読解1级 怎样做好日文读解 01~33)

 二歳と一歳児を抱え、毎日、育児、家事に追われている。外出もままならず唯一の息抜きは新聞を読むことだ。

 先日、ご主人と息子さん二人の胃袋を預かるお母さんの投稿を読んだ。うちの姉妹も良く食べるが、子供が三人、4人といたり、兄弟となると、さぞよく食べてくれるのだろうと想像する。

 私も、三食を用意するのがこんなに大変だと思ってもみなかった。結婚4年目だが、外で仕事をしていたので、主婦業は新米。要領も悪いのだろうが、皿洗いを含め、一日中、台所に立っているような気さえする。体調が悪い時は、もう一歩も動けないし、頭も回転しなくなり、メニューも思い浮かばない日もある。

 それでは、「娘たちといつまで食卓を囲めるのだろうか」と考えたり、時には片方の腕に娘を抱え、一緒に鍋の中身を覗き込んだりしながら、今日も台所に立っている。



 5月???若葉の季節。多くの人にとってはさわやかな季節の始まりであろう。

 しかし、私にとってはそうではない。またこの季節がめぐってきたという重い気分にさせられるのだ。私の花粉症は新緑のこの時季に始まり、終日、涙とくしゃみに悩まされることになる




 試合で、ネット越しに相手をにらみつけ、派手なポーズで挑発する。練習には黙々と励むが、若手には「私の顔色をうかがうようなお付き合いじゃ意味ないよ」とぴしゃり。それがコートの外では一変する。

 ぼんやり歩いて段差につまずいたり、好きな料理の話には早口で夢中になったり……。17歳離れた高校生選手からは「お母さんみたい。」この落差が、不思議な魅力になって人を引き込んでいく。






 一週間の旅などは、きちんとした職場に働いているとなかなか行けない。自営業でもなかなか一週間は休めない。それを通そうとすると、私のように無給休暇ならあるけれど、ということになるが、人生の価値をどこに見出すかということで、あとは自分次第である。しかしまた、仕事があって遊びがあるというのも真理なので、ここが難しいところなのだ




 次第に言葉を理解できるようになると、何かを教えようとするとき必ず理由を説明しながら教えるようにしました。初めはそれで納得していたのでしょうが、やがて子供は私の言ったことに反論してくるようになります。しかし、それは子供の成長の一つであり、私にはとてもうれしいことでした。

 


 さまざまな差別が人口に関わるライフス

タイルに影響を与えるが、とくに男女差別は直接的な影響を与える。環境と開発に関する世界委員会がまとめた『地球の未来を守るために』(Our Common Future)は女性の地位の向上が子供数の減少につながると指摘したが、これは大切な指摘であろう。女性の地位が向上すれば、家族内での子供を産むとかどうかということについて女性の発言権が増大し、そのような社会においては子供の数が減少する。













 最近では、「ら抜き言葉」や「マニュアル言葉」と言われるものが若い人の間だけでなく一般にも浸透して、それを使う人も多くなってきた。言葉は変っていくものだというのはもちろん分かるし、若い人たちが文法などに興味がないのも分かる。しかし果たして、①これでいいのだろうか。②こんなことを言うと頭の古いやつだと思われるだろう。だが、あえてこう言いたい。言葉は、人の何かを伝えるものである。聞いて不自然に感じる言葉では、人に十分に伝えることができないのではないか、と。




 敬語はこのように、伸縮自在な使い方をするのですが、これはまた外国人の悩みのタネのようです。どうしても固定してしまわないと安心ができない人がいます。あるアメリカ人は、社長用、課長用、事務員用、見習工用と、それぞれ段階わけの言い方を用意しておいて、それをぱっと使って一応の成功を収めました。しかし事務員の父親用とか、課長の息子用とかいうのまでは用意してありませんから、これにはハタと困ってしまいました。彼は感嘆して、よく日本人はこんなややこしいとこが言えるもんだ、いったいどう区別しているのか、と言うのです。

