日本文学史-上代

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上代文学

上代文学
日本文学史的划分
歴史学のように政体の変遷に注目すること が必ずしも相応しいとは考えられないが、 目安にされることが多い。 又、以下のように、上代・中古・中世・近 世・近現代が行われているが、研究者に よって異論もあり、中古を設定しない場合 もある。近代と現代を分離するか否かにつ いても諸説あり、定まっていない。

日本文学史的划分



上代の文学 中古の文学 中世の文学 近世の文学 近代の文学 現代の文学
(794年まで) (1192年まで) (1603年まで) (1867年まで) (1926年まで):明治と大正 (1927年 -- 現在)
第一章 上代の文学
概観
1、上代とは 大和時代から794までの間 文学におい ては大和時代(約300―710)と奈良時代 (710-794)を含む。
第三期:
1、時間:平城遷都(710)--聖武天皇(しょうむ)(724-729)の大平5年 (733)までの約20年間 2、歌風:中国の思想文化の摂取、個性的な読みぶりが重じられて、私的な 感情を詠んだ。抒情歌にすぐれる歌人が登場した。
3、歌人:山上憶良(やまのうえのおくら)、大伴旅人(おおとものたび
東国は地域的に遠江(とおとうみ)(静岡県)から陸奥(むつ)(東北
地方)にまで及んでいる。
防人歌:
「万葉集」の13、14、20巻に収められる防人たちの歌で、約百
首ある。
(当時の防人はほとんど東国から徴発され、九州地方に派遣する)
特に20巻にある九十三首の歌は大伴家持が採録したもので有名であ
る。 防人歌は徴発された兵士たちの歌で、東国の方言を交えて別離の 悲しみや苦痛を素直に歌っている。
ち)が全体に関与した。

日本文学史考试重点(上代-近世)

日本文学史考试重点(上代-近世)

