超级日本语考试1级读解文法
2007年日语能力考试1级读解文法

2007年日语能力考试1级读解文法読解問題Ⅰ次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
答えは、1・・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。
人の会話というのは、言葉としては案外成り立っていないことが多い。
ずっと昔、母親と話をしていてそう痛感したことがある。
たとえばの話。
私が母に「このあいだより太ったみたいだけれどどうしたの」と訊く、すると母は「服を買いにいったら大きなサイズの店にいけと言われて腹がたった」と続ける。
「甘いものを食べすぎなんじゃないの」と私が言うと、「どこそこの店の大福を買ったらまずくて食べられたものじゃなかった」と母は言う。
このように書き記してみれば、会話としてまったく成り立っていない。
(注1)双方が双方の思うままを口にしているだけである。
私はこの母とよく(注2)口論になった。
この「①思うまま会話」がどんどん進んでいくと、最後に決まって母は「小説なんか書いてないで結婚したらどうか」という方向に結論づけ、「あなたが太った話がなぜ私の結婚問題に結びつくのか」と①私が(注3)突っかかり、口論になるわけである。
この口論だってもちろん、会話としては成り立っていない。
その都度、「母に私の言葉は通じないのだ」と腹立ち紛れに思ったものだしかしひょっとしたら、通じないと決めつけた私は、会話というものは「相手の言うことを耳で聞き、順った。
繰りに理解する」はずだと信じていたのかもしれない。
信じているふうに会話が進んでくれないことに、(注6)苛立っていたのかのしれない。
そういえば、「私の話をちゃんと聞いているのか」と、話の途中で幾度も言ったことを今、思い出した。
③あれは、「耳で聞いたことを順繰りに理解しているのか」と、自分の信じるところを訴えていたんだなあ。
言葉というものは使う人によって、温度も色合いも違う。
もしこれが統一されていれば、順序だてて理性的に会話をせずとも、誤解や勘違いやすれ違いはまったくなくなるのではないか。
2005年日语能力考试1级真题-读解文法

2005年日语能力考试1级真题読解・文法(200点 90分)問題Ⅰ 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。
来世紀に向けて、個人レベルであれ地域祉会・地球規模であれ、科学技術の進歩ゆえに いっそう複維になっていく問題に対して、個人が判断しなくてはならない局面が増えていくことだろう。
その時に自分なりに納得のいく判断を下すためには、科学に無関心・無理 解を決めこんだ(注1)りせず、ふだんかち科学に日を向け、科学的な考え方にふれている必要があるだろう。
つまり、①科学と社会を結びつける良質の情報が必要なのである。
その情報は自分の行動に役立てるために受信するだけではなく、場合によっては、自ら責任ある発信者となるために役立てることも大切である。
残念なことに、科学者がもたらした成果は、そのままでは判断材料としては②役に立たないことが多い。
まず、専門用語ゆえに科学はとりつきにくい。
科学が高度になり細分化したために、領域が異なれば科学者でも理解が困難な状況になってしまっている。
良質の情報は優れた③表現能力をともなわなくてはならないが、実際のところ、研究に専念している科学者には時聞的余裕がなく、そうした表現能力を磨くいとま(注2)ないのが普通である。
も一方で、④科学者にも良質の情報が必要である。
科学者は何かしら新しいことを世界に先駆けて発見・発表することに熱中するものである。
その結果が化学・生物・核兵器の開発に加担する(注3)ことはないか、あるいはわれわれの生活ないしは地球という生態系(注4)に思いもよらぬ影響を与えることがないかに思い(注5)を馳せる機会は、必ずしも多くはない。
