読解文
新编日语第二册读解文翻译(重排版)

新编日语第二册读解文翻译(重排版)新编日语第二册读解文翻译第一课新学期读解文访问本间久别之后,这次我又拜访了留学生本间。
在拜访之前,我先给他打了一个。
留学生宿舍在大学附近。
在他房间的阳台上放着许多花盆,所以我一下子就找到了。
本间的房间有两个。
-一个房间里放着桌子、椅子、柜子等。
柜子里放有餐具。
窗上挂着窗帘。
见在窗关着。
天气好的日子可以从这窗户看到市的电视塔。
另一个房间里,放着床以及书架等。
书架上摆着很多书,主要是中国的政治、经济、历史方面的书,但也有一些小说。
桌子上全是笔以及稿纸。
本间好像正在写研究报告。
我说:「不要紧吗?还是先做功课为好啊,今天我就马上回去吧。
」可是,本间挽留我说:「没关系,已经差不多写好了。
」之后,本间津津有味地谈起他的学习情况和留学生活。
第二课春季大减价读解文日本的商店在日本,有各色各样的零售店、百货商店、超市、二十四小时营业的日夜商店等等。
各种商店的商品标价不同。
而且在同一商店,价格有时也会变化。
但是,标出的价格一般不可以还价。
在商店购物时,会给发票或收据。
发票必须保存。
当金额发生差错,以及退货或换货时,发票可以作为证明。
写着「特壳日」[大安壳り」「减价」「买得」「割引」等等的字,是降价出售的标志。
但是,是否真正便宜必须好好确认。
有时候虽然写着是减价,但商品却是旧的、坏的、或者质量不好的,所以必须注意。
第三课疾病读解文各种疾病肚子疼、头疼、身体乏力、发烧、咳嗽等等都是生病的信号。
疾病在夏天和冬天的种类有所不同。
天气炎热时,腹泻的人会增加。
这是因为身体的功能减弱,食物又容易变质的缘故。
自由有句话说,“病从口入”,这是千真万确的。
炎热季节的疾病中最可怕的是霍乱、伤寒、菌痢那样的传染病。
这些病菌常常沾在食物或手上,再从嘴进入体。
寒冷季节较多的疾病是感冒。
感冒有时因轻度而对付过去,所以有些人不太放在心上,但这是错误的。
第四课请客读解文饮食生活饮食生活跟风土以及生活水平、生活方式有着密切的关系。
2002年日语专业四级考试 「読解」译文

2002年日语专业四级考试「読解」译文Ⅲ.読解五、译文【文章1】译文:说起哲学家,往往给人一种感觉:总是坐在安静的书房里思考着什么难题。
但是,古希腊的哲学家们却全都是些充满人情味的独特人物。
希腊哲学鼻祖苏格拉底,又以“惧内”而闻名。
但是,他似乎并不以此为耻,反而故意说出“有好妻者即会成为幸福者,有恶妻者即会成为哲学家”这种滑稽的言辞。
其弟子柏拉图,又以擅长运动而知名。
原本“柏拉图”这一名字就是一个绰号,意为身体硕大的家伙。
柏拉图可不是一般的身体强壮,他甚至在当时的大型比赛中获得过摔跤冠军。
【文章2】译文:不知道就老老实实地说不知道,如果努力地去了解,信息的积累就会如同孩提时代一样迅速地增长下去。
但是,就因为说不出“我不知道”这句话,本来应该增加的信息就得不到增加了。
自古以来就有“求教乃一时之羞,不问乃一世之耻”这样一句谚语。
或许说出“我不知道”这句话很丢脸,但是虽然不知道却俨然一副知道的样子,其结果必然是活过一世却依然还是不知道。
阻止自己的好奇心,不能明确地说出“我不知道”,即感觉那样很丢脸,有这样的想法就说明你已经确立了相应的自我意识。
因此,不能一概而论地说那样就不好。
只不过,压抑内心的求知欲且佯装知道,并且将此作为自己人生的生活方式,这是很不好的。
【文章3】译文:我刚上小学的某一天,教导主任对肩背崭新书包的学生们说:“如果谁六年都能一直使用背包的话,我会给他发奖品”。
大概到了三年级,背背包的身影急剧减少。
因为开始流行时髦的手提书包了。
我也很想要个手提书包,不过多亏不轻易给买我的父母和教导主任讲过的话,我一直肩背着书包这么过来了。
于是到了毕业典礼。
六年间,只有我一个人一直肩背书包。
心里想着如果有奖品的话……,我的心扑通扑通直跳,但是什么事也没发生典礼就结束了。
只有我一个人还记着“奖品”这件事。
我无话可说。
自此,我每次看到背包,就会回忆起那虚幻的“奖品”。
【文章4】译文:在不腐烂食品的方便性与杀菌剂的危险性中,要说选择哪一个的话,我们希望至少吃的东西是100%安全的。
1993年日语能力考试2级读解文法