一、上代文学1、上代文学:平安京迁都(794)以前的文学,发生在“大和地区”,也称为“奈良时代文学”。

2、先土器时代→绳文时代→采集生活→弥生时代→共同体社会3、“祭”→神圣的词章→歌谣和神话→口承文学(咒语、原始歌谣、神话传说)4、大和朝廷+百济→汉字传入:口头传承→文字记载(歌谣定型化、神话散文化)5、圣德太子+苏我马子:“宪法十七条”,大化改新→律令制度6、推古朝→万叶假名7、佛教→飞鸟文化、白凤文化、天平文化8、【古事记(日本最早书籍)】【日本书纪(第一部敕撰正史)】【风土记】【万叶集(最早和歌集)】【怀风藻(最古汉诗集)】(1)古事记A、天武天皇、稗田阿礼、天明天皇、太安万侣B、上中下三卷:上卷→神代(神话、传说),中卷→神武天皇(第1代)~应神天皇(第15代),下卷→仁德天皇(第16代)~推古天皇(第33代)(帝记)a、上卷:高天原神话、出云神话、天孙降临神话、筑紫神话b、伊邪那岐命+伊邪那美命=大八洲c、三贵子=天照大神+月读尊+须佐之男命C、和汉混淆文体:古汉语、变体汉文、假名注音相杂(2)日本书纪A、舍人亲王B、神代卷+帝记(神武天皇~持统天皇)C、正文→唐代风格的古汉文,仿照中国正史编写的编年体史书D、目的:宣扬国威、实现对外宣传(3)记纪歌谣A、形成于“万叶集”之前,不是独立编撰成书的歌谣集,是最早的和歌群B、歌体自由,无固定格律(五、七句为主,四、六句为次)C、长歌、短歌、片歌、旋头歌D、三类:恋歌(最多)、战争歌和事变歌(叙事性强)、酒歌和欢乐歌(4)风土记A、天明天皇、地方志B、五国风土记:常陆风土记、播磨风土记、出云风土记(最完整)、肥前风土记、丰后风土记C、古代汉语或变体汉文写作D、五项内容:郡乡地名、郡内物产、土地情况、山川原野名称由来、旧闻轶事(5)万叶集A、日本最早诗歌总集,抒情诗的源头B、仁德天皇的皇后~淳仁天皇C、万叶:万言叶;万世;万叶D、编者:橘诸兄、大伴家持E、作者:柿本人麻吕、高市黑人、山上忆良、高桥虫麻吕、山部赤人、大伴旅人、大伴家持、大伴坂上郎女、额田王F、歌体:定型歌,大部分是短歌;长歌、反歌、旋头歌、佛足石歌G、万叶假名=男假名=真假名:借汉字的音或义记录日本文字的音H、内容:三大类→杂歌、相闻、挽歌;其他→譬喻歌、东歌、防人歌、问答歌I、四时期a、舒明天皇~壬申之乱* 记纪歌谣从叙事性向抒情性发展;* 定型和歌形成期;* 歌风:雄浑、朴素、明快,感情真挚自然* 代表歌人:舒明天皇(天皇登香具山之时御制歌)、额田王(女歌人)、天智天皇、天武天皇b、壬申之乱~迁都平城京* 和歌逐渐进入文学领域* 代表歌人:柿本人麻吕(与山部赤人并称“歌圣”,擅长长歌)、高市黑人(短歌)、大津皇子、大伯皇女、志贵皇子c、迁都平城京~天平5年* 多元化* 代表歌人:山上忆良(贫穷问答歌、思子等歌一首并序)、大伴旅人、山部赤人(“歌圣”、富士山“千古绝唱”)* 山部赤人之后短歌迎来全盛期d、天平6年~天平宝字3年* 和歌出现明显的游戏文章的倾向,歌风专注于技巧* 代表歌人:大伴家持* 万叶和歌进入衰退期:和歌形式固定,内容走向个人世界,歌风柔美,缺乏独创性(6)怀风藻A、歌→日本诗歌→倭歌→歌人;诗→汉诗→诗人B、淡海三船C、最早的汉诗集(第一部在纯文学领域接受中国文化及汉诗影响的诗集)D、体裁多为五言体,均为题咏作E、大津皇子、藤原不比等F、前后两期:受六朝影响;受初唐影响G、影响平安初期三大敕撰汉诗集【凌云集】【文华秀丽集】【经国集】9、祝词及宣命(“言灵信仰“的产物)(1)宣命:奉天皇敕令向臣民宣布政令时用的语言A、宣命体(汉文记录的成为“诏敕”)B、【续日本书纪】收录宣命最多(2)祝词:祭祀神祗时向神上奏所用的语言A、【延喜式】保存祝词最完全的法典B、结构:序(神话传说,重叙事)+结(祈愿,重抒情)二、中古文学1、中古文学:平安迁都~镰仓幕府建立,中心是平安京(京都),创作核心是藤原氏为主的贵族,也称为“平安时代文学”。

日本上代文学特点

日本上代文学特点

日本上代文学特点
日本上代文学也称为大和时代的文学,分为口承文学和记载文学。

五世纪时,汉字开始得到使用,汉传佛教传入日本。

另外在经历了大化改新和壬申之乱后,七世纪左右,大和朝廷改革为统一律令制国家,天皇权威得到保证。

这些都对日本人的思想产生了巨大的影响。

一、口承文学
从集体生活中诞生,宗教色彩浓厚,有很多的叙事要素。

历史背景:全面向中国学习颁布授受法三省六部
时代:古坟时代(367-592年)无文字器物
飞鸟时代(593-794年)
二、记载文学(710-794奈良时代)
随着汉字的传入,用文字携文学,文学的个性和艺术性逐渐增强,逐渐从叙事文学反转为抒情文学。

其中根据文字记载的形式形成的文学类型有:
《古事记》
现存日本最早的书神话传说
《日本书记》
日本流传最早的正史编年体史书
《万叶集》
日本最早的和歌集国家整理编纂
《怀风藻》
日本最古老的汉诗集。