⑤こうした点に関して、科学者は外部から指摘される必要がある。
( ⑥ )、最先端の科学の研究成果とその社会的意味を科学に慣れ親しんでいない人に、また杜会的意味については科学者に対しても改めて説明する人材、つまり科学の"インタープリター"が必要となる。
日语读解技巧

读解策略1----阅读前的准备(1)在日本语能力测试中,“读解”部分题量最大,所需时间最长。
近年考试中读解多分为三道大题,第一道大题是长篇文章,大部分是论说式,约1000字左右,文章比较晦涩难解;第二道大题是中篇,约500字左右,这类文章一般是随笔或散文,比较易于理解;第三道大题是短篇,基本上有五六篇小文章,每篇约300-350字。
长篇文章每题约设7个问题,中篇文章每题约设3至4个问题,短篇文章每题设1至2个问题。
在了解这些情况的基础之上,我们来学习第一个技巧:发下试卷后,以最快的速度通览试卷,将时间合理地分配给每道题,从而有效地利用时间,从容解题。
读解策略2- 阅读前的准备(2)在日本语能力测试中,“读解”的题量大,难度高,是最容易丢分的部分,对考生来说,也是最不知如何复习的部分。
因此,很多考生知识盲目地大量练习“读解”的文章,以为这样就可以提高成绩,但是,往往成效不大,因此,阅读不仅是对语言综合能力的考查,还要求我们能很好地理解日本人的思维方式。
另外,“读解”的试题通常选自报刊中的专栏,杂志,普及读物等的随笔或有关自然科学以及涉及日本人和日本文化方面的书籍。
因此,在日常的学习中,要习惯此类文章的文体、构成及表达方式等。
除此之外,掌握一定的考试技巧也是至关重要的。
那么,我们来学习第二个技巧:不要急于通览全文,在此之前,首先要理解文章的题目,而题目往往是作者要表达的中心思想。
读解策略3- 阅读前的准备(3)文章的题目,有时是一个词语,有时是一句话。
如果题目中出现了较难的词语,就会给正确理解题目的含义带来困难,但这也是对考生词汇量的考查。
如果文章是对一些新鲜事物的阐述,那么题目往往也是一个新鲜词汇,但不用紧张,因为往往在文章的第一段就会对题目的词语或句子进行详细地解释。
那么,第三个技巧就是,抓住对题目的解释部分。
读解策略-------阅读前的准备(4)一般来说,要读懂一篇文章,通读是一个必要的前提,这样可以使我们了解文体,文风,文章内容,从而对文章的整体结构有个大致的认识。
2000年日语能力考试1级真题-读解文法

1.日本で1人の女性が一生の問に産む子供の数が減ったことは、子供は要ら ないという現在の家族観に合致するということ 2.日本で1人の女性が一生の間に産む子供の数が減ったことは、子供の数が 多いほうがよいという伝統的な家族観に反するということ 3.日本で1人の女性が一生の間に産む子供の数が増えたことは、子供は要ら ないという現在の家族観に反するということ 4.日本で1人の女性が一生の間に産む子供の数が増えたことは、子供の数が 多いほうがよいという伝統的な家族観に合致するということ
(注2)
とばであるわけです。 だから、なにも料理にかぎったことではなく、たとえばとなりの家へもらい風 呂 に 行ったとき、風呂に入った帰りがけに、
(注3)
昂立新日语
「ごちそうさまでした」
①
というあいさつが、今でもつかわれる場合があるのではないかと思います。 ことにむかしは、.風呂ひとつたてる にしても、風呂おけに水を汲み入れ、
問(5)⑤「そのような社会」とあるが、どういう社会か。
1.夫が子供Байду номын сангаас数を決められる社会 2.男女差別がまだ強く残っている社会 3.妻の意見が尊重される社会 4.老後の保障が十分でない社会
昂立新日语
問(6)この文章のまとめとして最も適当なものはどれか。
