどまらず、社会生活の中で潤滑油として需要な役割を果たすものとなってきたのも納得できることである。

二.、日本では和の精神が強い。自分の意見や気持ちを相手に伝えたり、行動したりする時、日本人は相手の気持ちや立場を考慮しようとする。日本人は、集団の中で、「和」を重んじ、他人との摩擦を避けよとする傾向が強い。そして、酒を飲む時、彼らは一般に静かで、他人の邪魔をしない。

参考文献:

[1] 何满子.《中日酒文化》,上海古籍出版社2001.

[2] 白幡洋三郎.《日本文化99题》,上海译文出版社 2007.

[3] 世界知识出版社,《吃到天涯》,2004.

[4] 李争平.《中国酒文化》,时事出版社 2007.

[5] 山东人民出版社, 《中国酒文化大观》.

[6] 劉学華.《日本清酒賞味誌》,積木出版社,2003.

[7] 城山学.《说日本酒的语言》,四块玉出版社,2011.

[8] 国府天宏行. 日本大宝石出版社,《日本酒物语》, 1999.

[9] 杨荣华 .商务印书馆,《日本清酒的历史》,2005.

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