日本上代文学

日本上代文学
とができる。 ④ 漢字の音訓を交えた表記を用いている。
(2)日本書紀(史書・30巻)720年に完成。元正天皇の命で舎人親王が中 心となって編集した。 内容:巻1と巻2は神話、巻3以降は持統天皇までの歴史など。 特質:
①編年体の漢文で書かれている。 ②六国史の最初のもので、資料も豊富に用いられている。
第四期 万葉歌風の衰退期 (『万葉集』の最後の歌が作られた 759年までの約20年間)。 この期は、天平文化が最盛を誇った時期であるが、政権争いに よる政情不安から、貴族社会には動揺が始まっていた。和歌 はそれまでの力強い調べを失って、繊細優美なものとなり、昔 を回顧する感傷的傾向も現れた。
○理知的・技巧的な歌が多くなった。長歌は衰退して、短歌が盛 んになった。 大伴家持が代表歌人。
祝詞と宣命の比較
(4)詩歌 恋愛、労働、酒宴などに際して歌われた上代歌謡は、やがて 『古事記』『日本書紀』に『記紀歌謡』として記載されていくが、こ れらの集団の中から生まれたものが、しだいに個人的な和歌 へと発展していく。『万葉集』はその集大成であるといえよう。そ れ以前にも『柿本人麻呂歌集』『高橋虫麻呂歌集』『類聚歌林』 などの歌集があったが、消失して現在伝わっていない。
訳:もし紫の花のようにきれいな君を憎んでいるのならば、人の 妻ゆえに、ぼくの恋する姫です。
● 柿本人麻呂の歌 ○淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ
● 高市黒人の歌 ○何処にか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚無し小船
● 大伴旅人の歌 ○わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも ○沫雪のほどろほどろに零りしけば平城の都し念ほゆるかも ○験なき物を念はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし
●万葉集(歌集・20巻)759年以降10年間前後 編者:長期にわたり、多くの人の手によって編集され、最後に 大伴家持の手を経て完成されたらしい。 内容:歌数は約4500首。主に長歌・短歌・旋頭歌の三体。 雑歌・相聞歌・挽歌の三分類がある。

日本古代前期文学

日本古代前期文学

三、氏族の伝承と仏教説話
• 私的な伝承:<高橋氏文>(奈良末期)<古語拾遺 >(平安初期) • <日本霊異記>(<日本国現報善悪霊異記>)日本 日本霊異記> 日本 最古の 景戒 最古の仏教説話集 薬師寺の僧の景戒 • 内容 内容:庶民生活。雄略天皇から嵯峨天皇にいた る百十余の説話からなり、近畿から、東日本・中国・ 四国まで取材されている。日本固有信仰による神話・ 伝説と異なり、中国の影響を受けて、口承文学である 仏教説話、主に因果応報の仏理を年代順に記してい る。 • 文体 文体:漢字・漢文
古代歌謡 • 起源:歌垣のように原始的な共同体の祭りの 場や労働の場で歌われていた「うた」である。 • 民謡➡宮廷歌謡 • その歌体・技巧などは後の和歌成立の母体と なっている(和歌の最初の形) • 現存:<古事記><日本書紀><風土記> <万葉集>などに約三百首 約三百首
記紀歌謡 • 定義:<古事記>・<日本書紀>の中に収 められた古代歌謡を「記紀歌謡」と呼ぶ。 • 現存:約二百首 • 内容:古代人の生活全般、神々や歴史上の 人物の神話または伝説 • 表現:枕詞や序詞なとを用い、反復や対句も 多用する。 • 歌体:定型の歌がまだ少ないが、片歌・旋頭 歌・短歌・長歌などの形で、後に発達する歌 体の原型を見ることができる。
<日本書紀>(720)
• 元正天皇 元正天皇の命によって舎人親王 舎人親王らが編集した 舎人親王 編年体の歴史書 歴史書である。六国史の始めにおか 歴史書 れる。 • 内容:三十巻の中で一、二巻は神代、ほかは、 内容 歴代(持統天皇まで)の国史である。その以外 に、多くの神話伝説と万葉仮名で表記された 百二十八首の歌謡をも含んでいる。 • 表記:漢文体 表記
二、最古の和歌集ー<万葉集>

日本文学史简述

日本文学史简述

中世文学

中世:源頼朝による鎌倉幕府創設から徳 川家康による江戸幕府まで 1192~1603 鎌倉(神奈川県東部)時代・室町(東京都 中央区北部)時代


中世時代

軍記物語:保元・平治の乱に始まり、平氏 の滅亡・承久の変などを経て、政権は武士 階級のものとなっていく。こうした時代相を 反映して『保元物語』『平治物語』『平家物 語』『源平盛衰記』などの軍記物語が生み 出されていく。
一一世紀後半になり