1.日本の女性が一生の間に産む子供の数が1.57人にまで減ったのは、国や民 族の存続に関わる大きな問題だ。 2.人口の増大傾向を止めるには、子沢山を望ましいとする価値観を変え、貧 困や男女差別をなくす必要がある。 3.家庭内の女性の地位が向上し、女性の雇用機会が十分あれば、男女差別も なくなるし環境問題も解決できる。 4.地球の環境を守るためには、人ロ増加率をおさえて100年前の16億人程度 にまで減らさなければならない。
日本语考试1级读解文法

1级读解文法阅读部分問題1秋に入ると学校では、読書週間という奇妙な週がやってくる。
普段は図書館に足を踏み入れもしない子どもたちが、みんな指定の図書を探して、嫌々やってくるのを僕は不思議に眺めていた。
読みたくない本を読んで感想文をかけ、と先生から指令がくだるのだ。
先生に言われなくても、僕は昔からほんの足だった、読書週間の標語を読むと、「読書は世界の見える窓」「本は心の栄養」などと利益を謳った文句が並んでる。
先生は、読書をする子はよい子で、頭がよくなると自信を持って勧めていた。
頭をよくするのは教育者の仕事だ。
その義務を忘れて本に子どもを教育してもらおうとするのは怠惰な職務放棄にすぎない。
僕は一発でこの先生の能力を疑った。
僕は所謂アタマのいい子だった。
子供のしがちな無茶なことはせず,大人の命令に逆らわない従順な児童だった。
教室の壁には誰が何冊本を読んだか、という営業マンのようなグラフが作成され、能力を競っていたように思う、馬鹿馬鹿しいと笑っていると白羽の矢が僕に刺さった。
「彼は本を読むから成績がいいんです!」先生は僕を象徴して読書を推進しようとしている。
それは大きな間違い。
僕の成績がよかったのは普段真面目に授業を聞いているからだし、きちんと家で勉強していたからだ。
他の小学生はのびのびと育っていて、誰も勉強などしないから、差がでるのは当然のことだった。
読書をすれば賢くなるという幻想は、どうして出来上がったのだろうか。
僕はその読解の根源を子供たちに見た。
いつも図書館現れない子供は無理に広げた本を前に煩悶しているではないか。
これはほとんど拷問に近いものがある。
(③)彼らは勉強の姿勢で本を読んでいるのだ。
こんな読み方では楽しくないだろう。
本の楽しみとは、ここではないどこかに飛んでいける冒険につきる。
旅行の楽しみと読書は近いものがある。
僕は本で冒険をし、知らない世界に旅をした。
(中略)人は誰もが「もうひとつの世界」を夢みる。
2006年日语能力考试1级真题-读解文法

2006年日语能力考试1级真题読解・文法(200点 90分)問題Ⅰ 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。
小説が人間の生きる現実の上に成リ立つものである以上、その生と死を絶対的に縛る<時間>から解き放たれることはあり得ない。
というよリ、より広大な、より豊潤な<空間>に向けて飛び立ち、漂い出すことを夢みながら、常に腰につけた<時間>の皮肉な命綱によってその世界を守られ、限られ、狭められているのが、小説なるものの運命なのではあるまいか。
(中略) 小説がそのように<時間>に固く結ぴつけられているとはいっても、小説の中で生きて動いているのは日めくりカレンダーや柱時計ではなく、登場人物としての人間達である。
もとより、現実生活においても<時間>が見えるわ(注1)けではない。
見えない<時間>をなんとか目に映るものにしようと努力して、推移を見人間は暦や時計を生んで来たのだろう。
( ① )、小説の中で時の(注2)えるものとするのは、暦や時計それ自身ではなく、溜息をつきながら暦をめくり、不安げな表情で壁の時計を見あげる、あれこれの人物達に他ならない。
(注極言すれば、ここでは人間そのものが、ある意味では暦であり時計であると3)函数として考えようともいえる。
とはいっても、人間を単なる<時間>の(注4)人間の存在とは、そのままごく自然に<時間>のするのではない。
