日语文学作品赏析《鼻》

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社会心理学视角下芥川龙之介的《鼻》

社会心理学视角下芥川龙之介的《鼻》

社会心理学视角下芥川龙之介的《鼻》作者:唐昭梅来源:《速读·中旬》2014年第08期摘要:《鼻》是日本作家芥川龙之介的成名作之一,文章取材于《今昔物语》和《宇治拾遗物语》,以内供的心理变化为主线,篇幅短小精悍,内容凝练,文字老辣,对人情的观察细致入微,对人性的阴暗面也做了尖锐的分析。

本文将主人公一系列的心理活动从社会心理学的角度来进行相关理论和概念的解析。

通过对小说人物心理的研究,关键词:芥川龙之介;社会心理学;自我障碍策略《鼻》从表面上看是一个怪诞的故事,作家文中点出主人公的悲剧所在源于旁观者的利己主义。

但除了这个主线,文中还出现了很多可以用社会心理学的理论来解析的人物行为。

社会心理学是一门较新的学科,已经研究出来的成果和实验方法很多,本文选取与小说有交集的若干概念进行简略分析。

一、个体自我概念的构建文章开篇描述了一只与众不同的长鼻给主人公禅智内供带来的种种烦恼与尴尬。

内供的心理活动很多,要了解他与周围环境的关系,就必须要提到个体自我概念构建的过程:①从自己的行为推断自己;②从他人的行为反应推断自己;③通过社会比较推断自我;④通过自我意识来推断自我。

在本文中揭穿为了突出讽刺社会的整体环境,所以弱化了内供的自我心理,更多地体现在从他人和社会来推断自己,进行个体的自我概念的构建。

二、自我障碍策略在得知徒弟学到了如何使鼻子变短的方法后,内供没有直接要求而是使用了“自我障碍策略”(Arkin & Baumgardner,1985),这种方式是指人们提前用来解释自己预期失败的一系列行为。

在《鼻》中,一开始就做出不太情愿的样子,要徒弟反复“劝说”才肯配合,这个动作似乎在告诉弟子“我没说要弄短鼻子,我一点也不着急”。

这是自我障碍策略的一种形式,由于自己一开始就没有尽全力积极参与,这样好让旁人降低对治疗效果的过高期待(Baumgardner&Brownlee,1987),同时这次治疗结果是未知的有难度的,关系到日后内供的公众形象(Hormuth,1986;Riggs,1992;Turner & Pratkanis, 1993),所以就算失败了责任也不在自己,是徒弟的再三恳求不得已而顺之。

芥川龙之介的《鼻子》所折射出的深层意蕴

芥川龙之介的《鼻子》所折射出的深层意蕴

芥川龙之介的《鼻子》所折射出的深层意蕴一芥川龙之介是日本近代著名的短篇小说家。

他与森欧外、夏目漱石被称为20世纪前半叶日本文坛上的三大巨匠。

芥川龙之介作品的特点是技巧纯熟、精深洗练、寓意深刻、心理描写细腻、经得起反复推敲。

在《鼻子》中,芥川龙之介通过对主人公禅智内供鼻子变化的描写,来深刻地剖析了主人公心理曲折和微妙的变化,从而淋漓尽致地揭示了主人公脆弱的自尊心。

同时通过寺内弟子、城中百姓等对鼻子变化的不同看法,着力刻画了旁观者的利己主义,从而以犀利的文笔揭示了人性的虚荣与本质。

小说的情节并不复杂,《鼻子》的主人公是个叫做禅智内供的和尚。

说起禅智内供的鼻子,池尾地方的人是没有不知道的。

长足有5、6寸,从上唇一直垂到下巴。

其形状如香肠一般,正是因为有了这个与常人不一样的鼻子,禅智内供常常感到很苦恼。

别的暂且不谈,只是日常生活中诸如吃饭之类的小事,就不能一个人来完成。

但是这并不是禅智内供为鼻子而烦恼的主要原因,更使他苦恼的是由于自己不一样的鼻子遭到众人的议论和嘲讽而使其自尊心受到的伤害。

为了这伤脑筋的鼻子,他尝试了种种方法,甚至想在内典外典(内典佛教的教典;外典除此之外的一般的书)中找到一个与自己长着一模一样鼻子的名人,好来安慰一下自己心中的忧愁,可最后都是无济于事。