 そこで、こう聞いて見ました。車の運転をしているとき、あなたは必ず50キロか70キロで流れているとき、あなただけ60キロで頑張るのか。前の車がスピードを落とし、車間距離が10メートルにつまっても、やっぱり50キロで走り続けるのか……。それはもう、言うまでもないことでした。





 ペンションのお客さんと、きのこ採りにいったとき、尾根を進もうと思ってピーク「注1」をトラバース「注2」したら、いつの間にか変な場所に出た。森の中じゃ方向もわからない。こういうときに対処できるのが山の人間。こいつはまずいと思って、俺はナラの大木に登って方角を確認したよ。そしたら、感覚的には後ろがダムで前が乗鞍「注3」なのに、実際は正反対だったんだ。「お客さん、こいつはダメだ

。すぐに戻れ」ってそこでやっと修正できた。



 「住み慣れた家がいい」と一人暮らしを選んだ松野さんに、大阪市に住む長女、上村明美さん(62)は13年暮れ、I ポット?注1?を贈った。お茶を飲んだり、高齢者の生活にポットは必需品。ということは、ポットがきちんと毎日使われていれば、ちゃんと生活しているが分かる。逆に、使われていなければ、異常事態を示すアラームとなる。ポットが送信する情報は四人兄弟全員が携帯電話などで受信して松野さんの様子を見守っている。

 ポットの使用状況を見て、( ① )は( ② )に電話を入れる。

 ?子供たちが心配するので、『達者でやっている』と心の中で言いながら、毎日決まった時刻にポットを使うようにしています。通じていると思うと安心です?と松野さん。

 日常生活に溶け込み暮らしを変えて携帯電話。いたるところで、いま「ケータイ革命」が進行中だ。





 「俺は男だ。男がそんな女々しいことができるか」とは主人の口癖。とにかく料理はまったくできないし、好き嫌いは多いし、掃除は腰痛のためできない。私が「弱い女に高いところや力のいる仕事をさせるの?」と言えば、「もう男じゃなく老人と見てくれ」なんて変わり身の早さにも腹が立つ。

 ある夜「私、先に寝るから、お休み」と言っても返事が返ってこない。「お休みくらい言ったら?」と言う私に帰ってきた言葉が「言わん」との一言。たった一字増やして「お休み」と言ってくれれば、聞く耳にも優しく響くのに。ああ、これがつい最近金婚式を済ませた夫婦だろうかと情けなくなる。

 友人に愚痴をこぼすと「かわいいじゃない。駄々っ子「注1」みたいで」と言われた。そうか、主人と思うから腹が立つんだと目からうろこが落ちた。

 これからは大きな駄々っ子の母として強く生きていかなくては、と思う半面、もう年だからいつまで大きな子供の母が務まるだろうかと不安にもなる。どうか成長してくださいね、駄々っ子さん。






 先日、会社の入社試験面接員を勤めた。社会、経済、政治など各部のデスククラスが3人1組になり、各組が30人近い受験者とやりとりした。1人約10分間。

 自分の判断が受験者の一生に何らかの影響を与えると思うと、こちらも緊張した。面接がすべて終わったら、ぐったりした。

 一所懸命な受験者を見ていて、23年前に面接員と向かい合っていた自分を思い出した。身上書の趣

味欄に書いた「国鉄主要駅の構内配線図の収集と分析」がよほど珍しかったようで、「これは何?」「一体、何が面白いよ?」と繰り返し尋ねられた。「駅の機能美と秩序美が詰まったものです」などと熱弁をふるったが、なかなか分かってもらえなかった。変った趣味と体力がありそうなことだけが印象に残っただろうと思う。

 15~34歳で仕事をせず、学生でもない「ニート」と呼ばれる若者が全国に52万人もいると言う。エネルギーがあるのに、打ち込むのがないのはもったいない。「毎日、わくわくしながら仕事をしたい」と答えた受験者が頼もしく見えた。