特徴:摂関政治は無力化し、藤原氏も力を失って いく。特に白河法皇によって成された院政は摂関 政治も行われなくなる。この公家社会の内部分 裂によって、武士階級が実力を持つようになって いく。この時期に、物語に関しては、『夜中の寝 覚』『浜松中納言物語』、短編集『堤中納言物語』、 歴史物語『大鏡』、日記に関しては、『更級日記』 が注目されよう。こうした公家的な文学に対して、 庶民の事も記した『今昔物語』、庶民の間で歌わ れた歌謡の集成『梁塵秘抄』も生み出されている。

中世文学
代表作品: 1361年頃 曽我物語(真名本) 軍記 1376年以前 増鏡 軍記 1400年 風姿花伝 世阿弥 能 1411年頃 義経記 軍記 1463年 ささめごと 心敬 連歌 1467年 吾妻問答 宗祇 連歌 1472年 花鳥余情 一条兼良 注釈 1476年 竹林抄 宗祇 連歌 1488年 水無瀬三吟百韻 宗祇・肖柏・宋長 連歌 1495年 新撰莵玖波集 一条冬良・宗祇 准勅撰連歌撰集 1499年 竹馬狂吟集 俳諧 1518年 閑吟集 歌謡
中世文学

なお、この時代は政権が武士階級に移っ たとはいえ、まだ文学の担い手は『新古今 集』を編纂するなどした貴族にあった。

上代文学

上代文学
大和朝廷の国家の統一
中央集権的な律令制国家への歩み (大化改新、租庸調制など)
上代文学
文化の面:大陸文化の伝来
遣隋使遣唐使などの派遣 仏教と漢字の伝来など
上代文学
問題: 国家の統一、皇室中心の時代 は文学に対して、どのような 影響をもたらすのか
上代文学
答え: 中央集権的な国家の維持 歴史の編纂、仏教の伝え 今までの神話、伝説、歌謡な どの整理
万葉集
第四期 繊細優美的な傾向
代表歌人 大伴家持
宿題
「まこと」の文学意識とは一体何であ ろうか、作品などを挙げながら分析し てください。
上代文学の特徴
一、口承文学から記載文学へ
記載文学が成立する時期だが、口承文
学の占める比重が大きい
上代文学の特徴
二、中国文化の伝来
中国文学や仏教、儒教などの影響を受
• 歌風 万葉調
万葉集
四期に分けて歌風の変遷を眺 めよう。
万葉集
第一期 素朴で率直な歌
代表歌人:天皇、皇族など 例えば:有間皇子 額田王
万葉集
第二期 荘重な歌風
代表歌人:専門歌人の誕生
例えば:持統天皇 柿本人麻 呂 高市黒人
万葉集
第三期 個性的で多彩な時期
代表歌人:山上憶良(貧窮問 答歌)大伴旅人
上代文学
一、記紀文学
• 日本最古の書籍――『古事記』 • 日本最古の勅撰正史――『日本書紀』
『古事記』
誦習 稗田阿礼
編纂 太安万侶
『古事記』
誦習 稗田阿礼
編纂 太安万侶
上代文学
和歌の分野――『万葉集』
万葉集
• 編者 大伴家持 • 歌数 四千五百余首 • 歌体 長歌 短歌 旋頭歌 仏足

