日语优秀作文鉴赏
日语美文欣赏

暖冬の太阳早朝、冬暖かい太阳は、太阳は喜んで私の家に飞跃させ、しばしば明るい光、穏やかな、开いているドアや窓を注いだ。
晴れた日は、私は部屋に辉く太阳が好きです。
経験は破砕、太阳、シャトルの家の隅の影に幸福の退屈な労働ステッピング。
この静かな怠惰な日、プレーンな。
最大绞りキャッチする人を心配することなく、独自のコントロールでの时间。
日に散り年は年间无駄に散らばって暖かい感じ、何の进展と、渡されることができます。
も、私の爱は私がしばらく滞在するまで、时间を无駄にされていない?太阳の足迹の目では、どちらか私は急いで追いつくために、いつでも私の心の爱をあきらめ、それは私が冷たい、决してまだ移动します。
私は、あなたが行っている、楽しい时间を过ごす?から离れている中ではなく、冲动的な机会に、自分の时间の良い廃弃物の小片を与える。
ああ、良い时间が使用されているそう无駄にする。
だから私は、鲜やかな心を考えた。
中国无駄に年々、その日だけの黙认を翌日に排気されず、空気が阴、冷洗练された... ...朝になるには、投狱生活の日晴れのバックナンバーをリリースした有効期限が切れ最后に。
颜青い云日の上升は、私は确かに太阳の下の风景が美しいバーを持っていない、と思ったのです。
私は太阳、静かにして行って駆け落ちの魅力を助けることができなかった。
軽くタイヤは、太阳の図は、密接に従うのが大好き伝送し、私が行って风景を探して、ドアを出ていった。
身近な场所や别の季节は风景の中に変更してください。
心を使用している场合は、状况を保存すると、人间の美しさがあふれている。
残念ながら、私は自然の生命の爱生活を表现するために诗を书くことができない、感情の感情を唤起せず、ソウルフルな诗人ではないのだ。
时々私はさえずり爱や作词や诗の言叶のロマンチックな视点をご希望ですけど。
长い时间と同様に、それは爱の感情醸造点を考えることは困难です。
、爱は长い间実际には逆さまのように、违和感を感じるので、少し持って追求するためにどこの深さに年に行方不明になっている长い时间を探しています。
日语优秀作文 2

中日贈答の差異贈り物は人間関係の潤滑剤である。
中国人も日本人もそう思うだろう。
たしかに、中国人と日本人の生活文化の中において贈答の行為がかなり大きな要素を占めている。
しかし、贈答の時、中国人と日本人のやり方には差異が見られる。
日本人と付き合う時、その違いを知っておけば、私たちにとって間違いなく無上の助けとなるだろう。
逆に、贈答の扱い方が適切でないと、贈る側の心を伝えられず、親交も深められなくなる。
それどころか、誤解を生じるかもしれない。
日本では、奇数は縁起がいいという意味を含む。
だから、相手に現金を贈る時、よく1,3,5万円などの奇数を用意する。
しかし、「9」は「苦」に繋がることから、古来から縁起が悪い数字になっている。
また、贈られたほうでは、贈り主は当然お返しを期待しているに違いないと思うようだ。
そして、日本人はめったに高価な品物を贈らない。
日本人はよく親友、同僚、隣人に至るまで、ささやかなプレゼントを贈る。
これらの贈り物はただ温泉饅頭のようなものである。
高価ではないが、その贈り物には「あなたのことを忘れない。
」という意味が含まれている。
中国では、普通「よいことが二倍になる。
」とよく言われる。
そのため、慶事があったら、贈り物は偶数にする人が大勢を占める。
しかし、「4」は読み方が「死」に似ていることから避ける。
「4」を忌むのは日本でも同じである。
また、中国人はいつも人に少し高い品物を贈る。
中国では、贈り物の金額の多寡がそのまま誠意の程度を表す。
そういう行為は、私を含む中国人の日常生活の流れの中で重要な一種の習慣になっているらしい。
これは、私の例である。
今年の末、私の最も大切な友達が結婚する。