1993年日语能力考试2级读解文法読解.文法(200点70分)問題1次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
答えは、1、2、3、4から最も適当なものを一つ選びなさい。
この文章は、取材(記事などを書くために、人から話を聞くこと)について書かれたものです。
最も大切なことは、自分がその相手から聞くべきことを知っておくことである。
これはあまりにも当たり前のことで、人に話を聞こうとする場合の当然の前提だから、とりたてて注意を払うべきことではないと思われるかもしれない。
しかし、私にいわせれば、これ以上に本質的に大切なことは何もなく、あとは大部分が鎖末な(注1)テクニック論である。
「問題を正しくたてられたら、答えを半分見い出したも同然。
」とよくいわれる。
これはまったく( ①)。
同様に、聞き取りに際しても、聞くべきことがわかっていれば、半分聞き出したも同然なのである。
最近私は、人に取材するばかりでなく、人から取材されることも結構多くなった。
②それでわかったことは、自分で何を聞くべきかが充分わかっていないで人にものを聞く人間がいかに多いかである。
「いかがですか?」「ご感想をちょっと……」と水を向ける(注2)だけで、相手が何かまとまりのあることを当然にしゃべってくれるものだと思い込んでいるおめでたいジャーナリストがあまりにも多いのだ。
まるで③こちらがラジオかテレビのような機械で、「きっかけの一言」というスイッチを入れると、あとは自動的に番組が流れ出てくるものとでも思っているかのようだ。
こういう人が多くなったのも、④テレビの悪影響だろうと思う。
テレビのインタビユーというと、実際、一言水を向けるだけで、べらべらまくしたてる人が大部分なのだ。
世の中にはしゃべりたがりの人が多いのも現実だが、テレビの場合は、編集をしたり、事前の打ち合わせをしたりしているから、しゃべたがりでない人もしゃべりたがりのように見えてしまう。
私にしても、ほんとは非常に無口の人間なのだが、テレビを通してしか知らない人はよくしゃべる男と思っていることだろう。
2006年日语专业四级考试 「読解」译文

2006年日语专业四级考试「読解」译文Ⅲ.読解四、译文译文:我觉得她冲刺完就会崩溃。
可是如此痛苦的高桥尚子冲刺后,表情坦然,甚至露出了笑脸,真令人惊叹。
虽说她在昨天的东京女子马拉松赛中败北,但她毕竟不是位普通的赛跑选手。
“腿都跑直了”,这是高桥说过的话。
我们在筋疲力尽的时候也说“腿直了”。
腿会不听人的使唤,但即使这样有时也不得不硬拖着腿走下去。
高桥在快到30公里处,好像突然“直了”。
不过即使那样她也坚持跑完了全程。
在奥运女子马拉松赛中连续获得奖牌的有森裕子就“人类的能力不可思议”这点说过下面一番话。
她说:“跑着跑着我感觉已是极限了,但是继续跑的话‘极限将会不断延伸下去’,突破以往经历过的极限延伸下去。
”(《我的革命》,岩波书店)。
也会有相反的情况。
平时练习充分,身体状况也很好,从以往经历来看应该没有任何问题。
但是,不知哪里就会突然出现异常状况。
这也是“人类能力的不可思议”之处。
体育运动员们总是在不知会在哪里摔倒的边界线上奔跑着。
决定退役的横纲武藏丸的体重约为高桥的五倍。
在狭窄的土台比赛场上争取瞬间胜利的相扑,他们的重量就是强有力的武器。
但是,一旦失去平衡,重量就会成为很大的负担。
武藏丸“呆若木鸡”使不出力气的情形在不断增加。
感觉到极限的武藏丸就要离开,而高桥仍然会继续挑战她的极限。
五、译文【文章1】译文:听说自家孩子入学考试的结果明天公布。
之前的那个晚上,一定是作为父母这一生中最不平静而又痛苦的夜晚之一。
那已经是数十年前我参加中学入学考试时的事了。
在公布结果的那天早晨,父亲对我说了这样的话:“你今天要是落榜了,我就给你买你一直想要的照相机。
”虽然听上去父亲是心血来潮的口气,可这样一来我却觉得很不自在,心里还想就别跟我阴阳怪气的啦。
我当时以为父亲大概认为我落榜才好呢。
切身体会那时父亲的心情,是几十年后的时候。
这次是我的孩子参加入学考试。
【文章2】译文:我住的医院是“完全看护制”。
即使是父母,探视时间也被规定为三点到七点。