后来一年秋天,进京办事的一位弟子得到一个秘方,没想到结果却是非常成功的。

然而,他却发现周围的人不但没有停止嘲笑他,反而比以前更加厉害更加怪异了。

为此,禅智内供百思不得其解,好不容易把鼻子弄短了,反而受到了更大的嘲讽。

这是他所没有想到的。

一天夜里,禅智内供的鼻子又变成原来那样了,同时禅智内供感到烦恼退去心情又爽朗起来了,他心里喃喃自语道:这样一来,准没有人再笑我了二纵贯《鼻子》全文,我们不难看出芥川龙之介正是以鼻子的变化为中心来展开描述的。

主人公禅智内供也正是由于鼻子的变化,而使得心理上也引起了诸种的曲折和微妙变化,进一步显示了主人公的脆弱而又可悲的自尊心。

鼻2

鼻2

鼻芥川龍之介禅智内供ぜんちないぐの鼻と云えば、池いけの尾おで知らない者はない。

長さは亓六寸あって上唇うわくちびるの上から顋あごの下まで下っている。

形は元も先も同じように太い。

云わば細長い腸詰ちょうづめのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。

亓十歳を越えた内供は、沙弥しゃみの昔から、内道場供奉ないどうじょうぐぶの職に陞のぼった今日こんにちまで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。

勿論もちろん表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。

これは専念に当来とうらいの浄土じょうどを渇仰かつぎょうすべき僧侶そうりょの身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。

それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。

内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧おそれていた。

内供が鼻を持てあました理由は二つある。

――一つは実際的に、鼻の長いのが不便だったからである。

第一飯を食う時にも独りでは食えない。

独りで食えば、鼻の先が鋺かなまりの中の飯へとどいてしまう。

そこで内供は弟子の一人を膳の向うへ坐らせて、飯を食う間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げていて貰う事にした。

しかしこうして飯を食うと云う事は、持上げている弟子にとっても、持上げられている内供にとっても、決して容易な事ではない。

一度この弟子の代りをした中童子ちゅうどうじが、嚏くさめをした拍子に手がふるえて、鼻を粥かゆの中へ落した話は、当時京都まで喧伝けんでんされた。

――けれどもこれは内供にとって、決して鼻を苦に病んだ重おもな理由ではない。

内供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。

池の尾の町の者は、こう云う鼻をしている禅智内供のために、内供の俗でない事を仕合せだと云った。

あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。

中にはまた、あの鼻だから出家しゅっけしたのだろうと批評する者さえあった。

从芥川龙之介的人生解读《鼻》——兼与原作对比

从芥川龙之介的人生解读《鼻》——兼与原作对比

看 到 鼻 子 变 小 的 内供 , 人 反 而 比以 前 更 刻 毒 地 嘲 笑 他 , 令 旁 这
内供 感 到 前 所 未 有 的 不 快 ,最 后 鼻 子 一 夜 之 间忽 然恢 复 了 原 样, 内供 满 意 地 抚 着 失 而 复 得 的长 鼻 伫 立 在秋 风 中 。 二 、 鼻》 原 作 的对 比 《 与


篇 小 说 短 小 精 悍 , 思 巧妙 , 于 理 智 , 笔 优 雅 , 皮 幽 默 , 构 富 文 俏 对 人 物 的心 理 刻 画更 是 丝 丝 入 扣 。 这 个 小 故 事 说 的 是 一 位 名 叫 “ 智 ” 内供 奉 ( 位 名 ) 着 一 条 超 长 怪 异 的 鼻 子 , 到 禅 的 职 长 长 若是不拿条棍子挑着 , 吃饭 的 时候 就 会 耷 拉 到 碗 里 去 周 围人 无 不 笑 话 他 的 长 鼻 子 。 令 内供 非 常 苦 闷 。 努 力 思 考 使 鼻 子 这 他 看 上 去 更 小 的 方 法 , 不 断尝 试 有 可 能 将 鼻 子 变 小 的 方 法 。 并 很 偶 然 的 机 会 他 得 到 了一 个 来 自中 国 的 医 生 的 方 子 .并 在 小 仆 的 帮 助 下 , 功 地 治 好 了 长 鼻 子 。 一 般 人 无 甚差 异 了 。 但 是 成 和
珍 和 小 仆 的 斗 嘴过 程 。
《 》 事 简 介 鼻 故 《 》 表 于 1 1年 5 第 四次 《 思 潮 》 鼻 发 96 月 新 的创 刊 号上 , 被 是 誉为 “ 才” 鬼 的芥 川 龙 之 介 的成 名 作 、 表作 。 作 品是 芥 川 最 代 该 擅 长 的历 史 小 说 , 材 于 古 典 题 材 。一 如 芥 川 一 贯 的 文 风 . 取 这