結婚は人間の一生で最も重要で、神聖なことだと思う。
だから、彼女への贈り物はちゃんと用意している。
一千元の祝金と手作りの刺繍を贈るつもりである。
今、私は学生なので、むろん一千元は大金である。
だから、今年の夏休み、アルバイトでお金を稼いだ。
日语美文欣赏[1]
![日语美文欣赏[1]](https://img.taocdn.com/s3/m/4175efd7195f312b3169a56f.png)
1忍冬?冬に耐えて咲かせた花ニンドウともいいます忍ぶ冬…冬でも、寒さに耐えて、葉を落とさないから、こう書くのだそうです。
すいかずらと呼ぶのは、水をよく吸う蔓だからという説、花の根本にある蜜を子供たちが吸ったからという説などがあります。
またの名を金銀花。
雪のように真っ白な花が、だんだん黄色味をおびてくるので、金と銀の花が一緒に咲いているように見えるからです。
寒い冬を耐え忍んで、ついには金と銀の花を咲かせるなんて、素晴らしいですね。
この花を思えば、つらいことも乗り越える勇気が湧いてくるようです。
忍冬·迎寒怒放的花忍冬,忍耐寒冬……即便是在严冬,仍然不凋零,傲寒怒放,忍冬花因此而得名。
忍冬花又名“吸水草”。
有人说是因为它的藤蔓有很强的吸水能力,也有传说是花蕊部储藏着花蜜,常被孩子们采来吸食等等。
它又名“金银花”。
据说是因为本来雪白的花瓣,会渐渐变成淡黄色,远远看去,就好似金子和银子做成的花瓣开在一起,因此而得名。
傲雪独立,又开出金银般的花朵,真是让人叫绝,让人惊叹!想到这花,不禁从心中涌出一种力量,让我们去迎接严寒、迎接挑战。
【词汇空间】忍ぶ(しのぶ):「他動詞五段」忍耐,忍受耐える(たえる):「他動詞一段」忍耐,忍受蔓(かずら):「名詞」藤蔓帯びる(おびる):「他動詞一段」带有,含有乗り越える(のりこえる):「自動詞一段」超越,克服湧く(わく):「自動詞五段」涌出2刹那·一瞬の宝梵語のKsanaの音を写したもので、仏教の時間単位です。
?指を一回弾く時間が六十五刹那だとか、七十五分の一秒のことだとか、いろいろ説がありますが、とにかく、本当に短い時間のことです。
でも、この短い時間のつながりが、私たちの一生なのです。
時間は、すべての人に等しく与えられた財産だといわれます。
使っても使わなくても、消えていってしまって、決して貯めておけない。
もし、毎日決まって二十四万円もらえば、使っても使わなくても一日で消えていってしまうとしたら...みんな、必死に使いませんか。
日语写作真题及参考范文赏析

日语写作真题及参考范文赏析日语写作真题及参考范文赏析日语写作是日语学习中的重要部分,通过写作可以提高语言表达能力、拓宽词汇量,并且加深对语法和句型的理解。
下面将为大家分享一道日语写作真题,并提供范文赏析,希望能帮助大家提升自己的写作水平。
题目:日本旅游景点推荐范文赏析:日本是一个美丽多彩的旅游目的地,拥有许多令人惊叹的景点。
下面我将为大家介绍三个我个人推荐的日本旅游景点。
首先推荐的是京都,京都是日本传统文化的重要代表之一。
这座古老城市拥有许多寺庙和庭院,让游客能够亲身体验到日本的传统文化与美学。
京都的名胜古迹如金阁寺、清水寺以及伏见稻荷大社都是不容错过的地方。
此外,京都还有许多美丽的樱花和红叶景点,春天和秋天都是观赏美景的最佳时期。
其次是东京迪士尼乐园,这是一个非常受欢迎的旅游景点。
迪士尼乐园是充满了欢乐和奇幻的地方,不仅适合儿童,也吸引着成年人。
乐园内有迪士尼经典动画的主题游乐设施,如米老鼠的城堡、小人物国等。
此外,还有各种不同风格的表演、游行和焰火秀,为游客营造出一个童话般的世界。
最后一个推荐是北海道的富良野。
富良野是一个风景如画的地方,被誉为日本最美丽的乡村之一。
这里有广袤的花田和大片的向日葵田,让人仿佛置身于童话世界。
富良野还以美味的薰衣草冰淇淋和薰衣草田闻名于世。
夏季是富良野最美的时候,游客可以欣赏到壮丽的大桥瀑布和美丽的风景。