2007年日语专业四级考试 「読解」译文

2007年日语专业四级考试「読解」译文Ⅲ.読解四、译文译文:我很喜欢在山中漫步。
不管四季如何变换我总是和祖父一起享受着登山的乐趣。
因为,当你大汗淋漓终于到达山顶时,那种成就感是无法言喻的。
听祖父说,过去,山里的树上结满了红色和黄色的山草莓和山葡萄,仿佛一座宝山一般,可以说那又是一种截然不同的乐趣。
如今,这些树都被砍去,山上变成了杉树林。
因为杉树能卖钱。
可随着时间的流逝,这片杉树林中荒芜的林子也多了起来。
另外,在山中漫步的另一乐趣,便是可以听见鸟儿们的悦耳鸣啭以及振翅的声响,还能发现黄鼬、狸猫等小动物的足迹。
可是,人类的文明极大地破坏了这些动物的生态环境。
每次听到熊下山进入村庄被射杀,都市里的乌鸦灾害越发严重的消息时,我不禁会想:这正是不能说话的动物向我们的人本位文明出示的黄牌警告。
而且,在山中散步的时候,有时会看见不能被自然降解的垃圾——塑料瓶、超市塑料袋等垃圾被扔在地上。
自己的垃圾自不必说,就连落在地上的垃圾,我也总是尽量将它们都捡起来带回去。
山上的土地和绿色植被,它们既可以成为动物们的住处,也能够替我们抵御洪水,还可以为我们的生活提供必需品。
而且,森林能孕育海洋中的浮游生物。
谚语说:“只见树木,不见森林”,人们只顾眼前的方便和人类利益,却在不断失去与人类性命攸关的最宝贵的东西。
思考环境问题的时候,我们人类绝不能忘记的是:我们一直都在从山这一大自然中获取极大的、无可替代的馈赠。
五、译文【文章1】译文:比起下游来,毫无例外地谁都更在意上游。
因为上游一旦被污染、被搞乱的话,水及食物等就会很难吃、不安全,生活的乐趣会减少,身体更容易受到伤害。
而比起上游来人们对下游的关心可以说少得几乎为零。
只要把放在眼前觉得碍眼的东西放到看不见的、很远的地方,人们就会把它的存在完全抛之脑后。
就拿开私家车的人来说吧,他们开着车向心情愉快的行人和骑自行车的人喷出汽车尾气,可他们几乎没人会意识到这一点。
这类情况就是对下游漠不关心的典型例子。
超级日本语考试1级读解文法

读解文法阅读部分問題1秋に入ると学校では、読書週間という奇妙な週がやってくる。
普段は図書館に足を踏み入れもしない子どもたちが、みんな指定の図書を探して、嫌々やってくるのを僕は不思議に眺めていた。
読みたくない本を読んで感想文をかけ、と先生から指令がくだるのだ。
先生に言われなくても、僕は昔からほんの足だった、読書週間の標語を読むと、「読書は世界の見える窓」「本は心の栄養」などと利益を謳った文句が並んでる。
先生は、読書をする子はよい子で、頭がよくなると自信を持って勧めていた。
頭をよくするのは教育者の仕事だ。
その義務を忘れて本に子どもを教育してもらおうとするのは怠惰な職務放棄にすぎない。
僕は一発でこの先生の能力を疑った。
僕は所謂アタマのいい子だった。
子供のしがちな無茶なことはせず,大人の命令に逆らわない従順な児童だった。
教室の壁には誰が何冊本を読んだか、という営業マンのようなグラフが作成され、能力を競っていたように思う、馬鹿馬鹿しいと笑っていると白羽の矢が僕に刺さった。
「彼は本を読むから成績がいいんです!」先生は僕を象徴して読書を推進しようとしている。
それは大きな間違い。
僕の成績がよかったのは普段真面目に授業を聞いているからだし、きちんと家で勉強していたからだ。
他の小学生はのびのびと育っていて、誰も勉強などしないから、差がでるのは当然のことだった。
読書をすれば賢くなるという幻想は、どうして出来上がったのだろうか。
僕はその読解の根源を子供たちに見た。
いつも図書館現れない子供は無理に広げた本を前に煩悶しているではないか。
これはほとんど拷問に近いものがある。
(③)彼らは勉強の姿勢で本を読んでいるのだ。
こんな読み方では楽しくないだろう。
本の楽しみとは、ここではないどこかに飛んでいける冒険につきる。
旅行の楽しみと読書は近いものがある。
僕は本で冒険をし、知らない世界に旅をした。
(中略)人は誰もが「もうひとつの世界」を夢みる。
2006年日语能力考试1级读解文法