芥川龙之介作品《鼻》中的自尊心与同情

芥川龙之介作品《鼻》中的自尊心与同情

( 表 面上 禅智 内供 已 然 超脱

,
因 为 养父 母 反 对
,
芥川 不得 不 与恋 人分 开
:

并 不在 意 自 己 鼻 子 的长 短 提 到 鼻 子两 个字 ) 带来 了诸 多 不便
。 。
但 实 际上
,
他 比谁 都惧 怕
在 他 写 给 友 人 井川 恭 的 信 中 说道




加 减 含 胜乙


自 己 果 然 是 与众 不 同 的

了 忆 力 U 万 切 乙力 汁 乙事力 艺今 分 叁乙 胜
今度以 乙


令 他 在 与 他 人 说 话 时 总 是 不 自觉 地 低 头 看 自 己 的 鼻

,
` 乌 分 含 凡 胜 含 < 物 足 9 含 协 上 今含 协 心 持力 寸乙 ( 人
然 后 尴尬 地羞 红 了 脸 既然 是 与众 不 同 的
,
禅智 内供 经 常遭 受异 样 的 目光
,
这 使禅 智
,
禅 智 内供 本人 对 自 己 的 鼻 子十 分在 意 样 的 一个 长 鼻 子 实在 是不方 便
,
一是 因 为有 这
,
内供有 低人 一等 的感 觉
但 也正 是这 样 的 自卑 感