むしろ、②表現でもあるという一事を述べたかったに過ぎない。
たとえば、こんなことがあるだろう。
---1軒の家で暮す一つの家族を描く時、幼い子供達がいる。
その父親ヒ母親がいる。
この親子は時間の連鎖(注5)の中で生れて来たものである。
つまリ、父親となる男性と母観となる女性がいたから、はしめて子供達が生れて来たわけである。
よくいわれるところの核家族とはこの2世代によって構成される家族のことだ。
そこでは、いわば③原因と結果が最短距離で向き合い、最小単位の家族を構成しているといえる。
JLPT1级读解技巧

在⽇本语1级能⼒考试中,读解部分难度较⼤,在最后项的所占的分值也较⾼。
很多学⽣尽管为能⼒考做了很多准备,但由于读解成绩不尽如⼈意,⽽影响能⼒考的总成绩。
如果究其原因⽆⾮是四⼤原因所致。
词汇量、句型结构、阅读⽅法、解题技巧。
我们现在离08年的能⼒考只有⼀个⽉的时间了,在这短暂的⼀个⽉时间,我们如何提⾼我们的读解能⼒呢? 考⽣不管原先读解能⼒如何,每天要保持⼀定的读解量到考试之前。
不能只集中⼏天来突击读解,因为读解的能⼒是持续增长的过程,⼀旦有松懈,就导致读解⽔平的下降。
在做读解练习的时候,⼀定要有时间控制,⽐实际考试时的时间略紧些。
在选择读解的⽂章上要针对1级能⼒考的,要⽐近⼏年的⽂章难度略难⼀点的。
因为⼤多数考⽣都⾮⼤学在读,⼀年中应试的机会也相当少,所以实际应试时⼼理的状态会打折扣,从⽽导致应试时不能淋漓尽致地发挥⾃⼰的读解能⼒。
如能在平时读较能⼒考略难的⽂章,实际应试时会在⼼理上形成优势,发挥也会较稳定。
在⽇本语1级能⼒考试中,读解由长⽂、中篇和若⼲短⽂组成。
读解量2000年后要⽐2000年前略多。
体裁上多为⼈⽂社会、科学技术和⽂学艺术等。
在实际解题⽅法上,粗略概括如下: ⾸先看⽂章标题、图⽰图表、⽂章出处、作者信息等,来判断出⽂章的主题。
其次在阅读时,可以带着问题,特别要注意⽂章的开头、结尾、各段落的第⼀句。
与此同时,可以边看边做题,其优点在于可避免考⽣的主观意见。
以判断出作者对此问题的意见和态度,最后判断出⽂章的中⼼思想。
在技巧上根据不同的题型,发现关键词、信号语。
例如⼀看到问句中有“なぜ、どうして”等词语,就知道这可能是⼀道因果关系题。
于是我们可以利⽤因果关系题的借题知识、技巧,在⽂章中寻找“ので、から、ため”等信号词,找到与解答问题有关的句⼦和段落来回答问题。
考⽣们也会碰到⼀些陌⽣的单词,阅读时可以在不影响理解时绕过⽣词,试从不同⾓度推测词义。
有些长句、长⽂结构⾮常复杂,这时要运⽤语法来理顺。
1998年日语能力考试1级真题-读解文法

1998年日语能力考试1级真题読解・文法(200点 90分)問題Ⅰ 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
答えは、1?2?3?4から最も適当なものを一っ選びなさい。
川に上流と下流があるように 、われわれのくらしにも上流 ( アップストり一ム ) と下流 ( ダウンストリーム ) がある 。
栓をひねると出てくる水の来るところは上流であり 、 流しに捨てた水の行く先は下流である 。
米 、 肉 、 魚 、 野菜 、 電気 、 ガス 、 石油 、 こういったく らしに必要なものを供給するところが上流であり 、台所で出る野菜くず 、 便所の屎尿 、こういった邪魔物をほうり出すところが下流である 。
① われわれは 、 例外なく 、 下流より上流の方を気にする 。
上流が汚れ 、 乱れると 、 水や食 べ物がまずくなり 、 危なくなり 、くらしの楽しみが減り 、 からだが傷つけられやすくなる からである 。
上流にくらべて 、下流に対する関心はゼロといってよいくらいうすい 。
目の前においておくと嫌なものを 、 見えないところ 、遠いところに持っていくだけで 、 もう 、すっかりその存在さえ忘れてしまう 。