2006年日语能力考试1级读解文法読解・文法(200点90分)問題Ⅰ次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
答えは、1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。
小説が人間の生きる現実の上に成リ立つものである以上、その生と死を絶対的に縛る<時間>から解き放たれることはあり得ない。
というよリ、より広大な、より豊潤な<空間>に向けて飛び立ち、漂い出すことを夢みながら、常に腰につけた<時間>の皮肉な命綱によってその世界を守られ、限られ、狭められているのが、小説なるものの運命なのではあるまいか。
(中略)小説がそのように<時間>に固く結ぴつけられているとはいっても、小説の中で生きて動いているのは日めくりカレンダーや柱時計ではなく、登場人物としての人間達である。
(注1)もとより、現実生活においても<時間>が見えるわけではない。
見えない<時間>をなんとか目に映るものにしようと努力して、人間は暦や時計を生んで来たのだろう。
( ①)、小説の中で時の(注2)推移を見えるものとするのは、暦や時計それ自身ではなく、溜息をつきながら暦をめくり、不安げな表情で壁の時計を見あげる、あれこれの人物達に他ならない。
(注3)極言すれば、ここでは人間そのものが、ある意味では暦であり時計であるともいえる。
とはいっても、人間を単なる<時間>の(注4)函数として考えようとするのではない。
むしろ、②人間の存在とは、そのままごく自然に<時間>の表現でもあるという一事を述べたかったに過ぎない。
たとえば、こんなことがあるだろう。
---1軒の家で暮す一つの家族を描く時、幼い子供達がいる。
その父親ヒ母親がいる。
この親子は時間の(注5)連鎖の中で生れて来たものである。
つまリ、父親となる男性と母観となる女性がいたから、はしめて子供達が生れて来たわけである。
よくいわれるところの核家族とはこの2世代によって構成される家族のことだ。
そこでは、いわば③原因と結果が最短距離で向き合い、最小単位の家族を構成しているといえる。
新编日语第一册前文と読解文

前文と読解文第二課初めまして前文初めまして。
私は魯です。
私は日本語科の一年です。
よろしくお願いします。
これは私の荷物です。
これは服です。
それも服です。
あれは本です。
第三課部屋前文魯さんの部屋は二階にあります。
部屋に机や椅子などがあります。
机が三つあります。
椅子が六つあります。
ベッドが四つあります。
部屋にパソコンもあります。
テレビはありません。
テレビは学生のクラブにあります。
トイレは二階にあります。
浴室は一階にあります。
第四課大学前文このあたりは学園都市です。
学園都市には色々な大学があります。
キャンパスは皆新しいです。
ここはわたしたちの大学です。
この高い建物は図書館です。
その建物は閲覧室です。
あの建物は大学のゲストハウスです。
学生は朝は教室にいます。
午後は閲覧室にいます。
夜は寮にいます。
大学には広場には池があります。
池の中にきれいな金魚がいます。
学園都市には地下鉄の駅があります。
交通はとても便利です。
第五課上海のまち前文魯さんは、無錫の人です。
李さんは上海の人です。
今日は国慶節です。
とてもよい天気です。
そこで、李さんと魯さんは外灘へ行きます。
外灘は黄浦江の西にあります。
その英語名はバンドです。
外灘はエキゾチックなところです。
そこには外国の古い建物が沢山あります。
外灘の向こう側浦東です。
黄浦江の東にあります。
そこには現代の新しい建物が沢山あります。
外灘の歴史文化と浦東の現代風景のコントラストはなかなか良いです。
第六課大学の生活前文李さんは毎朝、六時に起きます。
朝、よく運動場へ行きます。
運動場でバスケットボールやラジオ体操などをします。
それから日本語の朗読をします。
李さんは毎朝、七時半ごろ学生の食堂で朝ご飯を食べます。
朝ご飯は、うどんや肉まんじゅうを食べます。
彼はあまりパンを食べません。
そして、七時四十分ごろ自転車で教室へ行きます。
李さんは毎晩、七時から九時半まで勉強します。
十時ごろ寮へ帰ります。
大学から寮まで十分ぐらいかかります。