日本文学史--上代文学

日本文学史--上代文学

上代文学の時代背景:皇室中心の時代①一世紀ごろには、多くの小国家が分かれて国土のあちこちに存在していた。

②四世紀頃になると、大和朝廷【やまとちょうてい】(日本最初の統一政権。

大和を中心とする畿内地方の諸豪族が連合して皇室から出る君主を大王、後に天皇として擁立し、4-5世紀までに東北地方以遠を除く日本本土の大半を統一した。

統一時代の君主は軍事的英雄であったと見る説もあるが、6世紀には世襲的王制が確立し、諸豪族は臣/連などの姓によって階層的に秩序づけられて、氏姓制度が成立した。

飛鳥時代から氏姓より個人の才能/努力を重んずる官司制度が発達し、7世紀半ばの大化改新後、律令制の朝廷に変質した。

大和政権。

)による国家統一がなされた。

③四世紀後半の朝鮮半島との交渉による帰化人の渡来するにつれて、六世紀頃には漢字も使われ始めた。

④六世紀半ばには仏教も伝来した。

⑤七世紀に入ると、聖徳太子は遣隋使を派遣し、飛鳥文化が栄えた。

⑥七世紀の半ばには、唐の律令国家体制のもとで、大化の改新が行われ、天武天皇の時代に至って律令国家が完成した。

⑦初唐の様式の影響を受けた白鳳文化が生まれた。

⑧奈良時代には、天平文化が栄えた。

一神話・伝説・説話二祝詞と宣命三詩歌四詩歌ー「万葉集」五文学理念一神話・伝説・説話神話とは、古代の人々は、自然界や人間界に起こった様々な出来事を、神々の働きを中心に解釈し、説明しようとした語り伝えである。

・伝説とは、古代の人々は、自然界を克服した祖先たちの姿から作り上げた多くの英雄たちの物語である。

・説話とは、古代の人々は、自分たちの身の回りのあらゆることを興味深くまとめたものである。

(神や英雄の話に中心があるのではなく、話の展開そのものに興味の中心を置いた物に説話がある。

)1「古事記」712年成立現存する最古の歴史書天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)(生没年未詳天武天皇時代の語り部の舎人記憶が特に優れていたと記録にある)に読み習わせた帝記と本辞を、元明天皇の勅命によって太安万侶(おおのやすまろ)(生年未詳ーー723年奈良時代の学者)が記録した。

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日本文学史上代文学(大和・奈良時代)特徴:口承文学から記載文学へ代表作:1、古事記古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば、和銅5年(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された日本最古の歴史書。

上・中・下の全3巻に分かれる。

『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文に天步天皇が撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉と詔していることから、勅撰と考えることも出来る構成『古事記』は、帝紀みかどおさむ的部分と旧辞きゅうじ的部分とから成り、天皇系譜が『帝紀』的部分の中心をなし、初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃こうひ・皇子・皇女の名、およびその子孫の氏族など、このほか皇居の名・治世ちせい年数・崩年干支・寿命・陵墓所在地、およびその治世の大事な出来事などについて記している。

これらは朝廷の語部(かたりべ)などが暗誦して、天皇の大葬の殯(もがり)の祭儀などで誦み上げるならいであった。

それが6世紀半ばになると文字によって書き表わされた。

『旧辞』は宮廷内の物語、天皇家や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものである。

『帝紀』や『旧辞』は、6世紀前半ないし中葉頃までに、天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、朝廷の貴族によって述作されたものであり、それらをもとにして作成されたものである以上、民族に伝わった歴史の伝承ではないとの主張もある。