 「たっくんのはウルトラマンで、まさとはアンパンマンなんだよ」3歳になる息子が保育園から帰ってくるなり、不満そうにこう叫んだ。保育園に持っていくかばんの模様のことである。お母さんたちはわが子のかばんに最近流行りのアニメキャラクターを刺繍いているのだ。一方、うちの子のは、スーパーで買ってきた無地のデニムで申し訳ほど程度に汽車のアップリケがすみっこにしてあるだけのものだ。それが気に入らないらしい、「いいじゃない。これ、かっこいいよ」といいながら、ふと幼い頃の記憶がよみがえった。

 母は手先が器用で、服やかばんによく刺繍をしてくれた。「今度はウサギさん」「私のはお姫様。」妹と競って頼むと「はい、はい」とほほえみ、2,3日後には出来上がっていた。それらの作品を学校に持っていくのが子供心に誇らしかったことを思い出し、自分で作ってみることにした。

 あの器用な母から、なぜこんなに不器用な娘が生まれたのかと思えるほどへたくそで今まで手芸はできるだけ避けてきたが、「息子のためだ、いっちょ頑張るか」と材料をかってきたものの、作業は遅遅として進まず、何度もやり直しをする私を見て、夫が「買ってきたほうがいいんじゃないか」と不安げな様子。何度か挫折しかけたが、2週間後、ついに完成した、う~ん、ちょっと、コオロギみたいだけど、ウルトラマンに見えるよね…。










 今朝、娘に「実は二人に会ってほしい人がいるの。日曜日に家に連れてくるから、お父さんにも言っておいてね」と言われて驚いた。そういえば、夜遅くメールを交換したり、仕事が休みの日も楽しそうに出かけていたが、一体どんな相手なんだろう。娘の伝言を聞いたら、夫はどんな顔をするだろうか。









 小心な私は、外国の

ホテルに泊まると、必ず入口の電灯だけつけて眠る。緊急の脱出の時慌てなく済むだろう、という計算と、これで眠っている間に泥棒に入らなくて済むからである。恐らくホテルの従業員の仕事だと思われる忍び込みは、入口の電灯がついていると、中の宿泊人はひょっとして起きているかもしれないと思うだけで気持ちが悪いらしく、私の同行者が軒並み枕探し「注1」の被害者に遭った時も、私の部屋だけは無事だった






 日本の青年は、親の家に居室を確保するだけではない。国立社会保障?人口問題研究所「家庭動向調査」(1998年)によれば、女性の7割以上、男性の5割以上が身の回りの世話(食事?洗濯?入浴など)を、また女性の4割、男性の3割が親から経済的支援を受けている。子にとっては、経済的負担を免れつつ、何くれとなく世話を受けられ、親にとっては、同居によって寂しさを免れ、精神的な充実感が得られるというから、双方に利点が大きいのである。





 私の父は子供を子供扱いせず、常に一人の人間として接した。今、こうして家族で食卓を囲んでいるといつも思い出す光景がある。

 私が小学校2年、兄が4年の時だった。みんながその日あった出来事をワイワイ話しながら父を囲んで食事をしていた。私が学校帰りに犬の糞を踏んでしまったと言う話をしたら、兄が負けじと「僕はもっと大きなのを踏んだことがある」と対抗してきて、その色や形などで話が盛り上がった。と、突然父が私に怒鳴った。

 「①人が機嫌よく食べているときに、そんな話をするな」
 「何で僕だけ怒られるんだ。お兄ちゃんだって???」
 と言いかけると、「②人のことは放っておけ」と、また叱られた。