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2014.5.20(20)【110606-JLPT1】恋恋N1读解304人間というのはおもしろいもので、何かを制限されると、かえってソレがやりたくてたまらないというふうになったり、制限によって圧力が高まった欲求が、錯乱した方向に噴出しがちになったりする。
たとえそれによって自己評価が下がることになっても、である。
逆に、やるのもやらないのも、選ぶのも選ばないのも勝手。
その代わりを前が責任とるんだよ。
ということになると、自分自身に一番肯定感をもたらしてくれるものを、「」。
(宮台真司「社会のあり方決める選択肢与えぬ大人」「転位する思想」読売新聞1997.1.14より)【問】「」に入る適当なものはどれか。
1、むしろ吟味して選ぶようになる2、むしろ安易に選んでしまうようになる3、逆に誰かに与えてもらいたくなる4、逆に勝手に選んでしまうようになる【110605-JLPT1】恋恋N1读解303いつも私の考えていることであるが、小説と言うものは、事実をそのままに書くのではなくて、或いはほんの僅かなことがあって、そのほんの僅かなことを、伸ばしたり縮めたり膨らませたり、いかにもありそうなことに作り変える。
そういう作用をしながら書くのが、面白い方法だと思うものである。
小説と言うものは、こしらえて書くものだと思うのである。
【問】筆者は小説はどうやって書くものだと言っているか。
1、想像をもとにして、それをいかにも事実のように書くもの2、ほんの僅かなことを大きな事件のように変えて書くもの3、事実をそのとおりに、しかも面白く伝わるように書くもの4、事実をもとにして、それを作り変えて書くもの【110604-JLPT1】恋恋N1读解302匿名性の本質は,個人の行為に伴うリスクと責任がその個人に返されないことにある.行為の主体が隠されているので,責任を負わせることができない,あるいはリスクと責任を負いたくないために隠れて行動するという状況である.通常は個人が他者あるいは社会に対して取る行為には何らかのリスクと責任が伴っている.その行為が悪い影響を与えるリスクは常に存在し,その結果に対して責任を負う必要がある.「悪い影響」というのは影響を受ける側の捉え方であり,それによって仕返しを受けるリスクが影響を与えた側にある.「匿名性」の本質について,筆者はどのように述べているか.1.「匿名性」の行為は他人に悪い影響を与えた場合,責任を負う必要がある.2.個人の行為に伴う責任やリスクは「匿名性」によって,ある程度回避できる.3.他者あるいは社会に対して取る「匿名性」の行為は仕返しを受ける恐れがある.4.「匿名性」は「悪い影響」を受ける側のリスクを減少させることができる.1106**-JLPT1】恋恋N1读解301日本にやってきたフランス人が、五月五日は、なぜ、祭りなのか、と尋ねた。
「こどもの日です」と、私は答えた。
「私の国には、こんな、心優しい祭日はない」と、フランス人が、①ため息をもらした。
彼は、ある遊園地に行って、これはどういうところか、と質問した。
「こどもの国です」と、私は答えた。
「日本は、なんて子供を大切にする国だろう。
私の国には、こんな名前の遊園地を聞いたことがない」そのフランス人が、十年日本で暮らしてから、私に言った。
「日本の子供には、たった一日だけ、こどもの日があり、こどもの国しか、子供のための場所がないのですね」「どうも、②そうらしいです」と私は答えた。
「こどもの日」が来ると、私はそのことをいつも思い出すのである。
こどもの日がなくなり、三六五日を、子供が大人と共有することができればよい。
三六五日のうち、一日をお前のものだと子供に与え、猫の額ほどの土地を、子供たちに、お前たちのものだと与え、三六四日は、おれのものだとする大人、大部分の日本の土地から、子供を追い出した大人、空地には囲いがされ道路は自動車が子供を追い払う。
子供の遊び場は街にはなくなった。
私は、その大人の子供に対する負い目を、この日になると感じるのである。
(中略)都会の日常では、道路から、広場から、公園の芝生から、子供は追放される。