一方、広く民衆に受け入れられる必要もあったはずで、特に上巻部分は、それらを反映したものが『古事記』ではなかったかとの主張もある。

構成は、1. 上かつ巻まき(序・神話)2. 中なかつ巻まき(初代から十五代天皇まで)3. 下しもつ巻まき(第十六代から三十三代天皇まで)の3巻より成っている。

内容は、神代における天地(アメツチと読まれる)の始まりから推古天皇の時代に至るまでのさまざまな出来事(神話や伝説等を含む)を収録している。

また数多くの歌謡を含んでいる。

なお、日本神話での「高天たかあまはら原」という用語が多用される文書は、「祝詞」以外では『古事記』のみである。

表記本文はいわゆる変体漢文を主体としつつも、古語や固有名詞のように漢文では代用しづらい微妙な部分は一字一音表記で記すという表記スタイルを取っている。

一字一音表記の箇所には、まれに右傍に「上」「去」のように漢語の声調を表わす文字を配して、当該語のアクセントを示すこともある。

いずれも、いかに正確にかつ効率よく記述するかで悩んでいた(序文参照)編者・太安万侶の涙ぐましいまでの苦心の跡である。

歌謡部分はすべて一字一音表記で記されており、本文の一字一音表記部分を含めて、上代特殊仮名遣の研究に欠かせないものとなっている。

上代特殊仮名遣の「モ」の書き分けは『古事記』のみに見られるものである。

上巻(かみつまき)天地開闢から日本列島の形成と国土の整備が語られ、天孫が降臨し山幸彦までの神代の話を記す。

いわゆる「日本神話」である。

中巻(なかつまき)初代神步天皇から15代応神天皇までを記す。

神步東征に始まり、ヤマトタケルや神功皇后の話など神話的な説話が多く、神の世と人の世の間の時代であることを示している。

2代から9代までは欠史八代けつしはちだいと呼ばれ、系譜けいふなどの記述にとどまり、説話などは記載されていない。

そのため、この八代は後世に追加された架空の存在であると説かれているが、実在説も存在する。

なお、「神步天皇」といった各天皇の漢風諡号しごうは、『古事記』編纂の時点では定められていないため、国風諡号のみで記されている。

なお史実性が確認されているのは応神天皇以降である。

下巻(しもつまき)仁賢天皇から推古天皇までは欠史十代ともいわれ、欠史八代と同じく系譜などの記述にとどまり具体的な著述が少ない。

これは、書かれた当時においては、時代が近く自明のことなので書かれなかったなどと言われている。

2、日本書紀日本書紀(にほんしょき、やまとぶみ)は、奈良時代に成立した日本の歴史書である。

日本における伝存最古の正史で、六国史の第一にあたる。

舎人(とねり)親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。

神代から持統(じとう)天皇の時代までを扱う。

漢文・編年体をとる。

全30巻、系図1巻。

系図は失われた。

書名 [編集]もとの名称が『日本紀』だったとする説と、初めから『日本書紀』だったとする説がある。

文体・用語 [編集]『日本書紀』の文体・用語など文章上の様々な特徴を分類して研究・調査がされており、その結果によると、全三十巻のうち巻一・二の神代紀と巻二十八・二十九・三十の天步・持統紀の実録的な部分を除いた後の二十五巻は、大別して二つに分けられるといわれている。

その一は、巻三の神步紀から巻十三の允恭・安康紀までであり、その二は、巻十四の雄略紀から巻二十一の用明・崇峻紀まである。

残る巻二十二・二十三の推古・舒明紀はその一に、巻二十四の皇極紀から巻二十七の天智紀まではその二に付加されるとされている。

巻十三と巻十四の間、つまり雄略紀の前後に古代史の画期があったと推測されている。

『日本書紀』は歌謡部分を除き、原則として純粋漢文で記されているため、そのままでは日本人にとっては至極読みづらいものであった。

そこで、完成の翌年である養老5年(721年)には早くも、『日本書紀』を自然な日本語で読むべく、宮中において時の博士が貴族たちの前で講義するという機会が公的に設けられた。

これを書紀講筵(こうえん)という。

3、万葉集 (私家集しかしゅう)『万葉集』の名前の意味については、幾つかの説が提唱されている。

ひとつは「万の言の葉」を集めたとする説で、その他にも、「末永く伝えられるべき歌集」(契沖や鹿持雅澄)とする説、「葉」を「世」の意味にとり、「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」と取る考え方である。

編者『万葉集』の成立に関しては詳しくは判っておらず、勅撰説、橘諸兄説(たちばなのもろえ)、大伴家持説など、古来種々の説があるが、現在では家持説が最有力である。

ただ『万葉集』は一人の編者によってまとめられたのではなく、巻によって編者が異なるが、家持の手によって二十巻に最終的にまとめられたとするのが妥当とされている。

成立『万葉集』二十巻としてまとめられた年代や巻ごとの成立年代について明記されたものは一切ないが、内部徴証から、おおむね以下の順に増補されたと推定されている。

(1)巻1の前半部分(1-53番)…原・万葉集各天皇を「天皇」と表記。

万葉集の原型ともいうべき存在。

持統天皇や柿本人麻呂が関与したか。

(2)巻1の後半部分+巻2増補…2巻本万葉集持統天皇を「太上だじょう天皇」、文步天皇を「大行たいこう天皇」と表記。

元明もとあき天皇の在位期を現在としている。

元明天皇や太安万侶が関与したか。

(3)巻3~巻15+巻16の一部増補…15巻本万葉集 契沖けいちゅうが万葉集は巻1~16で一度完成し、その後巻17~20が増補されたという万葉集二度撰説を唱えて以来、この問題に関しては数多くの議論がなされてきたが、巻15までしか目録が存在しない古写本ふるしゃほん(「元暦校本」「尼崎本」等)の存在や先行資料の引用の仕方、部立ぶりつによる分類の有無など、万葉集が巻16を境に分かれるという考え方を支持する証拠は多い。