 単に子供の話と考えれば、何でもないことだが、父は食事時の話題ではないと戒めかったのだろう。今になって分かることだ。 

 さて、私はというと、わが子に対し「まだ子供なんだからいいじゃないか」と甘やかし、未だに父のように接することができないでいる。







 リンゴと銀貨を見せれば,今は銀貨を欲しがる子供が多いだろう。多くのものを買い与えられ、小遣いももらい、お金の価値を知っているからだ。子供向け商品の市場も、塾などの教育産業も、大きくなるばかりである。売り込む側は子供を一人前の消費者としてちやほやし、「小さな大人」と見る風潮も広がっている。

 かつては、大人が知っていることをまだ知らないのが子供で

ある、と言うことができた。だが、テレビやインターネットのおかげで、今の子供は大人と同じ情報をたやすく手にする。

 しかし、子供が保護を必要とし、学ぶことを保証されるのは、未熟だからにほかならない。子供を守り、きちんと育てるために、大人との境界をもう一度はっきりさせる必要がある






 これまで38年の人生で、私は十回以上、葬式に出た。そのうち六回は遺体を見た。それは眠っているようにも、作り物のようにも見えた。

 現在の地球上の人間の数は50億だか60億だか。そのすべてはやがて死ぬ。これまですでに死んだ肉体の数は2,000億と言うようなことをどこかで読んだ覚えがある。

 当たり前だけど、いま生きている人より、もう死んだ人の数のほうがずっと多い。これに死んだ動物や植物などありとあらゆる生物の死骸を加えると、地球上は死体だらけになる。死んだ肉は、腐って土になったり焼かれて灰になったり食われたりして、地球に還元される。つまり、地球は死体できている。私は死体が変質した土の上に生き、死体が変身した生物を食べて生きている。死者に囲まれ、死者と共存しているのである。






 「金さえ払えば入れる大学」は確かに常識人にとっては嫌な感じがするだろう。しかし、「金さえ払えば入れる大学」を卒業したからと言って、果たして就職させてくれる会社があるだろうか。答えは否であろう。なぜなら、現代の日本では、会社は受験勉強を勝ち抜いた能力を評価するのであって、勉強せずにいれる大学を卒業する能力は評価しないからである。従って、金権大学を出ても何の役にも立たない。だからこそ「金さえ払えば入れる大学」は存在しないのであって、人々の論理観が金権大学の存在を拒否するからではない。カリに人々の論理観が拒否したとしても、その種の大学の卒業者を大卒として評価して受け入れる会社があれば、その種の大学を経営しようとする者が現れるだろう。

 こういう理屈を並べるのが経済学である。経済学にはこのように、常識ある人の論理観を逆なでするようなところがある。だから経済学は嫌われるのかもしれない。





 病気をビョ-キとカタカナで表記するのが流行った時代があった。この場合、ビョーキとは本格的な身体疾患ではなくて、常識では理解できない行動や趣味のことを指している。「彼のあのワインへののめりこみ方、ほとんどビョーキだよね」などと使う。それほど

突出している、特別である、という若干の尊敬も含まれていたと思う。

 今では「病気なんだよ」と言ったとき、かつてのビョーキを連想する人はまずいない。若者であっても、「どこか悪いんですか」と心配してくれるだろう。「ビョーキだから」と軽く茶化すことで病気が持っている深刻さを少しでも薄めよう、とする人はいなくなったのだろうか。健康幻想が広まる中、とにかく病気は悪くてネガティブなもの、と言う考えが広まっているのかもしれない。或いは、ビョーキと言われてまで個性的でいるのはいや、と思う若者が増えているとも考えられる。



携帯なんか、嫌いだ、と私は思う。いったいぜんたい、誰がこんな不便なものを発
明したのだろう。どんな場所、どんな状況にあっても、かなりな高率で受けることのできる電話なんて、恋愛―うまくいっている恋愛も、うまくいっていない恋愛も -にとっては、害悪以外のなにものでもない。

 ヒトミちゃん、なに悲観的なお婆さんみたいなこと言ってるの、とマサヨさんに言われそうなことを、私はひがないちにち、考えている。タケオはもう五日も電話に出てくれない。ここ一日二日は、わたしはむしろ、タケオが電話に出てしまったらどうしようかという恐怖心をいだいている。