(② )自家用車を運転している入は 、気楽な気 分で歩行者や自転車族に排気ガスを吹きつけているのだが 、そのことを意識している人は ほとんどいない 。
これなど下流に対する無関心の典型である 。
それでも 、 昔 、ずっと昔だと 、 上流と下流は 、 両方ともくらしのすぐそばに一緒にあっ て 、誰の目にもその様子がよく見えていた 。
食べる肉がつい一刻前( 注1 )までは庭を走りまわっていた鶏であったり 、 野菜くずが庭のすみの穴に埋められ 、 しばらく後で堆肥( 注2 )になり畑に使われるといったことが 、ありふれた風景であった 。
この当時だと 、 上流は自然と自分で 監視していることになったし 、 自分は下流に関心がないといっても 、 少なくとも家族の中の一人がそれを始末していることは目にしていた 。
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读解文法阅读部分問題1秋に入ると学校では、読書週間という奇妙な週がやってくる。
普段は図書館に足を踏み入れもしない子どもたちが、みんな指定の図書を探して、嫌々やってくるのを僕は不思議に眺めていた。
読みたくない本を読んで感想文をかけ、と先生から指令がくだるのだ。
先生に言われなくても、僕は昔からほんの足だった、読書週間の標語を読むと、「読書は世界の見える窓」「本は心の栄養」などと利益を謳った文句が並んでる。
先生は、読書をする子はよい子で、頭がよくなると自信を持って勧めていた。
頭をよくするのは教育者の仕事だ。
その義務を忘れて本に子どもを教育してもらおうとするのは怠惰な職務放棄にすぎない。
僕は一発でこの先生の能力を疑った。
僕は所謂アタマのいい子だった。
子供のしがちな無茶なことはせず,大人の命令に逆らわない従順な児童だった。
教室の壁には誰が何冊本を読んだか、という営業マンのようなグラフが作成され、能力を競っていたように思う、馬鹿馬鹿しいと笑っていると白羽の矢が僕に刺さった。
「彼は本を読むから成績がいいんです!」先生は僕を象徴して読書を推進しようとしている。
それは大きな間違い。
僕の成績がよかったのは普段真面目に授業を聞いているからだし、きちんと家で勉強していたからだ。
他の小学生はのびのびと育っていて、誰も勉強などしないから、差がでるのは当然のことだった。
読書をすれば賢くなるという幻想は、どうして出来上がったのだろうか。
僕はその読解の根源を子供たちに見た。
いつも図書館現れない子供は無理に広げた本を前に煩悶しているではないか。
これはほとんど拷問に近いものがある。
(③)彼らは勉強の姿勢で本を読んでいるのだ。
こんな読み方では楽しくないだろう。
本の楽しみとは、ここではないどこかに飛んでいける冒険につきる。
旅行の楽しみと読書は近いものがある。
僕は本で冒険をし、知らない世界に旅をした。
(中略)人は誰もが「もうひとつの世界」を夢みる。
新しい環境、新しい政治、新しい自分、誰もが現実の中に小さな違和感を抱えて、変化を望み、そしてこの現実は簡単に変わることがないと諦めている。
そんなとき最も安価で確実な変化をもたらしてくれるのが、読書なのだ。
読書とは教育ではなく、世知辛い現実を巣手って、豊かな世界に耽ってしまう人の性であり、現実を忘れさせる合法的な麻薬である。
「彼らはまだ勉強をする義務がある。
子供に本の味を教えるのはちょっと早いかもしれない」問1「読書週間という奇妙な週」とあるが、どうして奇妙なのか。
1.いつもは図書館に来ない子供たちが図書館で好きな本を読むから。
2.本を読めば世界のことがよくわかったり心が豊かになったりするから。
3.先生が推薦した本を学校の図書館で捜して読まなければならないから。
4.子供の気持ちを大切にせずに無理に本を読ませようとするから。