综上所述,京都、东京迪士尼乐园和富良野是我个人推荐的日本旅游景点。
无论你喜欢历史文化、欢乐游乐还是自然风光,日本都能够满足你的需求。
希望大家有机会亲自前往日本,亲身感受这些美丽的景点带给我们的惊喜和快乐。
以上就是本次日语写作的范文赏析,希望对大家的日语学习有所帮助。
通过阅读范文,我们可以学习到一些常用的写作句式和表达方式,并且可以了解到一些日本旅游景点的特色和魅力。
在学习日语写作时,大家可以多做一些练习,尝试使用不同的词汇和句型,提高自己的写作水平。
祝大家在日语学习中取得好成绩!。
日语写作备考及参考范文鉴赏

日语写作备考及参考范文鉴赏近年来,日语学习的热度持续上升,越来越多的人开始备考日语写作。
对于日语写作备考的学习和参考范文的鉴赏,我们可以采取一些有效的方法和策略,以提高我们的写作水平。
一、积累词汇和表达方式作为学习任何一门语言的基础,词汇的积累对于日语写作备考也是至关重要的。
我们可以通过大量输入和输出的练习来不断扩充自己的词汇量。
这包括阅读日语文章、书籍、新闻,尽量多地进行听力练习,还可以结合生活实践,运用所学的词汇进行交流。
此外,学习不同的表达方式也是备考日语写作的重要一环。
可以通过积累各类表达方式的句型,归纳整理不同情况下的常用表达,例如感谢、邀请、道歉等。
通过培养自己的表达能力,使自己的日语写作更加流利、准确。
二、阅读范文并进行模仿在备考日语写作时,阅读范文并进行模仿是很重要的一个步骤。
可以选择一些高质量的日语写作范文进行阅读和分析,学习其中的句子结构、词汇搭配以及表达方式。
在模仿的过程中,可以将范文中的句子改写,变换词汇,从而提高自己的写作水平。
同时,可以将写作中的重难点与范文进行比较,分析范文中是如何解决这些问题的。
通过对范文的深入学习和思考,我们可以逐渐掌握日语写作的一些基本技巧和常见问题的解决方法。
三、参加写作训练并寻求反馈参加日语写作的训练,并及时听取他人的反馈意见,是提高写作水平的有效途径。
可以通过找一些相关的写作培训班、网上写作社群等途径,参加各类写作比赛、写作研讨会等,与他人交流和学习。
通过与他人的互动和交流,可以不断提高自己的写作能力。
另外,寻求反馈也是非常重要的一步。
我们可以将自己的写作作品交给老师、朋友或者专业人士进行评估和指导,及时了解写作中的不足和问题所在。
同时,也要保持积极的心态,对于批评和意见要虚心接受,并不断改进自己的写作技巧。
四、多练习,不断提高写作是需要积累和实践的过程,只有通过不断的练习和实践,才能提高自己的写作水平。
可以每天安排一些时间进行写作练习,可以选择写日记、写文章等不同形式的写作练习。
我眼中的日本日语作文

我眼中的日本日语作文英文回答:When it comes to Japanese writing, I think it is a beautiful language with a rich history and culture. The characters are intricate and unique, and the way they are written is aesthetically pleasing. I also appreciate the emphasis on honorifics and politeness in Japanese writing, which shows respect for others.However, as someone who is not a native speaker, I find Japanese writing to be quite challenging. The grammar and sentence structure can be complex, and there are many different levels of