 学校に通うことの意味で一番大切なのは、けっして知識を得ることではなく、知恵を得ることだと思います。どういう知恵かと言うと、人生に必要と考えられる知恵です。その中でも一番大切なのが勉強の知恵、学習の知恵なのです。新しい情報をどうやって手に入れるのか、新しいことをどうやって学ぶのか、今までできなかったことがどうやったらできるようになるのか、その過程を学校に通うことによって覚えて、変化していく世界の中で日々応用できるようにする。これが勉強に知恵です。知識と言うものは変るのです。地理を考えたとしたら、いま70歳のおじいさんが50年前に学んだ地理といまの地理はさま変わりしています。以前、たくさんの油田があったところからはもう石油が出なくなったり、国が解体したり、逆に合併したり、世界の状況はどんどん変っていきます。日本語だって変化していて、当用漢字が常用漢字になったり、漢字が略字になったり、あまり使われなくなってかわりにひらがなを用いたり、外来語がたくさん入ったりしています。50年前に死んだ人が突然この世に再生してきたら、一日目は日本

語でニュースを聞いても分からないことだらけだと思います。そういう意味では、直接の知識ではなく、勉強の知恵が一番大切です。






 日本とほかのアジアの国々との「距離感」が変容しているのではないか、しばしばそう思うことがある。特に二十代?三十代の日本人と話していると、アジアに出かけることと、日本国内の見知らぬ土地へ行くこととの感覚的な違いが,殆ど見出せない。私は、アジアで出会う日本人たちに必ずカルチャー?ショックについて尋ねることにしていたが、「一番びっくりしたのは、カルチャー?ショックが全然なかったと言うことなんです」といった答えの多さに、かえってこちらのほうがカルチャー.ショックに似たものを感じるほどだった。

 韓国や台湾に住む日本人は、冗談めかしてこんなことを言う。

 「ここから日本までの飛行時間よりも、成田空港から実家までの時間のほうがよっほどかかりますよ」

 こうした距離感の短縮は、文化的距離感の「短縮」に直接結びついている。私見だが、徒歩や船での移動しか知らない歴史をごく最近まで生きてきた人類には、移動の速度の急激な変化に伴う感覚のずれが、無自覚のうちに生じているのではないか。






 数年前のことです。私がちょうど60歳を超えたころのことでした。近所の公園でたまたま出会った女の子と目が合い、思わずニコッと笑いかけてしまいました。すると、その子の顔が一度に花開いたようにほころび、これ以上ない微笑みが返ってきたのです。

 その時の至福の感情を何とあらわしたらよいでしょうか。

 そもそも私は、子供と言うものがあまり好きではありませんでした。どちらかと言うと嫌いな方だったといってもいいでしょう。ときに意味不明なことをいう子供、ときに残酷なことをしたりいったりする子供、…それが何となくうっとうしかったのです。

 それで子供とみればいつの間にか敬遠していたのですが、この公園での一件いらい、( ① )ようになってしまったのです。

 



 京都市に本部を置く(財)日本漢字能力検定協会が実施している漢字の書き取り検定試験、いわゆる「漢検」が大変な人気のようだ。つい数年前までは、へぇ、そんな試験があるのか、小学校の国語の授業じゃあるまいし、いったいどんな奇特な人が、お金を払ってまで、それも休みの日に指定された会場までわざわざ出かけて漢字の書き取り試験なんかを

受けるんだろう…という印象で私はとらえていたのだが、しかしその「奇特な人」が、さがせば身の回りにもずいぶんたくさんいた。

 つい先日のことだが、それほど奇特とも思えないわが息子(小六)もかよっている塾でなかば強制的にこの試験を受けさせられ、それでも晴れて六級とやらの免状をいただいてきた。受験前はなにかとぶつぶつ言っていた息子だが、免状をもらえるのは子供でもやはり嬉しいことなのだろう、( ① )。