問2「それ」とは何か1.読書週間という名のもとに、子供たちに無理に多くの本を読ませようとすること。
2.どれだけたくさんの本が読めるが、営業マンのようなグラフを使って子供たちに競争させること。
3.先生の話を真面目に聞いて家でもきちんと勉強しているから、筆者の成績がいいこと。
4.本を読むから成績がいい例として筆者を挙げ、他の子供たちにもっと本を読ませようとすること。
問3小学生の時の筆者はどのような子供だったか。
1.先生を信じることができず、空想の世界の遊ぶ子供。
2.先生を尊敬し、ひたすら先生の教えを実践する子供。
3.先生を心の底で馬鹿にしているが、一見従順な子供4.先生に従い、空想と現実を混同しない理性的な子供。
問4筆者は何のためにほんを読んでいたのか。
1.知らない世界を味わうため2.学校でいい成績を取るため3.賢くなり現実を楽しむため4.勉強する義務を果たすため問5(③)に入る最も適当な言葉はどれか1.しかし2.ゆえに3.ただし4.つまり問6読書と旅行が似ている点は何か。
1.新しい経験をしていろいろな利益が得られること。
2.日常生活から離れてわくわくすることができること。
3.行ったことがないところに実際に行くことができること。
4.いつでもどこでも楽しみたいことが楽しめること問7筆者は読書週間についてどう考えているか。
1.読書週間にはいろいろな本を読んだほうがいい。
2.読書週間を本当の読書のための週にすべきだ。
3.読書週間のような週があってもあまり意味がない。
4.読書週間のいま実践されている期間ではあまり効果がない。
問8本文の内容に合っているのはどれか。
1.読書は、子供に事実を教えてくれるものである。
2.読書は、子供の時からの習慣が影響するものである。
3.読書は、現実の理解のためにするものである。
4.読書は、自分から好きな本を楽しむものである。
問題Ⅱ(1)カナダの作曲家シェーファーは、音環境をサウンドスケープという視点から捉えることを提唱し、運動を展開している。
サウンドスケープは“音の風景”と訳すことができるだろうが、これは、都市空間をはじめ、あらゆる環境の中で不愉快な雑音が我々の生活を害するようになった現在、音環境を含めて生活のすべての面で快適性を高めたいという社会的ニーズの表れであろう。
日常生活を妨げる音をできるだけ防止するために、その場・時間・状況に応じて適切な環境音楽が流されている。
環境音楽は、快適性を音環境の中に取り入れたものといえる。
現代の文明は騒音をますます増大させているが、同時に最新の技術によって発生騒音を少なくする努力も大いになされるだろう。
しかしながら、我々は生活の中で、環境音楽と考えてかえって不必要な音や音楽を流しすぎていないだろうか。
いや、たれ流しているといってもいいぐらいだ。
ドイツの大指揮者カール・べームは、筆者も何回となく来日の折に聴いているが、ある時東京のデパートのエレベータに乗り、そこに流れていたドイツの古典音楽を聴いて非常に憤慨したそうである。
いとも安易にクラシック音楽が東京の町中に氾濫していることにべームは業を煮やしたのだろう。
遠山一行さんのような批評家がいう、「クラシック音楽は他社との出会い」という厳しいストイックな見方と現実は大きく違ってしまい、我々はあまりにイージーに音楽を氾濫させていると筆者は思う。
そして、それが非常に商業主義と結びついていることが多いと筆者は危惧しているのである。
問1カナダの作曲家シェーファーの展開する運動とはどのような運動家。
1.都市空間に美しい風景をイメージさせる音楽を流し、生活環境を向上させる。
2.カナダの作曲家が始めたサウンドスケープという運動に基づいて音環境を作り上げる。
3.生活の快適性を高めるために、環境音楽などを用いて音環境を整える。
4.場所、時間、状況に応じて、適切な環境音楽としてクラシック音楽を流す・問2本文によると、環境音楽とはどのようなものか。