formality to take into account. Additionally, the vast number of kanji characters can be overwhelming to learn.Despite these challenges, I believe that learning Japanese writing is worth the effort. It opens up a whole new world of literature, poetry, and culture to explore.Plus, it can be incredibly rewarding to see your progress over time.中文回答:说到日语写作,我认为它是一种拥有丰富历史和文化的美丽语言。
日文短文精读欣赏

水面に桜の花びらが舞い散って、筏(いかだ)のように流れていく。。。そんな様子を花筏といいます。
美しい春の風景ですね。
咲いている花を愛(め)でることは誰でもしますが、散る花、散った花を愛でる人は少ないかもしれません。
桜吹雪(さくらふぶき)、花の雨、飛花、そして葉桜。。。
その時々の桜を、人々は言葉に写して、愛してきました。
どんな姿になろうと、桜であることに変わりはないのです。
~散る桜 残る桜も 散る桜~
良寛和尚の辞世の句の一つつです。
そう、みんな桜。咲こうとも散ろうとも、愛すべきさくらです
筏(いかだ) 名 木排 木筏
愛でる (めでる) 他一 喜爱
桜吹雪(さくらふぶき) 名 形容樱花纷纷飘落的样子
「木」に対応する方角は東、いろは青、季節は春。「火」は南、朱(しゅ)、夏。「土」は中央で、色は黄色、季節は土用としました。「金」は西、白、秋。そして「水」は北、黒(玄げん)、冬。
ここから、青春、朱夏、白秋、玄冬という言葉ができ、人生にあてはめられるようになったということです。
いまでは、「一生青春」という人もいるぐらいで、青春以外は、ほとんどつかわれなくなりましたが、青春の次には、朱い(あかい)夏がまっていたのです。
霧(きり)と靄(もや)、そして霞(かすみ)は、科学的には同じ現象なのだそうです。とはいえ、気象用語に霞はありません。
それでも、ずっと昔から、私たちは、霞は春にたなびくもの、霧は秋に立ち込めるもの、そんなイメージで親しんでました。
「霞の衣(ころも)」は、春に霞がかかっている様子を衣に見立てたものです。
龍は想像上の動物ですが、雷雲を呼んで、天に上がるといわれます。
日语写作真题及高分应对范文点评

日语写作真题及高分应对范文点评日语写作真题及高分应对范文点评近年来,日语学习在中国大学生中越来越流行。
日语写作是其中的一个重要组成部分,也是考试的重点内容之一。
为了帮助学生更好地应对日语写作考试,以下将提供几道真题,并对高分应对范文进行点评和分析。
真题一:请根据提供的图片,以「日本花祭节」为题,写一篇100字左右的短文。
范文及点评:日本花祭节是一年一度的民俗盛事,每年春天的某个日期,当代表花神的雕像到达庆典区域时,人们会敞开心扉庆祝。
届时,街头巷尾都会摆满各种鲜花和植物。
花祭节代表着新生和希望的到来,也是人们向自然致敬的一种方式。
我第一次参加这个庆祝活动时,被美丽的花朵和人们欢乐的氛围所感染。
这个节日让我更加热爱日本文化。
点评:本范文通过简洁明了的语句,准确而生动地描述了日本花祭节的情景,展现了作者对这个节日的热爱和向往。
同时,短文有条不紊地按照时间顺序呈现信息,使内容更加清晰。
真题二:请根据所给情景,以「我的暑假」为题,写一篇150字左右的短文。
范文及点评:今年暑假,我回到了故乡。
经过一年了,故乡竟然有了翻天覆地的变化。
城市的拆迁,新建的高楼大厦,让我感到惊讶。
同时,我遇到了许多老朋友,和他们聚在一起,一起回忆过去的美好时光,无忧无虑地享受着夏日的阳光。