,
特 别是 在 吃 饭 时

禅 智 内供 有 着高 于 别 人但 又 非 常脆 弱 的 自尊 心 因此 为 拯救 自 己 的 自尊心
这 似乎 印证 了 他得 道高 僧 的 超脱

,
但讽
中对 他人 同情 的矛 盾

芥川龙之介的成名作《鼻子》

芥川龙之介的成名作《鼻子》

芥川龙之介的成名作《鼻子》鼻子作者:[日]芥川龙之介谈起禅智内供的鼻子,池尾地方无人不晓。

它足有五六寸长,从上唇上边一直垂到颔下,形状是上下一般粗细,酷似香肠那样一条细长的玩意儿从脸中央耷拉下来。

内供已年过半百,打原先当沙弥子的时候起,直到升作内道场供奉的现在为止,他心坎上始终为这鼻子的事苦恼着。

当然,表面上他也装出一副毫不介意的样子。

不仅是因为他觉得作为一个应该专心往生净土的和尚,不宜惦念鼻子,更重要的还是他不愿意让人家知道他把鼻子的事放在心上。

平素言谈之中,他最怕提“鼻子”这个词儿。

内供腻烦鼻子的原因有二:一个是因为鼻子长确实不便当。

首先,连饭都不能自己吃,不然,鼻尖就杵到碗里的饭上去了。

内供就吩咐一个徒弟坐在对面,吃饭的时候,让他用一寸宽两尺长的木条替自己掀着鼻子。

可是像这么吃法,不论是掀鼻子的徒弟,还是被掀的内供,都颇不容易。

一回,有个中童子来替换这位徒弟,中童子打了个喷嚏,手一颤,那鼻子就扎到粥里去了。

这件事当时连京都都传遍了。

然而这绝不是内供为鼻子而苦闷的主要原因。

说实在的,内供是由于鼻子使他伤害了自尊心才苦恼的。

池尾的老百姓们替禅智内供着想,说幸亏他没有留在尘世间,因为照他们看来凭他那个鼻子,没有一个女人肯嫁给他。

有人甚至议论道,他正是由于有那么个鼻子才出家的。

内供却并不认为自己当了和尚鼻子所带来的烦恼就减少了几分。

内供的自尊心是那么容易受到伤害,他是不会为娶得上娶不上妻子这样一个具体事实所左右的。

于是,内供试图从积极的和消极的两方面恢复自尊心。

他最初想到的办法是让这鼻子比实际上显得短一些。

他就找没人在场的时候,从不同的角度照镜子,专心致志地揣摩。

他时而觉得光改变脸的位置心里还不够踏实,于是就一会儿手托腮帮子,一会儿用手指扶着下巴颏,一个劲儿地照镜子。

可是怎么摆弄鼻子也从不曾显得短到使他心满意足。

有时候他越是挖空心思,反而越觉得鼻子显得长了。

于是,内供就叹口气,把镜子收在匣子里,勉勉强强诵他的《观音经》去了。

芥川龙之介鼻子读后感

芥川龙之介鼻子读后感

芥川龙之介鼻子读后感《鼻子》是日本文学家芥川龙之介创作的一篇短篇小说,是他最著名和最具有代表性的作品之一。

读完这篇小说之后,我感触良多。

《鼻子》以一个人的鼻子脱离了他的脸,并且变成了一个小孩子,小孩子无时无刻不追求完美的鼻子。

故事发生在明治时代的日本,小说中的主人公,姓柯叶,是一个高官,处于权力的顶峰。

而在他的权力下方,则是担任库备的仆人,他叫铁鼻。

铁鼻一开始被姓柯叶看中,并给予了相当的重用,但是一旦姓柯叶发现了铁鼻的鼻子不合乎常理,他迅速失宠,并成为了姓柯叶眼中的怪物,无法容忍他继续存在。

芥川龙之介以一种夸张的手法,将铁鼻的鼻子的美丑变成了一个人生的全部,人们的审美观念和社会地位完全在于他们的外貌。

这种以“鼻子”作为主题的奇幻故事引起了人们对于自身外貌的反省。

小说写得十分细腻,对于铁鼻的形容如此生动,让人仿佛就能看到“它”在那里动来动去。

在《鼻子》中,芥川龙之介以一种讽刺的语调展现了人们对外貌的过度追求。

无论是姓柯叶还是其他人,都对铁鼻的鼻子感到十分反感,甚至认为铁鼻的存在就是对整个社会的威胁。

这种对外貌的过分重视反映了当时社会的矛盾和虚伪,并引起了对人性的深深思考。

人们常常说“人不可貌相”,但却常常在心中给予别人一个标签,轻易地判断一个人的品格和能力,而完全忽视了内在的美丽。

芥川龙之介通过这个故事告诉我们,外表并不是衡量一个人的尺度,判断一个人好坏应该看其内在的道德品质和人格。

正如铁鼻是一个有为有守的仆人,他尽职尽责、为人正直,但外表的不完美让他失去了一切,并成为了众人嘲笑和排斥的对象。

芥川龙之介反思了人性中的偏见和狭隘,告诉我们真正重要的是内在的美德和品质。

此外,《鼻子》也让我想起了社会中的歧视与排斥行为。

铁鼻的经历就像是一次身份的失落,在那个没有鼻子就无法生存的社会中,铁鼻成为了一个被驱逐的“怪物”。

这让我想起现实生活中的一些现象,比如对于同性恋、少数民族、身体残疾者等群体的歧视。

我们常常以外在的少许差异就对他们进行评价和评判,忽视了他们的独特性和自己的偏见。

解读芥川作品《鼻》中的人心

解读芥川作品《鼻》中的人心

解读芥川作品《鼻》中的人~厶”姚岚(燕山大学外国语学院日语系)摘要:通过对日本近代著名短篇小说家芥川龙之介的成名作‘鼻>中人物心理的剖析,解读人性的自私、脆弱、甚至残忍。