1.日常生活の不快な音をさえぎるために流されているもの。
2.豊かな自然に囲まれた環境の中で聴くことができるもの。
3.筆者が日常生活の中で安易に聞かされているもの。
4.現代文明が作り出した環境の中から自然に生じたもの。
問3「厳しいストイックな見方」とはどのような見方と考えられるか。
1.外では音楽を全く流さず、他人が不愉快にならないよう配慮する。
2.クラシック音楽を聴くには、ふさわしい時と場を選ぶ必要がある。
3.増大しつつある騒音は、種々の音楽を流すことで緩和するべきだ。
4.日常生活を妨げる騒音は、社会にあってはならないので排除する。
問4筆者はこの文章を通して何を批判しようとしているのか。
1.「クラシック音楽は他社との出会い」という見方が広がること。
2.日常生活の騒音を減少させようとするより環境音楽でそれを隠そうとすること。
3.商業主義と結びついて安易に音楽を町中に氾濫させること。
4.環境音楽を流しすぎてかえって町中の騒音を増大させること。
(2)家事労働は、やってみると案外と簡単なものだ。
うそだと思う男性諸君は、一度やってみるといい。
今はいい洗剤があるから皿洗いは楽だし、研いだ米に分量の水を入れて、スイッチを押せば自然に炊く上がる電気炊飯器という便利な機械もある。
やる気になれば男だって一人で飯を作り、暮らしていけないことはない。
わが家は、妻が毎日仕事に出かけ、僕は家で仕事をしているから、生活のパターンが普通のサラリーマン家庭とは逆になっている。
そう入っても、仕事から帰ってきた妻が食事を作り、後片付けもしていた。
大変そうだなと思い、後片付けくらいはしてやるよと気軽に台所に立ってみた。
ところが、やってみると案外に楽しかった。
汚れた食器が次々にきれいになっていくのはなかなか気持ちのいいものだ。
わずか10分か15分で、ひと仕事終えたという労働の充実感も味わえる。
この、ひと区切りつくというのが家事労働の面白いところかもしれない。
60歳をすぎた僕がこんなことを言うと、同年輩の亭主族からはなんと甘っちょろいと思われるかもしれない。
20代30代からは、何で今さらそんなことに気づいたのだといわれそうだ。
「最近の女性は耐えるということを知らない」などと世聞では言ってる。
確かに昔に比べると、我慢するということが少なくなったようだが、これは()ことだと思う。
昔の女性が我慢していたのは、経済力がなくて夫に養われているという意識があったからだろう。
イマハ、仕事をもったりパートタイムで働きいたりして、ちゃんと収入を得られるようになた。
しかも、亭主が汗水たらして働いていても、大して高い給料をもらっているわけではないのだという現実もわかってくる。
(中略)わが家の場合、今の若夫婦のように、権利だ義務だと分けて、家事を分担しているのではない。
なんとなくそういう具合になっている。
とはいえ、サラリーマンを続けていたら、なんとなくそういう具合にはならなかっただろう。
権利だ義務だというのは、押しなべて世間に広がらなくてはならない決まりである。
家庭にそんなものはいらない。
家庭にあるのは流儀だろう。
サラリーマンはサラリーマンの家庭の、わが家にはわが家の流儀がある。
おおまかであって、伸縮自在だけれども、ひとつの流れになっているという曖昧な流儀が、大まかな僕に似合っている。
問1()にはいる最も適当な言葉はどれか。
1.つまらない2.いい3.おどろくべき4.よくない問2筆者は、どうしていまの女性は我慢をしなくなったと考えているか。
1.家事労働は女性の義務ではなく、男性も相応に分担するべきだという考え方が広がったから2.人々が権利や義務について考えるようになり、女性も権利を主張できるようになったから3.経済力をつけたので、亭主が稼ぐということをそんなに偉いこととは思わなくなったから。