そして、子供の事故死が、空地の放置された冷蔵庫が原因だと報じられる。
また、大人の事故死で、孤児が生まれる。
これが、こどもの国を一歩出たところで起こっている日常なのである。
子供は、子供らしく、学生は学生らしく、娘は娘らしく、そうした、取り繕われたなんとなくまっとうに響く言葉の中で、限りなく差別されて、日本の子供は生活している。
そして、現在の子供は過保護を受けているという③神話が、皮肉にも、この日本で語られる。
過保護が存在しないとは言わない。
しかし過保護は、社会から子供が疎外されたために、個々の親が一人一人で、自分の子供を守ろうとするところから生まれた反動であるだけだ。
実際にあるのは過保護ではなく、こどもの対する過干渉だけ。
私はこどもの日が、一日だけ作られるときが来ればいいと思うが。
【問1】①「ため息」は、どのような気持ちを表すか。
1日本が羨ましいと思う気持ち2日本の子供がかわいそうだと思う気持ち3フランスに祭日は少なくて残念だという気持ち4フランスに「こどもの国」という遊園地がないのは残念だという気持ち【問2】②「そう」は、どんなことを表すか。
1日本には子供のための場所がひとつあるということ2日本には「こどもの日」が一日あるということ3日本は子供を大切しない国だということ4日本は子供を大切にする国だということ【問3】③「神話」という言葉は、この文章では、どのような意味で使われているか。
1都会の人が日常的に考えていること2うそのように思えるが、実は真実であること3古代の人が作り、現代までずっと伝えられている話4絶対に真実だと考えられているが、実は真実ではないこと【110530-JLPT1】恋恋N1读解299国を(注1)国たらしめる要素は何なのか、ということでは、伝統的に、領土、国民、統治権、これが国家の三要素だ、といわれてきた。
つまり、一定の土地とそこに住む人々、そしてその土地および人々に支配権をもつ統治権力、この三つがそろってはじめて国家は成り立つ、というわけである。
たしかに、このうちのどれ一つが欠けても国家は成り立たないから、そのかぎりでは、これが国家の三要素だというのは、まちがいではない。
しかし、一定の土地とそこに住む人々というのは、国家というものがなくても存在する。
いわば国家以前の存在である。
そこに国家が成立するのは、その土地および人々を支配する統治権力が現れることによって、である。
つまり、国家の三要素とされるもののなかでは、統治権こそが、国家を国家たらしめる本質的な要素なのである。
国家の本質は「権力」にあり、「権力」こそが国家の(注2)実体だ、ということである。
(注1)国たらしめる:国であるようにさせる(注2)実体:本質的な中身【問い】「そこに国家が成立するのは」とあるが、「そこ」とはどこか。
1、国家の三要素のうちのどれか一つだけが欠けているところ2、ある決まった範囲の土地とそこに住む人々が存在するところ3、一定の土地および人々を支配する統治権力が現れるところ4、領土、国民、統治権という国家の三要素がそろっているところ【110601-JLPT1】恋恋N1读解299みちたりた生活のなかで安らっている人には意識は生まれにくい。
いまもし始めから完全に自由な生活に浸っている人に向かって「自由の感」を、自由の意識を尋ねたとしたら、この人は返答に困るに違いない。
自由の意識は人間が一旦不自由になって、束縛の状態に身を置いて、初めて生まれてくるのであり、行動の自由の阻止を通して自由とは何かを知ったのである。
まして幽閉の身のように生活行動が完全に奪われた状態となれば、人はうすぐらい石牢のなかでありとあらゆることを頭に描き夢見るに違いない。
意識だけで生きている身となるに違いない。
そこで次のような原理が理解できる。
――「意識が行動が止められ、生活が妨げられて発生するものである」。
(島崎敏樹「感情の世界」岩波書店より)【問】「この人は返答に困るに違いない」とあるが、それはなぜか。
1、人間の行動や意識についての原理が理解できないから2、幽閉の身になって石牢の中で生活したことがないから3、不自由を経験したことがないため自由の感がわからないから4、自由についていろいろと考えたのは夢の中のことにすぎないから【110529-JLPT1】恋恋N1读解298ある日、ぼくの話し相手をつとめていたSさんが何気なくぼくにこういった。