 片山恭一さんのベストセラー「世界の中心で、愛を叫ぶ」に作品の主題にかかわる恋人同士の会話がある。「どっちが幸福なのかしらね。好きな人と一緒に暮らすことと、別な人と暮らしながら好きな人のことを思い続けることと」と女。「そりゃあ一緒に暮らす方だろう」と男。「でも、一緒に居ると、その人の嫌なところも目にするじゃない。つまらないことで喧嘩したり。そういうことが毎日積み重なっていくと…」

 灯台職員の夫婦を描いた映画「喜びも悲しみも歳歳月」のモデルになった夫妻を、8年前に福島県いわき市の自宅に訪ねたことがある。約束の時間に着き、呼び鈴を鳴らそうとして玄関前で立ちすくんでしまった。中から男女の怒鳴り声が聞こえてきたからである。夫婦愛の美談の取材が始まったのだが。夫妻は映画の物語同様に寄り添い、妻が先に87歳で、夫は92歳でなくなられた。

 冒頭の問いの答えは明らかだろう。増殖中の悲恋小説の素材にはなりにくいけれども。





 学生時代には時間が有り余ってどう暇をつぶそうかと悩むこともあるでしょうから、時間は有り余っていると思う人もいるかもしれません。でも人生80年とすると、一生は70万時間しかないと言うことになります。天地悠久の時間の流れの中で、この世に生を受けてからの70万時間というのは、ほんの一瞬のことでしょう。その限られた70万時間を使ってどういう人生を全うするかということ、これは私たち一人一人にとって大問題です。私たちは、この70万時間の使い方をめぐって、人生いかに生くべきかと悩むのです。

 なぜ悩むのでしょうか。それは私たちに無限の生命が与えられていないからです。もし私たちが永遠の青春を楽しむことができるのであれば、人生は何度でもやり直しがききますので、いかに生くべきかといったことは問題にもならないでしょう。思い通り好きなように生きて、間違えればやり直せばよいということになり

ます。しかし、( ① )。






 ドイツの精神分析医ミッチャ-リッヒは、現代人が抑圧しているのは、もはや“性”ではなくて、自分たちの深層に潜む“攻撃性”である、というが、たしかに現代人の不安は、自分の意図しない何か(その「何 」かはただ自分が他人と共存することや、生存することそれ自体である場合さえある)が自分の知らぬ間に、いつ、相手や他人を傷つけてしまうか、よいう不安であり、自分の意識しない(抑圧された)攻撃性に対する不安なのである。



 「話しても分からない」と言うことを大学で痛感した例があります。イギリスのBBC放送が制作した、ある夫婦の妊娠から出産までを詳細に追ったドキュメンタリー番組を、北理大学薬部の学生に見せたときのことです。

 薬学部というのは、女子が6割強と、女子の方が多い。そういう場で、この番組の感想を学生に求めた結果が、非常に面白かった。男子学生と女子学生とで、はっきり異なる反応が出たのです。

 ビデオを見た女子学生のほとんどは「大変勉強になりました。新しい発見がたくさんありました」という感想でした。一方、それに対して、男子学生は皆一様に「こんなことは既に保健の授業で知っているようなことばかりだ」という答え。同じものを見ても正反対といってもよいくらいの違いが出てきたのです。

 これは一体どういうことなのでしょうか。同じ大学の同じ学部ですから、少なくとも偏差値的な知的レベルに男女差は無い。だとしたら、どこからこの違いか生じるのか。

 その答えは、与えられた情報に対する姿勢の問題だ、ということです。要するに、男と言うものは「出産」ということについて実感を持ちたくない。だから同じビデオを見ても、自分が知りたくないことには( ① )ということです。

 つまり、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在しています。これも一種の「バカの壁」です。

 