在假期里,我也参加了一些志愿活动,帮助当地的孩子们学习。
看到他们充满动力的眼神,我感到无比欣慰和骄傲。
我相信,通过我的努力,我可以改善世界的一小部分。
暑假期间,我还学习了一些烹饪技巧,独立做了几道美味的菜肴,给家人带来了惊喜。
这个暑假充实而又美好,我不仅体验到了家乡的变迁,结交了新朋友,同时也为他人尽一份力。
这个暑假让我成长了不少。
点评:范文以自己的亲身经历为主线,通过描绘家乡的变化、和友人的相聚、参加志愿活动和学习烹饪等细节,使文章具有情感色彩和生动性。
同时,文中使用了一些描述性的词语,让读者更加容易产生共鸣。
在面对日语写作考试时,还有一些应对策略和技巧值得注意。
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日语优秀作文鉴赏朝顔の魅力どこからみても何のへんてつもない小さな黒い朝顔の種。
しかしこの種こそ私の宝物なのです。
この宝物がやがて芽を出し成長していくと見事な花を咲かせます。
その花が朝日にあたりダイヤモンドのように輝くのです。
しばし夏の暑さを忘れ、自然と笑顔がこぼれ心にゆとりを持たせてくれるのです。
今年も五月のはじめに種をまき、今ではつるも出て小さなつぼみもいくつかついています。
どんな色の花を咲かせてくれるのか、今から楽しみに育ててます。
その朝顔との出会いは小学校一年生のときでした。
先生から育てるうえで、いくつか話しがありました。
その中で、「毎日声をかけると、朝顔も喜んで、大きくなるよ。
」と言われたのが特に心に残り、「今日も暑かったね。
」などと話しかけながら水やりをしました。
成長していく過程が楽しみで毎日見に行きました。
そして、見事にピンクの花を咲かせたときには、何とも言えない喜びと嬉しさで感動したのを覚えています。
夏休みには家に持ち帰り、毎日何個、花が咲くのかを観察しました。
やがて秋には何十個も種が取れました。
それからというもの、私は家で採れた種を翌年まき、育ててまた次の年へと続け、もう六年が経ちました。
毎年たくさんの種が取れるので、友達や近所の人、親せきにも配ったりしました。
この六年間をふり返ると朝顔も濃いピンクの花から、うすいピンクやうす紫へと花の色も少しずつ変化してきました。
私自身も朝顔を通していろいろな経験をしました。
二年生のときには、一鉢に一粒か二粒ぐらいまくのが朝顔がよく育つのに、「たくさんまけば、花もたくさん咲くかもしれない。
」と思い、一鉢に五、六粒まきました。
結果は予想とはずれ、あまり成長せず花も小さく勢いがありませんでした。
「よくばったらいけないなぁ。
」とつくづく思ったものです。
四年生のときには、私が朝起きて見るといつも、咲いています。
「朝顔は、いったい何時頃から咲きはじめるのだろうか。
」と思い、夏休みの自由研究のテーマにしました。
ねむい目をこすりながら午前三時頃から観察しました。
四時半にはつぼみがふくらみはじめ、五時半頃にはほぼ満開になりました。
少しずつ変化していく様子をまのあたりにし、新しい朝顔を発見した気分でした。
また、夏休みには毎年家族で旅行したりして、家を留守にすることもありました。
そんなとき、バケツに水を入れ、その中に鉢ごといれ、水分不足にならないように気をつけました。
今まで育ててきて一番心配したのは去年でした。
種ができかかっていたときに台風が来て、全部倒れてしまいびっくりしました。
葉もやぶれ、つるも途中で折れたりと、それは無残な姿でした。
「わぁ、ひどかったねぇ。
」と言いながら、鉢を起こし手当てをしました。
根がしっかりしていたので、どうにか元気を取り戻しなんとか種を取ることができました。
すごい生命力に、こちらが何か元気をもらったようでした。
この六年間、朝顔を育てて感じたことは、同じ種でも、芽の出方や育ち方に違いがあるのに気づきました。