「あなたは、知らないって言えないひとなんですね。
」この「ことば」はまさにぼくにとって大きなショックだった。
Sさんから尋ねられれば、ともかくもありったけの知識を総動員してなんとか答えようとする姿を見て、Sさんは何気なく言ったのかもしれない。
にもかかわらず、この一言は、自分というものを、あるいは自分の「ことば」というものを考え直すきっかけを与えてくれたように思う。
知らなければ、知らないと答えればいい。
こんな簡単な、ある意味では平凡なことをとらえ直すことで、ぼくは、自分の「ことば」というものが、「語る」ということだけに向けられてしまい、自分が相手との関係を優関係のなかでしか受け取れなくなっていることに気付いたのだと言っていい。
(中略)人の話を「聞く」力を持たなければ、「話す」力も生まれてはこないに違いない。
【問】「大きなショックだった」とあるが、それはなぜか。
1、今まで自分が考えてもいなかった自分の言葉の使い方について指摘されたから2、Sさんと話すにはすべての知識を総動員しなければならないから3、自分の「ことば」が相手に全然伝わらないことがわかったから4、尊敬しているSさんが平凡なことしか言えない人だとわかったから【110528-JLPT1】恋恋N1读解297列車の方向を変える転轍機というものがある.これまで走ってきた道をまったく別の方向に行くためのものだ.会話でこの転轍機を頻繁に使う人がいる.それも,これまで走ってきた道をまったく無視して一方的に変えていく.会話の進む方向がはっきりしている場合,この転轍機の使用は気分転換になるが,いつのまにかあまり遠くに行き過ぎて,自分たちがどこにいるのか,この会話はどこに向って進んでいるのかわからず迷子になってしまう場合もある.プライベートなら実害はないが,半フォマールな場であまり頻繁にこれをやられると,二度と話したくないという気分になってしまう.「でも」という言葉は,相手のそれまでの变述を一応肯定しながら,改めて相反することを述べるときに使う接続詞だ.本来の意味で使われるときには,それも立派なレスポンスだ.ところが最近はまったくの脈絡のない話を「でも」という言葉で続ける人が増えた.あるいは,「でも」といっているわりに相手と同じことを繰り返しているにすぎない場合もよくある.これには腹が立つ.具体的な例が,「てゆうか」「でもね」「いや,話は変わるんだけど」といった言葉だ.これらの言葉を頻繁に使う人と話していると,非常にストレスを感じる.これまで私が話していたことは何だったんだろうという空しい気分になってしまう.「会話でこの転轍機を頻繁に使う人がいる」とあるが,会話の転轍機について,筆者はどのように述べるいるか.1.気分転換としてプライベートな場合は別だが,正式な場合に使ってはいけない.2.会話が本題から外れた場合,転轍機を使って元の話題に戻す必要がある.3.転轍機を使って話題を変えるのは気分転換になるが,頻繁に使うのはよくない.4.会話が進行している途中で転轍機を使うと元の話題が分からなくなってしまう.「これには腹が立つ」とあるが,筆者は何について腹が立つのか.1.「でも」という言葉を使って,相手の話を否定する行為.2.中身のない内容だが,わざと「でも」を使って自己主張をすること.3.言いたいことがはっきりせずに,「でも」という言葉を繰り返す行為.4.「でも」を使って相手の話を切ったのに,脈絡のある返事ができないこと.筆者がここで最も言いたいことは何か.1.コミュニケーションをするとき,むやみに話し手の話を遮断するのは失礼なことだ.2.お互いにストレスを感じない会話術として,話し手の話題をむやみに変えないことが大切だ.3.会話の途中で「でも」という言葉を頻繁に使うと,話し手の不快感を引き起こすことになる.4.話題転換は列車の方向を変える転轍機のように,会話の進む方向を自由に変えることができる.【110525-JLPT1】恋恋N1读解296人生において一つの失敗などというものは、テニスの試合にといて点を一つ取られたようなものである。