 十数年の間、音沙汰のなかった知り合いが、突然、電話をかけて来たりすると、一瞬、私は身構える。その電話が、単に、懐かしいからとか、励ましてあげたいからという心優しい単純さによってかけられたのではないことが解ってしまうからだ。ある時に、私に出来る筈も無い仕事の依頼であったり、またある時は、何かの会を発足させるために名前を貸してくれと言う申し出であったりする。その

たびに、私は困惑する。私は十二年間、小説を書いて生計を立てている。私に出来るのは、原稿用紙に字を書き綴ることだけだが、それは、ある種の人々に誤解を与えている。書く人は話も出来ると思っているのか、講演などを頼んだりする。私の小説にしか意味を持たない名前が、有効活用出来ると思う人もいるのを知ると、気恥ずかしさのあまりに頬が熱くなって来る。そういう人々は、たいてい、御活躍、拝見していますよ、と言うことになっている。拝見ったって、私の本を読んでいるふうでもないし、だいたいなにを見るのだろう。本屋に並んでいる私の本の表紙でも見るのだろうか。本当にそれを伝えたいのなら、十二年、間を置くことも無い。と、思っていると、別の用件を切り出す。やっぱりね、とこちらが思っているのには気がつかないようだ。しかし、こういう解りやすい理由で電話をかけて来る人々には、こちらも解りやすい対処の仕様がある。

 


少年がその男と出会ったのは春の暖かい日だった。

 都会に住む少年は、待ちかねた春休みの最初の日、仲のいい二人の友達とダム湖に釣りにやってきたのだ。

 そのダム湖には大きなブラックバスと、ブルーギルという力の強い外国産の魚がいた。

 少年達は期待に胸をふくらませ、静かな湖面に長い竿を振った。

 男はいつものように、犬をカヌーに乗せて、湖をわたってきた。サムライのような口髭をはやし、カヌーの上で背中をぴんとのばして、遠くから少年たちの竿の先をこし眺めていた。

 「どうだ。釣れるか?」

 やがて男が言った。

 「まだだめだ。はじめたばかりだから??? 」

 「一回りしてくる。その間もし何か釣れていたら、もっといいポイントを教えてあげよう 」

 男はなんだかすこし不思議なことを言って湖の沖に消えていった。

 男が一回りしてくる間に、少年達は二匹のブラックバスを釣った。小形だったが、いかにも肉食魚らしい獰猛な引きだった。

 少年達が二匹の獲物を誇らしげに見せたので、男は嬉しそうに笑った。

 「そうか。君たちはここにやってくる大人の釣り師たちよりも腕がいいぞ。そこはこのあたりで一番釣れないところなんだ。それじゃあもっと沢山釣れるところへ案内してやろう。このフネにのりな」

 男の乗っているカナヂィアン?カヌーは大人五人らくに乗れるものだった。

 ともにすわっている犬が立ち上がり「うっ」とひくい

声で唸った。

 「しずかにしてろ」

 男が言った。犬はまた腹這いにすわり、黙って用心深く少年たちを見つめた。

 「この犬は大丈夫だ。あとで釣ったブラックバスを一匹プレゼントしてくれれば大の仲よしになれるよ」

 少年たちはお互いに顔を見合わせ、それから( ① )。









 今朝、国の恋人から夏休みに日本に遊びに来るという連絡をもらった。恋人は僕が日本に来てからずっとさびしがっていた。だから、今日の声はいつになく弾んでいた。僕も学校で苦しいときや嫌なことがあった時は、恋人からの電話やメールで励ましてもらったりしていた。私にしても1年ぶりの再会がうれしくないはずはない。自然に顔もほころぶ。だが、学校ではいつもと同じように、普通にしていようと思った。

 表面には、まじめな顔をしていたつもりだったが、クラスメートに「今日は何かあるの?」と聞かれた。やはり、気持ちというのは隠しても、つい顔に出てしまうものなんだな






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