種をまいて一週間ぐらいで芽を出しどんどん成長していくものもあれば、もう出てこないのかとあきらめていた頃、一ヶ月以上も経過してから、ひょっこり芽を出すものなど様々です。
成長の早い遅いはあっても、めざることはただひとつ。
きれいな花を咲かせることなのです。
人間も一人一人違ってあたり前。
運動が得意な人もいれば、絵がうまい人、話が上手な人、それが不得意な人などさまざまです。
いろんな人がいてこそ、自分にないものを他の人から吸収できるし、またそこから自分に広がりが出てくると思います。
朝顔をながめながら、「わぁ、きれいね。
」「ほんとね。
今日もたくさん咲いたねぇ」と会話している私の家族の声を聞きながら、朝顔も満足しているのではないかと思います。
人間にも朝顔にも共通するところがあるように思えます。
きっと朝顔は花を咲かせるという夢をいだいて、ときには厳しい自然にも立ち向かいながら目標を達成しています。
私も落ち込んだり悩んだりすることがあるかもしれませんが、自分の夢に一歩近づけるよう努力したいと思います。
そして私の夢にも花が咲きますように。
今朝も我が家の朝顔は、そよ風に体をなびかせています。
[next]山との出会いまるで、パレットに絵の具を落としたように、あざやかに彩る山の紅葉を見たことがありますか。
一面真っ白な雪景色の中で、コバルトブルーにかがやくオオルリの美しさを知っていますか。
山小屋の庭先で、宝石のように光るミドリシジミを、ひとりこっそり見つけたら、どんなに心がときめくと思いますか。
初めて私が富山県の立山に登ったのは、小学三年生の秋でした。
山岳写真家の私のおじさんに連れて行ってもらったのです。
『星に一番近い駅』と言われる立山の室堂は、標高二四五0mというものすごい高さにあります。
そんな高さの世界では、私の知らないおどろくことばかりでした。
そのながめは壮大で、周りの山々を見下ろすと、白いきりが海のように広がっていて山の頂だけが浮かんで見えました。
何かとても不思議な感じはしていたのですが、きりだと思って見ていたものは、実は雲だったと知って本当にびっくりしました。
まさか自分達の下に雲があるなんて。
まして雲よりもっと高い所に自分が立っているなんて信じなれなかったのです。
それから、山はすごく寒くて、水は凍るように冷たかったです。
うっかり手袋を落としてしまった私は、おじさんに、『山での手袋は、自分の手と同じようなものなんだぞ。
』と叱られました。
そして本当に、冷たさで手がちぎれるように痛かったです。
私はその時、ちょっぴり山のきびしさを知りました。
立山の秋の紅葉は、その全てが絵ハガキのようでした。
赤や黄やオレンジに色づいたナナカマドやカエデ、ダケカンバなどの葉っぱか、お花畑のように見えました。
私は生まれて初めて、こんなきれいな紅葉を見たので、感動でむねがいっぱいになりました。
そしてこの美しいを写真におさめて、もう一度みたいと思い、カメラを片手に、感じたものを取りながら歩きました。
遠くの紅葉もすばらしいのですが、足もとに目をやると、そこにもきれいに色づく植物が木道の脇を飾っていました。
私は、雨のしずくにしっとりとぬれた、赤く美しいチングルマのしげみの中に、黄色い葉をもつトリカブトを見つけました。
その近くには、オヤマリンドウが、青むらさきの花をつけて、ひときわ美しい咲いていました。
大自然の中では、人の命をうばうほどのおそろしい植物も、こんなに美しい花とともに共存しているのだと、おじさんに教えてもらいました。
それを聞いたので、カメラでトリカブトを撮る手が少しふるえてしまいました。
「なんでこんなに低い木があるんだろう。
このはっている木はなんだろう。
」私は、その場に立って、しばらく考えこんでしまいました。
するとおじさんが、「これはね、ハイマツと言って、標高二○○○m以上にしか生えない松なんだよ。
」と教えてくれました。