从而进一步体会作者内心的痛苦、悲观与孤独。

关键字:人性;利己主义;病态心理;不信任感芥川龙之介(1892—1927)是日本近代杰出的短篇小说家.他在其短短的35岁生涯中创作了140余篇小说.大都是短篇。

芥川早期作品中的<鼻》就曾受到其老师日本文学大师夏目漱石的高度赞扬,而山本有三甚至说:“<鼻》精彩得足可选进国家选定的教科书中去。

”<鼻》(1916)取材于<今昔物语》和<宇治拾遗物语>。

主要讲述的是内供奉僧因为长着一个硕大的鼻子而苦恼.想尽办法使其变小。

但都徒劳,旁观者表示出些许的同情甚至出谋划策。

可是当内供奉僧鼻子变正常后,反遭人嗤笑愚弄.致使他又盼望恢复原状。

只为不再被人笑话。

芥川龙之介前期的作品都是这样主要以历史题材为主.借用鲁迅先生的话“他多用旧材料。

有时近于故事的翻译。

但他的复述故事并不专事好奇,还有他的更深的根据:他想从含在这些材料里的古人的生活当中.寻出与自己的心情能够贴切的触着的或物。

因此那些古代的故事经他改作之后。

都注进新的生命去,便与现代人生出于系来了。

”f11可能也正是由于芥川善于借古喻今.善于把握亘古不变又瞬息万变的人。

心”的缘故,他的作品虽惜字如金。

但却能触及人心灵深处。

1.内供奉僧的心理历程及表现。

一心渴仰着将来的净土的”内供奉僧生活上受到长鼻子的困扰,但更。

不愿意有人知道他介意于鼻子的事”,比起外在的不便。

鼻子对他内心的困扰更大。

正如文中所说:“内供之所以为苦者.其实却在乎因这鼻子而伤了自尊心这一点。

”内供实为普通凡人。

却勉强作出一副超凡脱俗无所顾念的高僧模样。

一方面为了维护自己的高僧身份。

另一方面为了保护自己脆弱的心灵。

内供为了“要将这自尊心的毁损恢复过来”.想尽各种办法,甚至希望别人或书中人物有跟自己一样的鼻子。

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日语文学作品赏析《鼻》难度:适中作者:芥川龍之介来源:青空文库划词:关闭划词收藏禅智内供(ぜんちないぐ)の鼻と云えば、池(いけ)の尾(お)で知らない者はない。

長さは亓六寸あって上唇(うわくちびる)の上から顋(あご)の下まで下っている。

形は元も先も同じように太い。

云わば細長い腸詰(ちょうづ)めのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。

亓十歳を越えた内供は、沙弥(しゃみ)の昔から、内道場供奉(ないどうじょうぐぶ)の職に陞(のぼ)った今日(こんにち)まで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。

勿論(もちろん)表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。

これは専念に当来(とうらい)の浄土(じょうど)を渇仰(かつぎょう)すべき僧侶(そうりょ)の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。

それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。

内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧(おそ)れていた。

内供が鼻を持てあました理由は二つある。

――一つは実際的に、鼻の長いのが不便だったからである。

第一飯を食う時にも独りでは食えない。

独りで食えば、鼻の先が鋺(かなまり)の中の飯へとどいてしまう。

そこで内供は弟子の一人を膳の向うへ坐らせて、飯を食う間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げていて貰う事にした。

しかしこうして飯を食うと云う事は、持上げている弟子にとっても、持上げられている内供にとっても、決して容易な事ではない。

一度この弟子の代りをした中童子(ちゅうどうじ)が、嚏(くさめ)をした拍子に手がふるえて、鼻を粥(かゆ)の中へ落した話は、当時京都まで喧伝(けんでん)された。

――けれどもこれは内供にとって、決して鼻を苦に病んだ重(おも)な理由ではない。

内供は実にこの鼻によって傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。

池の尾の町の者は、こう云う鼻をしている禅智内供のために、内供の俗でない事を仕合せだと云った。

あの鼻では誰も妻になる女があるまいと思ったからである。

中にはまた、あの鼻だから出家(しゅっけ)したのだろうと批評する者さえあった。

しかし内供は、自分が僧であるために、幾分でもこの鼻に煩(わずらわ)される事が少くなったと思っていない。

内供の自尊心は、妻帯と云うような結果的な事実に左右されるためには、余りにデリケイトに出来ていたのである。

そこで内供は、積極的にも消極的にも、この自尊心の毀損(きそん)を恢復(かいふく)しようと試みた。

第一に内供の考えたのは、この長い鼻を実際以上に短く見せる方法である。

これは人のいない時に、鏡へ向って、いろいろな角度から顔を映しながら、熱心に工夫(くふう)を凝(こ)らして見た。

どうかすると、顔の位置を換えるだけでは、安心が出来なくなって、頬杖(ほおづえ)をついたり頤(あご)の先へ指をあてがったりして、根気よく鏡を覗いて見る事もあった。

しかし自分でも満足するほど、鼻が短く見えた事は、これまでにただの一度もない。

時によると、苦心すればするほど、かえって長く見えるような気さえした。

内供は、こう云う時には、鏡を箱へしまいながら、今更のようにため息をついて、不承不承にまた元の経机(きょうづくえ)へ、観音経(かんのんぎょう)をよみに帰るのである。