元正げんしょう天皇、市原王いちはらおう、大伴家持、大伴坂上さかのうえ郎のいらつめ女らが関与したか。

(4)残巻増補…20巻本万葉集ただし、この『万葉集』は公に認知されるものとはならなかった。

延暦4年(785年)、家持の死後すぐに大伴継人らによる藤原種継ふじわらのたねつぐ暗殺事件があり、家持も連座したためである。

その意味では、『万葉集』という歌集の編纂事業は、恩赦おんしゃにより家持の罪が許された延暦25年(806年)にようやく完成したといってよい。

構成全二十巻であるが、首尾一貫した編集ではなく、何巻かずつ編集されてあったものを寄せ集めて一つの歌集にしたと考えられている。

歌の数は四千五百余首から成るが、写本の異伝の本に基づく数え方があり、歌数も種々様々の説がある。

各巻は、年代順や部類別、国別などに配列されている。

また、各巻の歌は、何らかの部類に分けられている。

内容上から雑歌(ぞうか)・相聞歌(そうもん)・挽歌(ばんか)の三大部類になっている。

∙雑歌 「くさぐさのうた」の意で、相聞歌・挽歌以外の歌が収められている。

公の性質を持った宮廷関係の歌、旅で詠んだ歌、自然や四季をめでた歌などである。

∙ 相聞歌 「相聞」は、消息を通じて問い交わすことで、主として男女の恋を詠みあう歌である。

∙挽歌 棺ひつぎを曳く時の歌。

死者を悼いたみ、哀傷する歌である。

表現様式からは、∙寄物陳思(きぶつちんし)恋の感情を自然のものに例えて表現 ∙正述心緒(せいじゅつしんしょ)感情を直接的に表現 ∙詠物歌(えいぶつか)季節の風物を詠む ∙ 譬喩歌(ひゆか)自分の思いをものに託して表現などに分けられる。

巻十四だけが東歌(あずまうた)の名をもっている。

この卷には、上総・下総・常陸・信濃四国の雑歌、遠江・駿河・伊豆・相模・步蔵・上総・下総・常陸・信濃・上野・下野・陸奥十二国の相聞往来歌、遠江・駿河・相模・上野・陸奥五国の譬喩歌・国の分からないものの雑歌、相聞往来歌・防人歌・譬喩歌・挽歌・戯咲歌などが収められている。

歌体は、短歌・長歌・旋頭歌(せどうか)の三種に区別されている。

短い句は五音節、長い句は七音節からなる。

∙ 短歌は、五七五七七の五句からなるもの。

∙ 長歌は、十数句から二十数句までのものが普通であり、五七を長く続け、最後をとくに五七七という形式で結ぶもの。

長歌の後に、別に、一首か数首添える短歌は反歌と呼ばれている。

∙旋頭歌は、短長の一回の組み合わせに長一句を添えた形を片歌かたうたといい、この片歌の形式を二回繰り返した形である。

頭三句と同じ形を尾三句で繰り返すことから旋頭歌とついたといわれる。

時期区分歌を作った時期により4期に分けられる。

∙ 第1期は、舒明じょめい天皇即位(629年)から壬申の乱(672年)までで、皇室の行事や出来事に密着した歌が多い。

代表的な歌人としては額田王(ぬかたのおおきみ)がよく知られている。

ほかに舒明じょめい天皇・天智天皇・有間ありま皇子・鏡王女(かがみのおおきみ)・藤原ふじわらの鎌足かまたりらの歌もある。

∙ 第2期は、平城へいじょう遷都せんと(710年)までで、代表歌人は、柿本人麻呂・高市黒人(たけちのくろひと)・長意貴麻呂(ながのおきまろ)などの官人達の儀礼的な場での宮廷きゅうてい賛歌さんかや旅の歌などが有名である。

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