私は雪の重みにたえきれず、はってしまったのかなと思いましたが、本当は、強い風がふく高山では、上の方にのびることができず、はうことしかできなくなってしまったからだそうです。
冬が近づくとなかなか見るのがむずかしい山の忍者“雷鳥”。
きりの中、どうしても見たい!という思いで目をこらしていたその時、きせきが起こりました。
私の目の前を一羽の雷鳥がバッと飛び立ったのです。
もうびっくりして心ぞうが止まるぐらいドキっとしました。
願いがかなったのです。
そして雷鳥が飛び去ったあと、急にものすごい雨がザーっと音を立てて降ってきました。
雷鳥が現われる時は、天気がくずれるというのは本当でした。
いっしゅんの出来事でしたが、その光景を思い出すたび、私の心は今でもときめくのです。
大自然の中には、さまざまな植物や動物に、やっと出会えた時、感動するのです。
私は時々、山に行きたくてたまらなくなります。
いつも心がわくわくすることを探しています。
そして、どこにそれがあるかも知っています。
だから、もし友達で心が傷ついたり、毎日が苦しくてなやんでいる人がいたら、「山に行こうよ。
山には自分だけにしか見つけられない宝物がいっぱいあるんだよ。
きっと探せるよ。
自分が見つけたもの全てが宝物だから。
」と、いうつもりです。
山と出会えて、本当に良かったです。
[next]橋人が、橋を作ったのはいつなのだろう?人は、橋を作る時何を思うのだろう?そして、自分が初めて橋を渡ったのは、いつの事だったろう?幼稚園?小学生?まだ、自我の無い赤子の時?あるいは、まだ母の体内にいる時に、さまざまな「橋」を渡っていたのかもしれない。
「橋」、言葉にするとたった一文字の単語。
だが、意識して思い起こしてみると、「橋」というものは自分の周りのさまざまな所に存在している。
川を越えるための「橋」はまさにその典型的な、しかし我々「人」にとって最も必要な「存在」だろう。
普段何気なく車や自転車、あるいは徒歩かもしれないが、そこに「橋」がなければ我々は、そこを泳ぐか船を手に入れでもしなければ渡れないのだ。
当たり前のだが、改めて考えてみると「橋」というものがいかに大きな存在であるかが自分の心の中にありますと浮かんでくる。
自分の「橋」の強く残る思い出は、幼い時に祖父と魚釣りに行く時に渡っていた「橋」である。
子供心ながら、「早く釣りを初めたい」、「早く着かないかなぁ」などと、炎天下の中、曇り空の中、あるいは、良く晴れた青空の中、祖父と自転車を走らせたのを今でも鮮明に思い出せる。
今では、その「橋」は自転車で通ることはもちろん、車で通ることも滅多に無くなってしまった。
祖父も昔のように、こんな手のかかる孫を連れて元気に「橋」を渡れる体力はもう無いだろうと思う。
いつか、祖父とも別れの時が来るだろう。
しかし、思い出は残る。
それが自分にとって幸せな事となるか辛い事となるかは今は分からない。
ただ、「橋」という存在によって、自分の中では「確か」な「思い出」を、「橋」のおかげで形成する事ができた。
人は、いずれ死ぬ。
モノは、いずれ壊れる。
記憶は、いずれ衰える。
しかし、「思い出」は自分の中では不変の物であると思いたい。
自分の中でいつまでも覚えていたい。
人から見れば当たり前の事があり、自分でもありきたりだとは十二分に承知しているが、誰だって「橋」に対して誰もが何かしらの「思い」を持っているはずだ。
自分の、「橋」に対しての「思い」とは、『道だけではなく、人の心と心を繫ぐもの』だと思いました。
[next]秋「秋きぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」――そう、秋はそっと忍び寄って、不意に肩をたたく友に似ている。
長い夏休みが終わり、何かとあわただしい一時期がすぎた頃のある日、街を歩いていて、頭の上で街路樹の葉がサラサラと鳴る音に、ふと心ひかれることがある。