それからまた内供は、絶えず人の鼻を気にしていた。

池の尾の寺は、僧供講説(そうぐこうせつ)などのしばしば行われる寺である。

寺の内には、僧坊が隙なく建て続いて、湯屋では寺の僧が日毎に湯を沸かしている。

従ってここへ出入する僧俗の類(たぐい)も甚だ多い。

内供はこう云う人々の顔を根気よく物色した。

一人でも自分のような鼻のある人間を見つけて、安心がしたかったからである。

だから内供の眼には、紺の水干(すいかん)も白の帷子(かたびら)もはいらない。

まして柑子色(こうじいろ)の帹子や、椎鈍(しいにび)の法衣(ころも)なぞは、見慣れているだけに、有れども無きが如くである。

内供は人を見ずに、ただ、鼻を見た。

――しかし鍵鼻(かぎばな)はあっても、内供のような鼻は一つも見当らない。

その見当らない事が度重なるに従って、内供の心は次第にまた不快になった。

内供が人と話しながら、思わずぶらりと下っている鼻の先をつまんで見て、年甲斐(としがい)もなく顔を赤らめたのは、全くこの不快に動かされての所為(しょい)である。

最後に、内供は、内典外典(ないてんげてん)の中に、自分と同じような鼻のある人物を見出して、せめても幾分の心やりにしようとさえ思った事がある。

けれども、目連(もくれん)や、舎利弗(しゃりほつ)の鼻が長かったとは、どの経文にも書いてない。

勿論竜樹(りゅうじゅ)や馬鳴(めみょう)も、人並の鼻を備えた菩薩(ぼさつ)である。

内供は、震旦(しんたん)の話の序(ついで)に蜀漢(しょくかん)の劉玄徳(りゅうげんとく)の耳が長かったと云う事を聞いた時に、それが鼻だったら、どのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。

内供がこう云う消極的な苦心をしながらも、一方ではまた、積極的に鼻の短くなる方法を試みた事は、わざわざここに云うまでもない。

内供はこの方面でもほとんど出来るだけの事をした。

烏瓜(からすうり)を煎(せん)じて飲んで見た事もある。

鼠の尿(いばり)を鼻へなすって見た事もある。

しかし何をどうしても、鼻は依然として、亓六寸の長さをぶらりと唇の上にぶら下げているではないか。

所がある年の秋、内供の用を兼ねて、京へ上った弟子(でし)の僧が、知己(しるべ)の医者から長い鼻を短くする法を教わって来た。

その医者と云うのは、もと震旦(しんたん)から渡って来た男で、当時は長楽寺(ちょうらくじ)の供僧(ぐそう)になっていたのである。

内供は、いつものように、鼻などは気にかけないと云う風をして、わざとその法もすぐにやって見ようとは云わずにいた。

そうして一方では、気軽な口調で、食事の度毎に、弟子の手数をかけるのが、心苦しいと云うような事を云った。

内心では勿論弟子の僧が、自分を説伏(ときふ)せて、この法を試みさせるのを待っていたのである。

弟子の僧にも、内供のこの策略がわからない筈はない。

しかしそれに対する反感よりは、内供のそう云う策略をとる心もちの方が、より強くこの弟子の僧の同情を動かしたのであろう。

弟子の僧は、内供の予期通り、口を極めて、この法を試みる事を勧め出した。

そうして、内供自身もまた、その予期通り、結局この熱心な勧告に聴従(ちょうじゅう)する事になった。

その法と云うのは、ただ、湯で鼻を茹(ゆ)でて、その鼻を人に踏ませると云う、極めて簡単なものであった。

湯は寺の湯屋で、毎日沸かしている。

そこで弟子の僧は、指も入れられないような熱い湯を、すぐに提(ひさげ)に入れて、湯屋から汲んで来た。

しかしじかにこの提へ鼻を入れるとなると、湯気に吹かれて顔を火傷(やけど)する惧(おそれ)がある。

そこで折敷(おしき)へ穴をあけて、それを提の蓋(ふた)にして、その穴から鼻を湯の中へ入れる事にした。

鼻だけはこの熱い湯の中へ浸(ひた)しても、少しも熱くないのである。

しばらくすると弟子の僧が云った。

――もう茹(ゆだ)った時分でござろう。

内供は苦笑した。

これだけ聞いたのでは、誰も鼻の話とは気がつかないだろうと思ったからである。

鼻は熱湯に蒸(む)されて、蚤(のみ)の食ったようにむず痒(がゆ)い。

弟子の僧は、内供が折敷の穴から鼻をぬくと、そのまだ湯気の立っている鼻を、両足に力を入れながら、踏みはじめた。

内供は横になって、鼻を床板の上へのばしながら、弟子の僧の足が上下(うえした)に動くのを眼の前に見ているのである。

弟子の僧は、時々気の毒そうな顔をして、内供の禿(は)げ頭を見下しながら、こんな事を云った。

――痛うはござらぬかな。

医師は責(せ)めて踏めと申したで。

じゃが、痛うはござらぬかな。

内供は首を振って、痛くないと云う意味を示そうとした。

所が鼻を踏まれているので思うように首が動かない。

そこで、上眼(うわめ)を使って、弟子の僧の足に皹(あかぎれ)のきれているのを眺めながら、腹を立てたような声で、――痛うはないて。

と答えた。

実際鼻はむず痒い所を踏まれるので、痛いよりもかえって気もちのいいくらいだったのである。

しばらく踏んでいると、やがて、粟粒(あわつぶ)のようなものが、鼻へ出来はじめた。

云わば毛をむしった小鳥をそっくり丸炙(まるやき)にしたような形である。

弟子の僧はこれを見ると、足を止めて独り言のようにこう云った。

――これを鑷子(けぬき)でぬけと申す事でござった。

内供は、不足らしく頬をふくらせて、黙って弟子の僧のするなりに任せて置いた。

勿論弟子の僧の親切がわからない訳ではない。

それは分っても、自分の鼻をまるで物品のように取扱うのが、不愉快に思われたからである。

内供は、信用しない医者の手術をうける患者のような顔をして、不承不承に弟子の僧が、鼻の毛穴から鑷子(けぬき)で脂(あぶら)をとるのを眺めていた。

脂は、鳥の羽の茎(くき)のような形をして、四分ばかりの長さにぬけるのである。

やがてこれが一通りすむと、弟子の僧は、ほっと一息ついたような顔をして、――もう一度、これを茹でればようござる。

と云った。

内供はやはり、八の字をよせたまま不服らしい顔をして、弟子の僧の云うなりになっていた。

さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、成程、いつになく短くなっている。

これではあたりまえの鍵鼻と大した変りはない。

内供はその短くなった鼻を撫(な)でながら、弟子の僧の出してくれる鏡を、極(きま)りが悪るそうにおずおず覗(のぞ)いて見た。

鼻は――あの顋(あご)の下まで下っていた鼻は、ほとんど嘘のように萎縮して、今は僅(わずか)に上唇の上で意気地なく残喘(ざんぜん)を保っている。

所々まだらに赤くなっているのは、恐らく踏まれた時の痕(あと)であろう。

こうなれば、もう誰も哂(わら)うものはないにちがいない。

――鏡の中にある内供の顔は、鏡の外にある内供の顔を見て、満足そうに眼をしばたたいた。

しかし、その日はまだ一日、鼻がまた長くなりはしないかと云う不安があった。

そこで内供は誦経(ずぎょう)する時にも、食事をする時にも、暇さえあれば手を出して、そっと鼻の先にさわって見た。

が、鼻は行儀(ぎょうぎ)よく唇の上に納まっているだけで、格別それより下へぶら下って来る景色もない。

それから一晩寝てあくる日早く眼がさめると内供はまず、第一に、自分の鼻を撫でて見た。

鼻は依然として短い。

内供はそこで、幾年にもなく、法華経(ほけきょう)書写の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった。

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